閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

380 花で呑むこと

 ほつけの漢字は魚ヘンに花…𩸽ださうで、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏はご存知でしたか。わたしは調べて初めて知つた。アイナメ科に含まれ、ホッケとキタノホッケが属する。魚ヘンにも花にもホッケといふ訓みはない。身のほろほろ崩れる様を散る花びらにたとへて字をあてがつたか。我われが居酒屋で目にする開きを焙つたのはキタノホッケ、別名シマホッケの方で、画像もそれになる。大して高額でなく、旨い上にほろほろと身離れがよく、ちびちびつまめるので、具合がいい。干して焙る料り方が主なのは足が早いからださうで、水揚げ地に近い町では煮つけでも食べるといふ。旨いのか知ら。ちよいと食べてみたい気はする。

 

 ほつけはそのほろりとした身離れのよさが、まことに有難い。といふのもわたしはお箸の使ひ方が他人さまに見られたくないくらゐに下手だからで、鉛筆を握るのと同じ持ち方になつて仕舞ふ。なので箸先で毟らなくてはならない魚は、美味いまづいとは別に苦手である。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、恰好惡いと笑ひ玉ふな。

 もうひとつ、こちらは有難いといふより嬉しい点になりさうだが、(少くとも)(居酒屋で食べるやつは)骨も囓れるのがいい。焼き魚でも煮魚でも、余程硬くない限り、骨まで舐り…訂正、囓り尽すのがわたしの流儀で、随分と以前、同席してゐたひとに呆れられたことがある。魚の骨つて、食べられるんですね、だつたか。これくらゐなら食べますよと応じつつ、何とはなしに気耻づかしさを感じたのは、今も覚えてゐる。

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 思ひ返すと(堅くない)魚骨を囓る習慣は、鰯の生姜煮で身に附いた。母親が煮て呉れた鰯は小ぶりだつたし、同居の年寄り向けなのもあつてか、たいへん軟かいもので、尾鰭を除いて食べ尽した。それに馴染んでか、塩焼きの鰯も食べ尽した。流石にこちらは骨に気をつけなさいと云はれたけれど、丹念に噛み砕けばどうといふこともなく、それを顧みれば、ほつけの骨なぞ、寧ろ食べ易い方に入る。と書けばきつと、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏から

 「それはそれでいいとして、ほつけの骨なんて美味しいものか知ら」

と疑義が呈せられるだらう。そこでもう一ぺん画像を見てもらひたいのだが、骨を捲ると、その周りは幾許かの肉がこびりつく。皮の下と骨周りの肉が旨いのは獸肉に限るわけでなく、嘘だと思ふなら、鮪の中落ちがどの辺りかを考へてみたらいい。若い讀者諸嬢諸氏は首を傾げるか知ら。

 

 骨を噛むで思ひ出した。いつだつたか、雀の串焼きといふのを食べた。串に一羽か二羽か刺さつた丸焼き。旨かつたかどうか、食用雀なんて聞いたこともないから、肉は殆ど無かつたのではなからうか。尤も多分頭蓋骨を噛み砕いた時の歯応へは快かつた。さういふ快感の為の串焼きだつたとすれば、おそろしく贅沢な一本と考へてもいい。淑女には残酷趣味と眉を顰められるかといふ不安はあるが、だつたら腹を開かれた上に天日で干され、焼かれたほつけの立場はどうなるのだらう。雀が我われの舌に馴染まないのは、獲れる数の少なさより、大して旨くないからの筈であらう。その辺の焼き鳥屋で、一串二百円程度で当り前に食べられれば

 「雀串は塩に限る」

 「矢張りたれで樂むべきだ」

 「いや漬け焼きが最良だよ」

といふ議論が續出しても、不思議ではないが、雀の話ではなかつた。ほつけ方面に戻りませう。

 

 その前に中島らもといふ、作家でアル中で藥物中毒を兼ねたひとの話。あのひとはコップ酒があれば肴は要らなかつたが、“ピリ辛コンニヤク”を註文するのが常だつたらしい。但し食べない。“ピリ辛コンニヤク”を睨みながらコップ酒を呷る。廉価な上に、肴が目の前にあれば、呑んでゐる恰好がつき、呑み屋の親仁にも惡くないといふ理由。ある日中島のお供で呑んだひとが、その“ピリ辛コンニヤク”をつまんだところ、いきなり罵倒されたといふ。

 「キミは阿房か。一体何を考へとるンや」

お供は何故叱られたか解らない。よくよく聞いてみると、どうやら“ピリ辛コンニヤク”をつまんだのがいけないと気がついて、ただつまみを喰つて説教される事情までは解らない。更に訊くと

 「喰たら、減るやないか」

さう拗ねたといふから、ややこしいひとだつたのだな。見習はうとは思ひにくい。

 

 ここで大事なのは、(残念ながら)“ピリ辛コンニヤク”自体ではなく、ある程度腹がふくれた後、もう少し呑まうとする時、“ピリ辛コンニヤクのやうに”小さくつまめる肴は便利といふ点で、お漬け物の盛合せなんていふのもここに入る。尤もお漬け物だと、わたしの苦手な茄子や人参、或は奈良漬けが含まれることがあるからこまる。それにひとりで呑む場合には、盛合せでは些か多すぎでもある。そこで予めほつけを註文しておくか、半身といふのかハーフと呼ぶのか、兎に角小振りなやつを追加する。

 身をひとひら

 大根おろし檸檬と醤油。

 焦げた皮。

 それから骨。

 喰たら減るのはまあその通りとして、ゆるゆるやれば、二合かそこらのお酒か、葡萄酒の半壜くらゐは、十分に相手が出來る。花をつまみに呑むのが好きなんて、気障な云ひ草だらうか。