閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

370 味噌ラーメンのこと

 どこかで見た漫画でラーメンの話だつたが、味噌ラーメンを作るか何かする登場人物に、別の登場人物が止めておけと忠告する場面があつたと記憶してゐる。その忠告をする登場人物が云ふには、味噌はそれ自体が旨いから、ラーメンに使ふとしても獨創性(だつたと思ふ)を出すのは六づかしいさうで、味噌についての言は、旨すぎるだつたかも知れない。まあ一応の説得力はある。でなければ記憶の片隅にも残つてゐない。

 

 實際のところ、味噌はどう扱つても美味い。お味噌汁を先頭に、味噌煮、味噌焼き、味噌漬けに味噌焚き、饂飩を煮込むのによく、チーズや胡瓜に乗せてよく、そのまま摘まんでもいい。ラーメン程度なら、易々とあしらふだらうなとは、わざわざ想像するまでもないし、あしらはれたラーメンき負ふ責が無いのも同じである。遊女の手練手管に童貞の少年が太刀打ち出來るものだらうか。

 ただ遊女に惑はされたからと云つて、味噌ラーメン自体はうまい。前述の漫画のやうに、“新しい旨さのラーメン”を作りたいなら、鬼門になる可能性はあるが、それはこちらの知つたことでなく、ありきたりでも何でも、不見転の店で外れを掴まない確率が一ばん高いのは味噌ラーメンである。

 その味噌ラーメンは大変に歴史が浅い。また出自がはつきりしてもゐる。新横浜ラーメン博物館の“日本のラーメンの歴史”項

http://www.raumen.co.jp/rapedia/study_history/

を参照して書くと、昭和二十九年に

 

 札幌「味の三平」にて、大宮守人氏が味噌ラーメンを開発。札幌ラーメンの方向性を決定づけただけではなく、後の札幌味噌ラーメンブームを引き起こす。

 

とある。因みに同じ“日本のラーメンの歴史”項で最も古いのが、長享二年で

 

 日本初の中華麺「経帯麺」が食べられた。この麺にはかん水が使われており、このレシピは現代のラーメンの麺とほぼ同じであった。

 

と書かれてゐる。文献について触れてゐないのが残念。長享二年は十五世紀の末頃(室町殿は第九代の足利義尚)で、大宮守人の發明とはざつと四百七十年の開きがある。味噌を汁に仕立てるのが六づかしかつたのか知ら。そこでマルコメの“味噌の発祥と歴史”項

https://www.marukome.co.jp/miso/history/

を参照すると、豆味噌を擂り潰して汁ものにする手法は鎌倉期に生れ、室町期に広がつたらしいと判つた。我われは室町殿の時代に不安定で血腥い印象を持つけれど、農業が大發展したのもこの時期である。大豆が例外でなかつたのは勿論で、味噌が贅沢品から当り前の食べもの…戰國期には足軽に兵糧として持たせられるくらゐ…へと変化した時期と考へていい。大した時代である。

 

 そこで気になるのは、味噌吸物の種。正確には麺を種に使つたのかといふ点で、先づ饂飩はどうだつたか。饂飩が現在に繋がる麺状の形を得たのは十四世紀頃らしい。蕎麦はぐつと遅れて記録に残る最古は十六世紀の後半(信州での寺社修復の際に振舞はれたらしい)である。案外と新しい。尤もこの新しさは、饂飩や蕎麦が“麺といふ形状”を手に入れた時期からであることには、留意する必要はある。詰りそれ以前から、小麦や蕎麦の實を粗く砕いて水で捏ね、茹でるなり蒸すなりして食べてゐた(饂飩の原形は麦縄、蕎麦は蕎麦掻き)からで、さういふところまで遡ると、歴史は霞むものだと實感出來る。

 では麦縄や蕎麦掻きも含め、饂飩や蕎麦は味噌吸物の種になつたのだらうか。文献や資料は見当らなかつたが、試さなかつたとは思へない。根菜や葉物や茸だけでなく、魚介も獸肉も一度ははふり込んだにちがひなく、美味いまづいの取捨撰択を経たのが今の味噌汁種で、その取捨撰択の中に饂飩蕎麦が無かつたと考へられるだらうか。そんな筈は無い。ことに蕎麦は貧相な土地でも育つのだから、食べ方は様々に試されたと思ふ(アイルランドやドイツでの馬鈴薯と同じである)のが自然だし、實態でもあつただらう。今に残らなかつたのは適はなかつたからで、確かに味噌椀の種に似合ふ麺類は、素麺くらゐしか浮んでこない。

 

 大宮守人といふひと。“20世紀日本人名事典”を主に参照すると

https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%AE%AE%20%E5%AE%88%E4%BA%BA-1640817

大正八年の旭川生れ。満州鐵道の運転士を経て、昭和二十五年にラーメン屋を開業。ここからウィキペディアを引用すると

 

 『リーダーズ・ダイジェスト』に掲載された、スイスの食品メーカー・マギー社の社長の文章を目にして衝撃を受ける。内容は味噌の効用を高く評価し、日本人はもっとこれを料理に活用するべき、と述べたたもので、それ以来、大宮は味噌を用いたラーメンの開発に従事することとなる。

 

だといふ。何となく眉に唾をつけたくなる(栄養食としては兎も角、味噌がうまい食べものだと知らなかつたとは考へられない)が、創始説話とはさういふものだと考へておかう。それに味噌をラーメンに転用するといふ發想自体は大宮に帰するところで、これは矢張り大したことである。どんな風に實現さしていつたのかは判らない。おそらく最初は味噌汁や豚汁の類で麺を種にして、何がよく何が惡く、何が足りないのかを絞り込んだのではないか。試作と試食を繰返し、数年掛りで形にしたといふから、この執着に大宮の人となりが透けて見える。奥さんと友人は大変だつたらうな。

 勝手な想像はさて措き、さうやつて完成に漕ぎ着けた味噌ラーメンが旨かつたのは、今に續いてゐることから、遡つて想像出來る。では冒頭の訳知り顔な登場人物は何故、味噌ラーメンは止めておけと忠告したのだらうと疑問が湧いてくる。それで考へるに、大宮の味噌ラーメンで、味噌ラーメンの殆どすべてが出來て仕舞つたからではないか。ラーメンに味噌を使ふのは確かにブレイク・スルーだつたが、その後に續く要素が七十年近く過ぎても姿を見せてゐない。そこを踏まへて“味噌は旨すぎる”だつたかの科白に繋がつたとすれば、あれは中々の場面だつたと云へるかも知れない。

 併しややこしい考察や理窟を横に置いて、風が冷たくなつてからの味噌ラーメンは有り難い。ふとくて縮れ気味の中華麺に、大蒜と唐辛子が隠れた味噌、たつぷりの野菜炒めは、寒い季節に食べるラーメンの完成形ではなからうか。その野菜炒めを摘みながら壜麦酒を呑むのは、實に嬉しいものだが、家の近所にさういふ味噌ラーメンを出す店が見当らない問題が残されてゐる。