閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

415 雑誌小考

 雑誌を定期的に買はなくなつて久しい。昔…と呼べるくらゐ前は、記憶を探ると

 

 『アニメージュ

 『アニメディア

 『アニメック

 『OUT』

 『ふぁんろーど』

 『宇宙船』

 『アサヒカメラ』

 『日本カメラ』

 『CAPA』

 『カメラマン』

 『写真工業』

 『本の雑誌

 『週刊少年サンデー

 『月刊少年キャプテン

 『花とゆめ

 『別冊少女コミック

 『広告批評

 『non・no』

 『an・an』

 

を(時期は必ずしも重ならない)購入してゐて、外にもあつただらうが、かう書き出すと纏まりも何もあつたものぢやあないね。今さら反省しても仕方がないけれど。

 井上ひさしは雑誌や新聞が大好きで、何十も定期購讀してゐたといふ。更に送られたのも含めて隅々まで丹念に目を通したさうだから、遅筆になるのも当然であらう。対照的なのは丸谷才一で、美術誌と俳句誌の二誌…随筆で讀んだから間違ひではない筈だ…しか取らなかつた。併し長篇小説に限るとおそろしいほどの寡作であつたから、井上の自称した"遅筆堂"の理由を雑誌に求めるのは、些か不正確な見立てかも知れない。

 雑誌が果してゐたのは、"新しい情報の提供"と"注目或は流行の丹念な分析"であつた。わたしが買ひまた讀んでゐた雑誌に求めてゐたのは確實にそれらで、過去形なのはその役割が既に終つたといふ事情による。詰りわたしがさういふ目的で雑誌を(定期的かどうかは兎も角)買ふ事は、まあ無いだらうなと思はれる。

 さうなると雑誌自体が不要なのかといふ意見が出さうで、一面では正しいと思ふ。一面といふのは上に挙げた目的を満たす為の雑誌の意味で、もつと云ふと"雑誌が賣れない"現況は終つた目的の為に雑誌を作つてゐるからである。すりやあたれも買はなくなつて当然だよ。

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 と書いてから画像を見てもらひたいのだが、これは既に廃刊となつた『カメラレビュー』の表紙である。副題は"クラシックカメラ専科"だつたか。カメラの今でなく、遡つた綜合的な資料のやうな方針で編輯されてゐた。文章の段組や紹介の仕方が、そもそも文章それ自体が上手ではない…いや率直に下手糞だつたから、頁を捲り直すと讀み辛い。とは云へ國産舶來関係無く、横断的な資料(に成り得る情報)を定期的に刊行してゐたのは『カメラレビュー』くらゐしか見当らず、古カメラ好きは手にせざるを得なかつた。

 ここでせうね、胆になるのは。

 新しい話題、流行の扱ひはインターネットに及ばない。なので分析を試みても後追ひか二番煎じが精一杯(この際だから編輯者の知性には目を瞑る)であらう。となると雑誌が生き残りを計りたければ

・ネットに出てゐない(もしくは極端に少ない)

・ある程度の歴史があつて

・一定の(熱心な)愛好家がゐる趣味乃至嗜好

を掘り下げた内容を目指さざるを得なくなるのではないか。所謂ニッチ狙ひ。なので發行部数は期待出來ないし、採算の取れる値段は六づかしいとも思へるが、最初から何十万部も賣れはしないと決めておいて、季刊程度…それが許されるだらう事も無視してはいけない…に出せば、細々と継續は可能だと考へられなくもない。尤もこの場合、前段で括弧書きにした点が問題になつてきて、その趣味嗜好に余程知悉した編輯者がゐないと、創廃刊が同時になりかねない。