閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

390 二十年前の入院

 平成九年の末頃から翌十年初頭にかけて、腰椎椎間板ヘルニアで入院した。大小ふたつ、並んで出來てゐた内、大きな方だけ切り取つた。両方取ると、残つた箇所への負担が大きくなる恐れがあるからで、担当医曰く

 「後になつて動けンくなつたら、その時に取りませうか」

暢気だつたのか何だつたのか。入院とリハビリテイションで三ヶ月くらゐ掛かつたのは、間に歳末新年を挟んだからで(安静にしなさいとは云はれたが)、急いで手術するまでではなかつた事になる。

 入つたのは形成外科の六人部屋。左右に三床づつで、わたしは眞ん中のベッド。右手側は空き、左手側にHといふ気のいい爺さん。対面のベッドはカーテンに覆はれる日があつた。後日、抗癌剤治療をしてゐるとか、そんな話を聞いた。

 

 何しろ椎間板ヘルニアである。足を引摺りながらではあるが、トイレにも賣店にも喫煙所(当時の院内にはあつたのだ)にも行けるし、食事に制限が掛けられる事も無く、大部屋の入院生活は到つて緩やかであつた。他の四人も似たもので、見舞ひの家族からちよつとお小遣ひを貰ふと、地下の賣店でオロナミンCだのビスコだのを買つて

 「おれの奢りやからね」

と自慢して振舞ひあつた。気樂である。すべき事は何も無いので、テレ・ヴィジョンを観るか、寝るか、下らない話をするかであつた。それで何かの拍子に時代劇の話になつて、その時H爺さんが

 「一等おもろいンは、水戸黄門やな」

と云つたのに驚いたのを思ひ出した。当時三十歳になる直前のわたしは、爺さん連中が由美かおるの入浴シーンで鼻の下を伸ばす為の時代劇だと思つてゐた。そこで野暮つたい半畳を入れなかつたのは、社交の儀礼として正しかつたと思ふ。

 

 不良患者だつたのは間違ひない。何かの検査で別の部屋に入院してゐた若もの(当時のわたしより年少だつた)と知合ひ、病院を脱け出して、近くのお好み焼屋で晝めしを喰ひもした。麦酒を呑まなかつたのは、お好み焼屋の小母ちやんに

 「あの病院の患者」

とばれる服装だつたからで、いやそれ以前に呑みたいとは思はなかつたな。食事を用意して呉れた病院のひとには甚だ申し訳ないが、健康的ではない食べものに餓ゑてゐたのは事實で、何といふ事もない豚玉がえらく旨かつたのは覚えてゐる。

 

 手術は年を跨いでからであつた。ストレッチャーに乗せられ、全身麻酔の為の予備麻酔を打たれた時点で熟睡した。ぼんやりと目を覚ましたのは夜中の病室で、下半身に異物感があつた。頭がはつきりしてから、カテーテルが入つてゐるからだと判つた。担当医が云ふには

 「術後、十日から二週間くらゐは、ベッドにゐなさい。寝返りは躰を捻る事になるから禁止」

ださうで、膝の裏側に堅すぎない三角のクッションが入れられてあつた。躰を横にしたい時は、膝頭と肩を同時にえいやと動かして、腰を捩らないやうにする。食事はおにぎりだの、手でつまめるものが用意されて、水分はストローで啜つた。困つたのは矢張り排便で、おまるを差し込んでもらふ。終つたらナース・コールをして、お尻を洗つてもらふ。看護婦さんがさういふ世話をして呉れるので、耻づかしい以上に申し訳なくてたまらなかつた。以來わたしはあの職業を尊敬してゐる。

 

 数日…一週間くらゐしてからだつたと思ふが、ストレッチャーに乗せられたまま、髪を洗つてもらつた。あれは聲を高くあげたくなるほど気持ちよかつたな。その直後くらゐに、予定より早く、ベッドから出ていい事になつて、カテーテルを抜いてもらへた。部屋を担当するTさんといふ看護婦が

 「今から抜きますよ。せえので、息をすーつと吐いて下さいね」

と云つたので、その通りに息をすーつと吐くと、それにあはせて、カテーテルが抜け、下半身がかるくなつた。早速トイレで用を足しながら、かういふのが幸せなのかと思つた。

 

 リハビリテイション(落ちきつて不均衡になつた脚の筋力を調へるのが目的)は設備のあるところまで車椅子を使つた。安全を確保する目的だらう、タイヤの空気は少し減らしてあつて、多少の力が必要だつた。いざとなつたら看護婦さんが手伝ふ算段だつたにちがひない。段差を越えるのに、ちよいとこつが必要だつたが、馴れるとブレーキやターンで遊べるまでになつて

 「なーに、やツてはンの」

T看護婦さんに呆れられたから、車椅子の練習と返事したら

 「さういふリハビリは、せンでええの」

大笑ひされて仕舞つた。その間も病室でのお菓子やジュースの奢りあひ(勿論“奢りやからな”といふ自慢はお互ひ忘れない)は續いた。流石にお好み焼は控へたけれど、それは病院食に馴染んだからで

 (もう暫く、ゐても、ええんとちがふか)

と思つたのは感傷だつたらう。だから退院の日、H爺さんに使つてゐた半纏を譲り(要らンやつたら捨ててくれてええからと云ひつつ)

 「すンません。お先イです」

と挨拶したのは、そのささやかな顕れだつたのだ思ふ。二十年が過ぎた今、“もツぺん、入院しますか”と訊かれたら、慎んで遠慮の意を表したい。ビスコオロナミンCは惡くないけれど、麦酒も煙草も取上げられては、とても我慢出來ないもの。