閑文字手帖

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363 大正十五年ライカのこと

 大正十五年は十二月二十五日に昭和へと改元された。西暦では千九百二十六年。三月に『アメージング・ストーリーズ』誌が、翌四月に『アサヒカメラ』誌が創刊された。余分な情報を追加すると、クリスティ女史の『アクロイド殺害事件』が英國で刊行され、怪優天本英世と『アマデウス』のピーター・シェイファーと『薔薇の名前』のミッシェル・フーコー、それから“二十世紀のセックス・シンボル”マリリン・モンローとが生れた年である。

 何の関係も無いけれど。

 その大正十五年乃至昭和元年はライカが事實上の發賣になつた年でもある。ライツ社ではLEICAの製品コードをつけた。外にライカは無かつたのだから、不思議に思はなくてもいい。現代で云へばⅠ型或はA型と呼ばれる。A型といふ呼称が出來たのは、Ⅰ型が非常に曖昧な機種だつたからで

 

◾️レンズ固定式のフォーカル・プレーン・シャッター(A型)

◾️レンズ固定式のレンズ・シャッター(B型)

◾️レンズ交換式のフォーカル・プレーン・シャッター(C型)

 

がすべてⅠ型に含まれる。それで混乱した米國人が括弧書きの分類を考へたらしい。厳密を期すと、それぞれは更に細かく分類出來るのだが、そこまでは踏み込まない。

 大正十五年(とここでは決めつける)のライカ米國分類で云ふA型で、このA型がまた實にややこしい。詰り細分化が出來るので、ここに限つては少し、足を踏み入れると先づ

 

◾️ライツ・アナスチグマット

◾️エルマックス

◾️エルマー(旧)

◾️エルマー(新)

 ※エルマーは新旧共に“近接”タイプがある。

◾️ヘクトール

 

とレンズで分けられる。それから鍍金や革の色を変へた“ルクスス”及び“デラックス”といふタイプがあり、外にも部品の細かい仕様変更で、幾らでも差違を挙げたてられる。序でに云へば、修理や改造で原型を留めてゐない個体もあるさうだから、当時の正確な全貌を掴むのは、まあ無理だらう。何をどうすればいいか、手探りで作つてゐた證といつていい。

 さてそこで大正十五年ライカ…A型はどんなだつたかと想像してみる。“ルクスス”と“デラックス”は昭和五年頃の發賣だから、省いていい。ヘクトールは翌昭和六年に出された。そしてアナスチグマットとエルマックスは、それ以前の試験的な販賣につけられたと考へていい(そもそもレンズ銘をどうするかも曖昧だつたのではないか)さうなると新旧いづれかのエルマーだらうとなつて、發賣の時期まで含めて考へれば、旧エルマー…“近接”ではないだらう…が妥当かと思はれる。細かいことを云へば、シャッター・ボタンには凹みが無く、ローレットには加工が施されず、低速は二十分ノ一秒の筈である。

 さてかういふ話をした理由は、一応ある。ライツが公表した製造番号表…正確には“型と番号の予定表”によると、ここに千飛んで十七が含まれる。二桁に分けると十と十七。わたしの誕生日を暗示する。だからどうしたと云はれるのは当然で、ただの遊びに過ぎない。眺めてゐて偶々、千十七がA型のごく初期(番号は百から始まるが、製品としては最初と見立ててもいい)だと気がついたので、調べたことを記しておかうと思つた。

 

※参考にしたのは以下の二冊。

『バルナック型ライカのすべて』

 (中村信一/朝日ソノラマ)

『ライカポケットブック 日本語版』

 (デニス・レーニ/田中長徳 訳/アルファベータ)