閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

374 玉葱のこと

 食用としての栽培が日本で始つたのは、明治に入つてからといふから、比較的おそい。それ以前から鑑賞用だつたさうで、何をどう鑑賞してゐたのか。食用の品種が芽を出したのは北海道。今も全國の半分くらゐは道産で、續くのは佐賀産。ちよつと意外でせう。

 

 玉葱の話である。

 あの白くて丸つこい野菜。

 生でうまいし、焼いて炒めて揚げて旨い。和洋中を撰ばず、主役傍役裏方のどれもこなせる上に保存が利く。古代地中海の兵隊の糧食になり、エジプトでは奴隷労働者に配られたといふから、かなりタフな食べものである。

 原産地には諸説ある。ざつと調べると、中央または西南アジア、東地中海沿岸、ペルシア辺りださうで、まあ大体の方向は一致してゐる。それが我が國にやつて來るのに二千年以上の時間が掛つたのは、不思議といふ外はないが、地中海の文明群は西北…今のヨーロッパへと進んでいつた。玉葱がそちらに向つたのは納得出來るとして、インドから中國…東を目指さなかつたのは、食物史の謎ではないか。

 

 いやそれより明治からこつち、高々二百年も経たないのに、我われの食卓の重要な部分を占めるに到つた方が、もつと不思議かも知れない。オニオン・スープとサラドで始め、玉葱をあしらひ、用ゐた料理で満たすのは雑作もないが、何がなんでも玉葱を外すとなつたら、中々六づかしくなりさうな気がする。玉葱を使はない野菜炒めや肉じやがは遠慮したいし、玉葱を抜きにしたカレー・ライスは想像出來はしても、食べたいとは思へないでせう。さういふことなんである。

 

 ではどうやつて普及したのだらう。

 そこがよく判らない。

 根拠も持たずに考へるのだが、矢張り西洋料理の流入と広がりが大きかつたのではなからうか。かれらのご先祖の大半は、無名の兵隊や労働者だつたわけで、玉葱に馴染むこと、血肉に等しいくらゐの筈である。獸肉や外の香味野菜とあはせて焼いたり煮込んだり、ソースに混ぜ込んだりするのは、得意技に決つてゐる。

 或は中國料理かも知れない。玉葱が大陸の東端にいつ頃辿り着いたかも判らないけれど、かういふ応用力の高い野菜を知つたかれらが、漬けたり揚げたりおろしたり刻んだりを、試さなかつたとは考へられない。塩に醤に味噌だけでなく、我われが知らない調味料を用ゐ、さうでなければ我われの知らない調味料に仕立てたに決つてゐる。

 勿論どちらか一方ではなく、時期をずらしつつ入つてきたと考へるのが妥当である。併せて我われのご先祖が長葱に馴染んでゐたのも、要因になつたであらう。さうでなければ、我われの食事や酒肴の到るところで、玉葱の姿を見、香りを感じる…たとへば酢豚…ことはなかつたのではないか。根拠は何も無いけれど。

 

 氷水でさらした玉葱。

 串揚げにした玉葱。

 矢張り串に刺して焙つた玉葱。

 分厚く切つて焼いたベーコン(獸肉でもかまはない)に添へる玉葱おろし。

 さういふのがあつて、麦酒がうまくならないとしたら、それは寧ろ奇怪と云ふべきで、野暮つたい葡萄酒の方がもつと適ふといはれたら、それは双手を挙げて賛意を示す。そこにチーズを追加して、古代のギリシャ兵を気取つてもいい。どこかの葡萄酒藏で、そんなメニュを出さないものだらうか。不謹慎と叱られても責任は取れない。

 

 尤も、わたしが一ばん好きな玉葱の使ひ方は、お味噌汁の種。母親が作つて呉れるやつで、お出汁は確かいりこ。あはせといふのか、やや甘めのお味噌を使ふ。それに薄切りの玉葱と、粗く溶いた卵。外には何も入れない。何もかもがやはらかくてあまい。そしてごはんにまつたく適ふ。ことに玉葱と固まりかけた白身の組合せは、素晴らしいお味噌汁の種(反發されるだらうから小聲で云ふと、豆腐と長葱より旨い組合せだと思ふ)とおかずを兼ねる。

 汁ものに限らず玉葱を料理の種で扱ふには、その料理の腰が坐つてゐる必要がありさうに思ふ。腰が坐るとはどうも曖昧な云ひ方で、我ながら感心しない。澄し汁のやうな手弱女振りに、玉葱は少々きついといふところからの連想である。そこで少し長くなるが、『檀流クッキング』の“オニオン・スープ”から引用する。

 

 薄切りにしたタマネギを、バターとサラダ油を半々にして、とろ火で、一時間くらいいためなさいと申し上げておく(中略)その色も半透明から薄茶色、やがて狐色に変わっていくだろう。そこらあたりで火をとめ(中略)しっかりした茶碗に移し、自分のところで自慢のスープを入れるがよい(中略)さて、茶碗のスープの中にチーズとパンを入れる(中略)これをオーブンの中に入れれば出來上がりだ。

 

 麺麭とスープとチーズに玉葱!と普段は遣はない記号まで使ひたくなるのは、文章のちからですな。全文を一讀すれば、直ぐにソップを取り、その隙に玉葱とチーズと麺麭を買ひに行かうと思はされるから、甚だ迷惑な話なのだが、それは措いて、かういふのを腰が坐つてゐる食べものととらへてゐるのだなと考へてもらひたい。

 こんな風に見てゆくと、日本の玉葱料理は未だ發展途上なのだらうと思ふ。たとへば丸ごとの玉葱を濃い味噌に漬け込み、引き上げてから湯を通して、大振りに切り分けてから、ハムで包んでラードで揚げてトマトを添へ、漬けてゐた味噌に卵黄を練り込み、長葱を刻み入れ、煮切つたお酒でやはくした一種のソースで食べ(そんな調理法があるのかどうかは知らない)ても、玉葱は十分に旨いと思はれる。詰りタフな野菜なので、串揚げやらカレーの下味やらシャシュリークやらだけに任すのは勿体無い。