閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

429 不便な食堂車

 内田百閒や吉田健一の随筆を讀むと、屡々食堂車といふ言葉を目にする。いちいち引用はしない。今は無いらしい。お座敷列車などの名前で走つてはゐるから、無いと断言するのは極端かも知れないが、当り前に運行してゐる列車には連結されてゐないから、滅んだのに等しいと云つても、大間違ひではなからうと思ふ。

 入つた記憶も無い。少年の頃に乗つた東海道新幹線山陽新幹線(どちらも確かこだま號)には食堂車があつた筈だが、新大阪驛から名古屋驛乃至岡山驛までが精一杯だつたから、わざわざ入らなくてもよかつたのか。その頃のわたしは乗り物醉ひがひどいたちだつたから両親が控へたのか。

 もつと長い距離を乗り出したのは平成初期からで、その頃にはもう食堂車は廃止されてゐたと思ふ。その頃は指定席に罐麦酒と幕の内弁当を用意しておけば満足だつた。今でも年末に"居酒屋 こだま號"を樂むのはその延長だらう。今になれば機会を作るべきだつたと後悔を感じるけれど、今になつて云つてもどうにもならない。

 自分の席で罐麦酒や葡萄酒半壜を呑み、お弁当にサンドウィッチにチーズをつまむのがいけないとは思はない。腰を据ゑられる気分がする。ただ残念な事に、つまむのは基本的に冷製である。熱いとんかつや鯵フライ、ビーフ・シチューを食べるわけにはゆかず、さういふメニュが慾しければ食堂車に戻つてもらふ必要が出てくる。

 六づかしい…いや無理なのだらうな。

 ごく単純に長距離を走る列車は速さが第一、訂正、殆ど唯一の値うちになつて、意図的にゆつくり走らすのは

 「(ちよつと)ラグジュアリな列車旅にしませう」

といふ企画に押し込められてゐる。さういふ"ラグジュアリな列車旅"は、車体も設備も提供されるサーヴィスも"ラグジュアリ"な分だけ、時間だけでなくお金も掛かる。単に揚げたての鯵フライ(ミンチカツやコロッケでも宜しい)をつまみながら、麦酒を呑んでみたいだけなのに、これは流石に勿体無さすぎると思はざるを得ない。速度優先の列車なら、食事を提供する車輛より客車の方が商賣になるのは当然なのは判るから、文句は云ひにくい。一方で食堂を連結した急行列車をもつぺん、東海道本線に走らせれば、それなりに人気を博すとも思へる。わたしなら値段が"ラグジュアリ"でなければ利用する。

 そんな事を思つてゐたら、"サフィール踊り子"といふのを見つけた。この一文を書いてゐる現在、即ち令和二年二月時点ではまだ運行が始つてゐない特別急行列車。東京驛から伊豆急下田驛を二時間半から三時間かけて走る。車輛によつて値段は異なるが、一ばん廉な運賃で片道で九千二百円ほど。東京驛から新大阪驛の"ぷらっとこだま"が四時間の乗車で片道一万一千円ほどなのを思ふと、そんなに強慾とは思へない。尤も当り前に旧國鐵を使ふと四千円弱だから、倍以上の値段を附けてゐる事になつて、"ぷらっとこだま"と通常の運賃の値段のちがひ…精々四千円足らず…を考へれば

 「派手にぼつたくるなあ」

と嘆くのも無理ではなくなる。

 では何故サフィール踊り子に着目したかと云ふと、"四号車 カフェテリア"とあつたからで、恰好をつけたねえと皮肉を飛ばしたくなるが、そこはまあ我慢する。併しメニュを見ると、寛容を旨とするわたしですら

 「これあ、いけない」

と呟かざるを得なかつた。熱い食べものを用意するのはいいとして、それが"ヌードル"だけなのは、ぜんたいどんな了見なのだらう。公表されてゐる値段は六百五十円だが、画像を見る限り、どうしてまた"サフィール踊り子"で提供しなくちやあならないのか、理解が困難な姿をしてゐる。それに"ヌードル"なんぞは素早く啜り終へるもので、わざわざカフェテリア車輛に足を運んだお客を、お金だけ遣はせたら、さつさと追ひ返す積りなのか知ら。それなら自席にあれこれ持ち込んで、"居酒屋 サフィール踊り子"を開店する方がましな気がされてくる。

 何年前だつたか、記憶は定かではないが、初めて熱海に行つた時に、意図して新橋驛から乗車した事を思ひ出した。汽笛一斉新橋ヲ早ヤ我ガ汽車ハ離レタリ…『鐵道唱歌』の冒頭を實践したかつたのが理由である。朝の比較的早い時間帯だつたから、月ヲ旅路ノ友には出來なかつたのは残念だつたけれど、その時間帯ですら、始發の東京驛で乗つたお客(七人か八人くらゐの仲間連れ)が、きつと荷物を網棚に乗せつつ乾盃したのだらう、既にご機嫌になつてゐて

 (これはニツポンの正しい観光旅行だな)

腹を立てたり呆れたりするより感心した。あの集団が熱海だか伊東だか下田だかで降りた時は、ただの醉つぱらひになつてゐたにちがひない。傍迷惑といへばその通りなんだが、新式特別急行列車の洒落たカフェテリア車輛で、お行儀よくヌードルを啜るより、余程樂からうとも思へてくる。改めて調べると、四人集めて個室を取るなら、ひとり当りの運賃は最廉価と同じになる。酒肴をたつぷり持ち寄れば、周りを気にせず、東京伊豆急下田間の宴席を満喫出來るにちがひない。

 「そこまではまあ、いいとして」

降りた後はどうしますと訊かれるだらうか。東京驛を十一時に出るサフィール踊り子が、伊豆急行線驛に着くのは十三時廿九分。伊豆急下田驛十四時十二分に東京行が出る。四十分程の待ち時間で帰りの酒肴を買つて乗り込めば、十六時四十九分に東京驛に着く。出費がどの程度になるのかが気にはなるが、三万円あれば不安にはならないか。…さらつと書いてみたが、自分でも莫迦げたお金の遣ひ方だと思ふ。百閒先生や吉田を気取つて、当り前の食堂車で当り前に、マカロニのサラドとミンチカツをつつきながら麦酒を呑めない不便が、こんなに詰らないとは予想もしてゐなかつた。