秋と云へばさんまで、さんまと云へば目黒と応じたいところだが、お殿さまには申し訳ないと思ひつつも、矢張り佐藤春夫の『秋刀魚の歌』を筆頭に挙げたい。
あはれ
秋風よ
情あらば伝えてよ
ー 男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
思いにふける と。
さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。
あはれ
秋風よ
汝そは見つらめ
世のつねならぬかの団欒を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。
あはれ
秋風よ
情あらば伝えてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児とに伝えてよ
ー 男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて、
涙をながす、と。
さんま、さんま、
さんま苦いか塩っぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。
一讀、異様な詩だと思ふのはその通りで、大谷崎との“妻譲り状”が、この直後の時期だつた。永井荷風が断腸亭に冷やかな筆致で(昭和五年八月廿日附)記してもある。荷風爺さん…といつてもこの時五十二歳だつたが…は妙な倫理観の持ち主で、玄人と遊ぶのには何の躊躇ひもなかつたが、その一方で“処女を犯したる事もなし”と自慢気に書いてもゐる。さういふひとにすれば、他人の妻を譲られた挙げ句、それを書面で(それも谷崎との連名)報されても、“可笑しければ”と記すしかなかつたらう。ただこれだけだと佐藤春夫は自虐的に一詩を詠んだとんでもない野郎だといふ事になるのだが、弟子筋にわたしが尊敬する檀一雄がゐて、檀の描く佐藤は冗談のうまい人物でもあつて、そちらに立てば『秋刀魚の詩』には悲痛の響きが感じられてくる。文學はややこしい。
なので文學からは距離を置くと、“愛うすき父を持ちし女の児”でなくとも秋刀魚はうまい。尤も食べる習慣は、日本でなければ、ロシヤのカムチヤツカやサハリン周辺に限られるといふ。どうも収獲出來るのがその沿岸辺りだからださうで、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、ご存知でしたか。ホメロスの英雄や三國志の豪傑が秋刀魚を骨ごと咬み砕かなかつた理由はここにある。気の毒だなあ。
と同情を示すのは、云ふまでもなく、わたしが秋刀魚好きだからで、不漁のニューズを聞くと、胸苦しい気分になる。
ごく当り前に塩焼きがいい。お刺身も惡くないが、余程新しくないと旨くないから、扱ひが些か面倒なのか。それとも食べ方が限られるのか。そこで困つた時の『私の食物誌』で目次を見ると、秋刀魚が出てゐない。驚いた。
瀬戸内海のままかり
瀬戸内海のめばる
関東の鮪
東京のこはだ
金沢のごり
関西の鱧
九十九里の鰯
五月の鰹
“味噌漬け”や“蒲焼き”や“昆布巻き”などと附いてゐないのはこんなところ。吉田健一は英國が長かつたし、その前は支那料理に馴染んでゐたらしいからなと思つたが、さういふひとが、新潟から送られた筋子の味噌漬けを
何年もたつて琥珀色に変色し、口に入れるとそのまま溶けてしまふやうなのはこの世の味とも思へない。
と歓んだりするか知ら。さう思つて外の本をざつと捲つたが、秋刀魚の美味を讚へる一文は見られなかつた。僅かに“旅と食べもの”の中で
いい料理も旅先で食べれば一層よくなることを指摘したいのである。だから「目黒のさんま」には一面、殿様自身は気が附かなかつた眞實が隠されてゐると言つて差し支へないのである。
間接的にではあるが、秋刀魚の旨さには触れてゐるから、秋刀魚はうまい…少くとも美味い秋刀魚があると考へてゐたのは間違ひない。念の為もう一冊、困つた時の『檀流クッキング』の目次を見ても矢張り秋刀魚の文字は無い。“サバ、イワシの煮付け”と“小魚の姿寿司”、或は“魚のみそ漬”くらゐなもので、鮭に熱狂する姿と較べれば、随分と素つ気ないものですねと云ひたくなる。とは云へ、繰返しを気にせず書くと、塩焼きかお刺身、後は精々ごはんに炊き込むのが秋刀魚の食べ方で(もしかするとオリーヴ油に漬けたりすると旨いのかも知れないが)、この手帖のやうな駄文なら兎も角、吉田や檀には取上げにくかつたとも考へられる。だとすると気の毒な話で、叙事詩の英傑どころではない。
ロシヤ人はどんな風に秋刀魚を料るのか、どうもよく判らない。焼きはしただらう。もしかして塩漬けの保存食にしたかと思ひつつ(鮒鮨のやうになりさうだ)、断定は躊躇はれる。近所にロシヤ料理を食べさせる場所はあつたらうか。
さう考へれば秋刀魚の塩焼きは馴染み深い分もあるだからうが、ごくシンプルに感じられる。
皮ではぜる艶やかな脂。
たつぷりの大根おろし。
酢橘に醤油をちよいと。
“青き蜜柑をもぎ”きて“そが上に熱き涙をしたたらせ”るまでもない。そこにお燗徳利の一本もあれば満足も極まるといふもので、ここでロシヤ・サンマにウォトカは適ふのだらうかと疑問が浮ぶ。燻製があるなら、それは適ひさうだが、塩焼きには及ばない。このくらゐの愛國心は許してもらへるでせう。
肉や焼けた皮、また骨の周りが旨いのは云ふまでもないとして、秋刀魚で喜ばしいのは何といつても膓であらう。秋の酒肴としては絶好の美味と云へて…併し知人のとある女性は苦手だと云つて、わたしに秋刀魚を毟らせた挙げ句、その膓を押し附ける。そこまではかまはないのだが、その分の肉と皮を(愉しさうに)掻つ払つて仕舞ふ…、肉と皮と骨の周りとは別に、お銚子を用意してもらひたいくらゐである。内田百閒がお酒を覚えた“高等縄暖簾”のお燗酒なら文句は無からうと思へて、佐藤春夫の鬱屈は察せなくもないけれど、秋刀魚は矢つ張り、目黒の殿さまのやうに、顔を綻ばせながら頬張るのが望ましい。かういふ魚は文學に向かないのだらうな。