閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

392 生きとし生けるものの財産

 “日本詞華集”と“生きとし生けるものいづれか歌を”と題された書評がある。前者は昭和五十九年の『週刊朝日』、後者は平成八年の『毎日新聞』で發表された。いづれも樋口芳麻呂校注の王朝和歌の小詞華集(岩波文庫所収)が取上げられてゐる。筆者は丸谷才一。日本には無闇に勅撰の和歌集があつた。その数實に二十一。中でも『古今集』から『新古今集』までは八代集と呼ばれ、“すこぶる重んじられ”た。尤も重んじられつつ

 

 八代集に収める和歌の総数は九千四百四十首。普通の讀者はとても讀めないし、専門歌人でも日常親しむためにはよりすぐつた本がほしい(引用)

 

といふ慾求もあつて、その慾求を満たす為に、詞華集が生まれた。当時の和歌は文藝だけでなく、呪言であり社交の道具でもあつたから、その慾求は切實だつたらう。

 讀む側には女を口説き、或は月を愛でる酒宴でのアンチヨコといふ、非常に大きな利点があつたが、では詞華集を作る側はどうだつたのか。そこは丸谷に抜かりはない。

 

 編者のほうから言へば、自分の趣味ないし批評意識、あるいはさらに文學史の見通しを、一目瞭然たらしめることができた(引用)

 

と指摘する。成る程。勅撰集にしても小詞華集にしても、編者は實作者を編者を兼ねてゐるのだから、そこに規範意識のやうなものがあつたと考へるのは、寧ろ自然であらう。令和の現代、かういふ本は成り立つものか知ら。文學全集があるでせうといふ見方は確かにその通りとして、實作者を兼ねる批評家個人が詞華集を編むのは、権利といふ生々しい面と、資質といふ冷酷な面の両方で、六づかしいのではないかとも思はれる。

 

 出來るかどうかで云へば、また詞華に限らなければ、わたしにだつて不可能ではない。順不同で思ひつくままに挙げれば、『ベートーベン』(谷川俊太郎)や『天景』(萩原朔太郎)、『地名論』(大岡信)、蜀山人狂歌、評論になるが『陰翳礼讚』(谷崎潤一郎)、短篇の『水蜜桃』(筒井康隆)に『シャンブロウ』(C.L.ムーア)、『ボヘミアの醜聞』と『まだらの紐』(念を押すまでもなくコナン・ドイルのホームズもの)、随筆で云へば『羽越瓶子行』に『旅と食べもの』(どちらも吉田健一)、短篇か随筆か迷ふ『特別阿房列車』(内田百閒)、漫画から『笑う標的』(高橋留美子)、題を失念したが、永井豪のS.F.で将棋をモチーフにした一篇などが浮ぶ。

 我ながら取留めがない。“丸太花道の内側”といふ軸で云へば、これもひとつの編輯方針になるだらうが、文學の方向附けに対してはまつたく無力なのは想像するまでもない。それに“内側”と云つてもわたしは元來長篇好みなので、完成しても非常に不完全である。『国盗り物語』(司馬遼太郎)も『女ざかり』(丸谷才一)も『深夜プラスワン』(ギャビン・ライアル)も『鷲は舞い降りた』(ジャック・ヒギンズ)も含められないのは困る。詞華集式はコンパクトな纏まりをもつて良とする。仕方がない。この形式の編輯は諦めませう。

 

 併し外に方法は無いものかと考へて、ごく簡単に好きな本を小さな棚に並べる事を想定すればいいと気が附いた。この場合の小さな棚は函や鞄とも、詞華集の拡大コピーとも見立てていい。たとへばこの世から引越す時、これだけは棺桶に詰めてもらひたいとか、さういふ分量…ある小説の魅力的な登場人物の言を借りれば、“残りの人生を託すに足る”本の群れ。編輯でないのは認めるが、半歩くらゐ近づきたいといふ慾求の顕れなのだから、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、寛容を願ひたい。

 

 先づ最初に『文章読本』(丸谷才一)を挙げる。別格といふか、文字通りわたしのバイブル。小聲で云ひ添へると、豊かな引用と美事な鑑賞が、他の文章への餓ゑを充たして呉れるのも理由になる。次に挙げたいのは『阿房列車』(内田百閒)か。無内容の眞顔の冗談…本人は到つて眞面目なのだが…は、かういふ一篇を書ければ、きつと満足すると思はれるし、書けなかつたところで、讀む樂みはたつぷりと残されてもゐる。呑み喰ひに目を向ければ、『檀流クッキング』(檀一雄)と『私の食物誌』(吉田健一)を忘れてはならない。作る愉快と呑む愉快、食べる愉快はこの二冊に尽されてゐて、空腹の際にはえらく迷惑だが、それくらゐでないと讀みたくもならない。それから『ヨーロッパ退屈日記』(伊丹十三)も挙げておかう。大人である事、紳士である事、さうあらうとする事の快感と憂鬱は、この本で學べる。

 

 この五冊はどうでも“棺桶に詰めてもらひたい”と思ふ。あつちがどんな場所かは知らないが(何しろ『地獄八景亡者戯』でしか話を聞いた事がない)、待ち時間が長くても大丈夫である。死後は安心出來た。ではその五冊の外に、現世で棚乃至函または鞄に入れたい本に何があるだらうか。『忠臣藏とは何か』(丸谷才一)を除くわけにはゆくまい。それから『明治という国家』(司馬遼太郎)…この本は『ロシアについて』『アメリカ素描』と緩やかな三部作を形作つてゐると思ふ。西洋の大古典ならば『イーリアス』と『オデュッセイア』、『ガリア戰記』は外せまい。その流れで云へば『ローマ人の物語』(塩野七生)中のカエサルを描いた前後篇も含めたくなる。更に田辺聖子(“私本 源氏物語”もの、『浜辺先生 町を行く』、一連の“カモカのおっちゃん”もの)や池波正太郎(長篇だつたら『雲霧仁左衛門』と『真田太平記』、“鬼平”に“梅安”、“剣客商売”にも優れたものがある)、星新一(殊に“白い服の男”と“生活維持省”、“おーい、でてこーい”の切れ味は忘れ難い)、ここに長篇漫画(たとへば『手天童子』)も含めたらただの本棚であつて、当初の目論見はどこに姿を隠したか。

 

 そんな風に考へると、撰ぶといふのは、何を採るもさうだが、何を削るかが肝要なのだと解る。紀貫之藤原定家後鳥羽院は撰にあたつて、どう考へてゐたのか知ら。秀歌を撰ぶ(採りまた削る)だけでなく、それらをどう並べるか…詞華集は獨立した詩を讀ますだけでなく、前後の詩に関連を持たす事で、お互ひの味はひを深め、異なる情景を浮ばすに到る(可能性が期待される)のだから、その編纂の才と苦心、更に快感は、わたしの如き浅學菲才の輩には想像も及ばない。これで勅撰集が“すこぶる重んじられ”なかつたとしたら、文學的な絶望の光景そのものであらう。詞華集の形式かどうかは兎も角、撰集(棚?函?それとも棺?)に手を染めるなら、一國萬人は望むべくもないとしても、たれかひとり(贅沢が許されるなら三人)に

 「かういふ文章…本があるのだな」

と思つてもらふのが本筋で、であればわたしには無理難題過ぎる。それなら自分でどうかうするより、たれかに任せ、文句を云つたり、褒めそやしたりする方が、余程愉快ではなからうか。優れた批評家の手になる撰集は、生きとし生けるものすべての財産になるのだから。