閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

410 年の瀬の御加護

 伝承によると推古天皇元年…六世紀末頃の創建であるといふ。ウェブサイトによると

 

 『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。

 

とあつて何となくギリシア叙事詩が連想される。御加護を与へ玉へ。敵をば討ち滅ぼした暁には立派な祭壇を立て新鮮な仔羊を贄として捧げませうぞ。

 尤も崇佛の蘇我と排佛の物部の争ひは佛教といふ新思想を受容れるかどうかもあつたらうが、それ以上に朝廷での豪族共の権力の奪りあひであつたから、雄渾より生臭さと矮小さが先立つて感じられなくもない。要はさういふ経緯で建てられたのが四天王寺で、現在では建物を中心にした地域が天王寺または阿倍野と呼ばれる。

 年の瀬の或日、その阿倍野に足を運んだのは、そこでカラバッジオの展示があると知つたからである。十六世紀後半から十七世紀初頭にかけての画家。イタリア人。何となく気になる名前だつた。かれから百年ほど遡るティツィアーノ(ヴェネツィア画家)が好きなので、その連想かも知れない。

 

 「さう思つてゐるのだが、どうだらうか」

とエヌに云ふと賛意を示して呉れた。エヌは旧い友人。もう四十年近い附きあひになる。そのエヌと大阪メトロの堺筋線に乗り、動物園前驛で降りた。日本橋の(旧)電器屋街と通天閣の間くらゐの位置に当る。

 通天閣の周辺は甞て新世界と呼ばれた地域で、その呼び名は残つてゐる筈だが、以前は(名前とちがつて)ひどくいかがはしい、安呑み屋…ホルモン焼きやおでんや焼酎…が並び、浮浪者とちんぴらがたむろするやうな町であつた。今はすつかり清潔になつて、我われでも平気な顔で歩く事が出來る。串かつ屋と惡派手な服屋がならぶ猥雑な町並みに、佛教の敬虔を感じるのは六づかしいが、猥雑なりの秩序はあつて

 「雜密の世界だなあ」

と感心はさせられた。序でに云へば雜密は呪文…咒の欠片を指すと考へればいい。八世紀の初頭、空海が眞言を完成させた時に組み込まれ溶け消えた事を思ふと、これは無邪気な思ひつき以上にはならないけれども。

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 あべのハルカスを外から見ると奇妙な形をしてゐる。幾つもの菓子函を積み上げたやうな姿で、所々に飛び出た箇所があつて、総じて不安定な印象を受ける。我われは未だ超のつく高層建築を、都市の中にどう位置附けるのか、迷ひ續けてゐるのではないか。そのあべのハルカスの十六階にハルカス美術館があつて、カラバッジオはそこで展示されてゐる。

 フル・ネイムはミケランジェロ・メリージ・ダ・カラバッジオ。素行の惡い若ものだつたらしい。口論だけでなく喧嘩も乱闘も辞さず、ひとを殺める事もしたらしい。その生涯は僅か卅八年は終つてゐる。狷介な人柄だつたのか、本人にも解らない不機嫌にくるまれてゐたのか、何とも想像し辛い。

 「まあ、入つてみませう」

さう云つて入場券賣場に並んだら、小父さんがしやがんで鞄の中をごそごそ探つてゐる。何だか判らないが入場に必要なものがあるのだらうかと思つて待つた。さうしたら何をどう満足したか鞄の蓋を閉め、そのまま立ち去つた。ごく当り前に道端にしやがんでゐたやうな風情で(多少呆れはしたが)怒る気にはならなかつた。

 

 正直なところを云へば、期待には些かの距離はあつた。展示は正しくいふと"カラバッジオとその時代"展だつたのがひとつ。それは構はないとしても、観せ方が稚拙な所為で、目の前にあるのがカラバッジオの筆なのかどうか、直ぐに判別しにくかつたのは、ハルカス美術館館員が不勉強…が惡ければ"意余つて力足らず"だつた證であらう。

 またグロテスクな描冩が少からずあつたのも、好みには適はなかつた。斬首、弓矢による死刑。刎ねられたヨハネの首やゴリアテの首を手にしたダビデ。復活したイエスさまが疑念を抱いた弟子に対し、腹の傷に指を入れさせる場面。或は象徴的に配置された頭蓋骨。それらの描き方はリアリズムではないがひどく生々しく、目をやるのが躊躇はれた。

 尤も例外はあるもので、マグダラのマリヤを題材にした二点("悲歎"と"法悦")はその生々しさが魅力になつてゐた。カラバッジオが模倣者を多く生んだ画家…だから展示が同時代史風になつたのだらう…なのを思ふと、かれの画風は時代を劃したと考へてよく、切り取られた生肉のやうなグロテスクさを感じさせたり、また柑橘の搾り汁を吹き掛けたやうな気分にさせたりする、云はば不安定さがあつたとしても、それは画家の責任にはなるまい。

 

 美術館を出てから珈琲を一ぱい。大和路快速で大阪驛まで動いてから、地下街にある中古カメラ屋を冷かした。エヌは銀塩カメラを三台持つてゐる。FE2NewFM2/TとFM3A…型番を知らないひとの為に云ふとすべてニコンである。

 「あのペンタプリズム部の恰好が」

好きなのださうで、一貫してゐる。細かいアクセサリを見ながら聞くと、最近になつてMD-12(外附けの高速巻き上げ機)を手に入れたといつたから笑つた。實用ではなくスタイルを調へるのが目的で

 「廉だから買つてもいいと思つた」

らしい。MD-12が大振りで重く、うるさい機械である事を思へば、これも一種の見識と呼ぶべきか。折角だから何か買はうと棚を見てみたが、残念ながら物慾は刺戟されなかつた。時刻はそろそろ十七時。

 「エエ時間帯になツたかな」

 「エエ時間帯になツたねえ」

それで天満まで歩く事にした。

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 エヌは麦酒とヰスキィを好む。

 わたしは麦酒と葡萄酒を好む。

 互ひに呑めれば何でもいいと思へる年齢ではない。

 天満にある[てぃだ]といふお店がさういふ事情に好都合である。看板は奄美料理。品書きには確かに油素麺だの海藻の天麩羅だの、それから黒糖焼酎泡盛まで並んでゐて、併しその隣にはドイツの麦酒に焼きソーセイジの盛合せなんぞもある。何年か前に偶々立ち寄つたら、さういふ店だと判つたので、エヌと呑む時はここすると決めてある。

 店の一ばん奥に小さな舞台があつて、入つたらそこで男女の二人組がギターと三線を鳴らしてゐた。定期的にライヴを開くのは知つてゐたが、開催日に入るのは初めてであつた。

 「それはまあ兎も角」

 「先づは麦酒ですな」

シュナイダー・ヴァイス(オリジナル)で乾盃した。お互ひ一年、生き延びたねえと云ひながら、つまみに註文したのは苦瓜と豆腐の炒めもの(奄美料理ゆゑか、"ちやんぷるー"ではなかつた)、牡蠣とベーコンのスペイン風オムレツ、シュニッツェルで、この中ではオムレツが出色の出來。半熟に近い仕上げだつたから、スペイン風かどうかには議論の余地が残るとして、牡蠣の風味が巧妙にあしらはれ、然もその牡蠣が硬くなつてゐない。

 「上塩梅、上塩梅」

品書きを見るとサッポロのグラン・ポレールがあつた。ミディアム・ボディ。飲みくちは惡しからず。冷しすぎは惜しまれるが、そこまで求めるのは酷と云ふものか。エヌが黒ラベルに移つたのにあはせ、こちらもオリオン・ビール。若鶏の唐揚げとジャーマン・ポテトを追加。遅れてシュニッツェルが出てくる頃にライヴが始つた。出演は三組。観客(わたしたちの事だ)を上手に煽り、観客も上手に煽られ、詰り大騒ぎになつた。

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 「かういふのは、踊る阿房にならにやあ、損よ」

さう決めたので今宵はここで腰を据ゑる。さう結論を出してお代り。エヌにお奨めの黒糖焼酎はどれだと訊かれて、"高倉"を推した。この男は蒸溜酒が

 「薄まるのが、気に入らんのよ」

といふ理由で割らない。わたしは"あじゃ"の水割り。好みのちがひよなと笑つてゐたら、揚げ肉の塊がきたから驚いた。どうやら若鶏の唐揚げらしい。

 「またえらい大きいもンやな」

 「ハーフ・サイズて、書いたアつた」

かなンなと云ひつつ、喰ふと美味いからこまつた。シュニッツェルとはちがつて、歯触りがばりばりするディープ・フライ。衣に少し手を掛けてゐる…何をどうしてゐるかは判らない…のだらう。おほむね平らげ、"瑞泉"の古酒を註文した。わたしは変らず水割り。エヌは割らずに、ヰスキィ並みに強い一ぱいをちびりと舐め…ああいふ呑み方は眞似出來ない。反省すべきなのかどうか。

 いい具合に…時間もグラスもお皿も…なつたところでお勘定。女将さんが愛想よく(見掛けない客がライヴの夜に押し掛けて大騒ぎしたからだらう、きつと)どこから來はツたンですかと訊いてきた。この場合の"どこから"には

 この店を何故いつ知つたのか。

 ライヴの出演者のファンなのか。

さういふ微妙な調子が含まれてゐる。我われは正直なので

 三年くらゐ前に偶々入つた事。

 食べものが美味くて気に入つた事。

 年に一ぺん足を運ぶ事。

それからライヴはまつたく知らなかつたが、十分に樂しんだ事を云ふと、嬉しさうに

 「ほならまた來年、お越し下さいね」

いい気分になつて[てぃだ]を後にして、もう一ぱい呑むかどうか考へた。時間を掛けて呑んだ所為か、醉つてはゐても醉ひ過ぎた感覚は無い。併し

 「物足りン感じはするけど、次の一ぱいで惡醉ひしさうな気もするンよな」

 「といふか。これで下手な店に行つたら、エエ気分が台無しになるンとちがふかな」

ではお開きにしませうと意見の一致を見た。まつたくのところ賢明な判断であつた。醉ひが翌日に殆ど残らなかつたのは四天王寺佛法の御加護にちがひない。