閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

440 丼王

 小學生の頃、國語の授業で

 「遠くの大きな氷の上を多くの狼十づつ通る」

といふ一文を教はつた。妙な文であつて、何かと云へばこれは"遠く"、"大きな"、"氷"、"多く"、"狼"、"十"、"通る"の仮名が、現代仮名遣ひではすべて"お"になるといふ意味がある。教科書で見た記憶は無いから、きつと担任の先生が考へたのだらう。この中に"王"の字は含まれてゐない。歴史的仮名遣ひの表記は"ワウ"、發音は"o-u"だから、現代仮名遣ひで書くと"オウ"となる。

 本題には関係が無い。外題からの連想に過ぎず、そこで國語の授業を思ひ出したのは、自分でも不思議だけれど。

 では何が本題かといふと、いやその前に廻りみちをするのだが、丼にめしを盛切り、おかずに相当するものを乗せるのが所謂丼もので、食事の一種として確立した歴史は意外と淺く、文化期…十九世紀の初頭であるらしい。参考までに云ふと先陣を切つたのは鰻丼。蒲焼きを熱いまま持帰る工夫に端を發すといふ。遡ると、ごはんに魚や野菜を乗せて汁をかける芳飯といふ食べ方はあつた。聞いた事が無い。それで『世界大百科事典』を見ると

 『本朝食鑑』(千六百九十七年)は,これはもともと僧家の料理で,飯の上に,野菜や乾魚を細かく切って煮たものあるいは焼いたものをのせ,汁をかけて食う,としている。より古く室町時代には宮廷や武家の間でも盛んに行われた。飯の上に,5種のものを盛るのが通例だったらしいが,その5種を春夏秋冬と土用になぞらえて置く置き方や,それをどのように食べていくかという食べ方などが,いろいろな故実書に書かれている。

また"五目飯"の項にも

 芳飯(包飯,苞飯,法飯とも書く)と呼ばれたのも同じもので,『料理網目調味抄』(千七百三十年)に〈鳧飯,雉子飯,鰝飯,めばる飯,初茸・松茸めし,皆鶏飯悖にして芳飯也,…又葱,牛旁,しめじ,椎茸,芹,焼麩,何れも線に切,味付,飯に覆たる皆包飯也〉

との言及がある。何だかいい加減な編輯(ことに引用の仕方)だなあ…そこは廻りみちの最中だから目を瞑るけれど。ざつと讀む限り、丼ものといふより、ちよつと豪華な汁かけめしに思へて、併しこれで一回の食事になるなら、丼ものの源流と見てよささうでもある。『本朝食鑑』や『料理網目調味抄』でわざわざ触れてゐるのは、さういふ調理法があつて、但し一般的ではなかつたからだらうか。だとすれば、めしとおかずをひと纏めにするのは、"特殊な食べ方"であつたと想像出來る。

 ではどうして"特殊"だつたのかと不思議になつて、そこはどうも判らない。おかずの皿がたくさん並ぶ食卓がえらいといふ事になつてゐたのか知ら。我われの食事は、ごはんといふ主役が揺るぎないから、そこを彩るおかずの数を大切にしたくなる気分も判らなくはないし、さういふ方向で変化を遂げてゐれば、丼ものが特殊扱ひされても納得はゆく。

 ではどうして鰻丼の發明以降、丼ものが急速にのしてきたのかが不思議になつて、こつちはもつとよく判らない。最初に飛びついたのはきつと、素早くめしを喰ふのが

 「粋つてエもんよ」

と袖を捲つた職人連中ではなかつたか。蕎麦をざつと啜りこむほどではないにせよ、食事としては簡素そのものだし、腹持ちも宜しい。更に云へば江戸末期は天麩羅が完成を見た時期だつた事も忘れてはならない。先行する鰻丼を知る天麩羅屋の親仁が、それを参考にしなかつただらうか。さういふ新潮流が明治の開國で爆發したと、ここでは想像したい。

 改めるまでもなく、明治維新は政治や経済は勿論、食生活の激変期でもあつた。何をどう料るかの範囲が一ぺんに拡大したわけで、我われのご先祖が種々戸惑つたのは疑念の余地が無い。当り前の話で大つぴらに獸肉を食べられると云つたつて、どこで仕入れてどんな調理をすればいいものか。無数の混乱と失敗が繰返されたにちがひないが、その試行錯誤の姿は判らない。ただひとつ、天麩羅の技法がほぼ確立してゐたのは、当時の料理屋にとつて幸運だつた。それはカットレットやフライに転用出來る技術で、逆もまた然りであつた。また揚げる技法に欠かせないのは、強い炎を安定して扱へる設備(序でに云ふと耐火性に優れた建物も)だが、開國で流入した技術がそれを可能にした。さういふ背景があつて生れたのがとんかつである。

 豚肉を厚く切つて

 薄い衣をつけ

 たつぷりの油を用ゐ

 時間を掛けて揚げる

といふのは我が國獨特の調理法であつて、餡麺麭(こちらも和菓子の伝統が背景に無ければ完成しなかつた)と並ぶ明治の偉大な發明と云つていい。偉大とは大袈裟なと笑ふのは簡単だが、それは現代の目で見るからなので…この辺りを論じ出すと、廻りみちから更に逸れるから止しにしませう。

 さ。そろそろ本題…例の閑文字に入りますよ。

 丼ものの変遷をごく大雑把に云ふと、鰻丼があつて、天丼に派生する。その技法を転用しつつ、西洋料理からの応用で誕生したのがかつ丼(ここで云ふ"かつ"はとんかつの意。牛肉や鶏肉や海老は含まれない)で、わたしはこのかつ丼こそ、丼の王さまではないかと思つてゐる。理由は既に書いた通りなのだが、簡単に纏めると、東西の食べものと調理法の合体が成功した初期の例と思はれるからで、尊敬の印と考へてもらつてもいい。

 こんな事を書くと、経緯と敬意は兎も角、王さま扱ひには異論が出るかも知れない。

 「それでも鰻丼には及ばない」

でなければ

 「玉座に相応しいのは天丼である」

とか、親子丼に他人丼、牛丼に豚丼、鐵火丼に中華丼、海鮮丼にロースト・ビーフ丼とそれぞれの支持者が熱弁をふるひさうで、どこかの國の大統領撰挙みたいになりさうだ。併し鰻丼は既に丼界では名誉職であり、天丼は残念ながら気障になりすぎであり、それ以外となると、かつ鰻天丼があつてこそ成り立つたのだから、登極するには格が足りない。従つてかつ丼を丼王と見なすのは、至極当然の態度なんである。

 ところでそのかつ丼にも幾つかの、或は幾つもの種類がある。ざつと云ふと、とんかつと玉葱を一緒に卵とぢにするのが基本。玉葱の卵とぢをとんかつにあはせる変形がある。外には西洋料理へ回帰した方向として、ウスター・ソースを掛け、またはウスター・ソースに浸けたものや、デミグラス・ソースを掛けたものがある。日本食に近寄つた方向では、味噌や醤油をたれにしたり、大根おろしを使ふものがある。それぞれの細かな差異には踏み込まない。卵とぢが基本なのかと訊かれさうだが、率直に云へば断定は六づかしい。併し馴染んでゐるし、幾つかのサイトでかつ丼の作り方を見ても、卵とぢが主流らしいと判断したと白状しておく。わたしが好むのは矢張り基本形のかつ丼

 「衣が潤びるぢやあないか。感心しない」

と眉を顰めるひとには、かつ丼のかつは、衣が潤びてこそ、かつ丼のかつなので、すすどい衣が所望なら、とんかつを召し上りなさいと反論しておきたい。

 陶器のがつしりした丼にみつしり詰められたごはん。とんかつを包む揺れる卵に香る玉葱。かつ丼はこれで完成するので(余分な事だが、三つ葉までなら何とか許容出來ても、グリン・ピースは認め難い)、後はごはんの最後の一粒まで、大地を掘り進めるやうに食べ尽せばいい。最後に残るのは、かつ丼を目の前に何を飲むのかといふ事だが、緑茶麦茶烏龍茶…妥協して壜麦酒ではないかと思ふ。丼界の玉座に非礼と云はれるだらうか。併しかつ丼は積極的に酒類を求めない点で珍しい食べものであつて、念を押すがこれはかつ丼の栄誉に些かの傷をつけるものでもない。その一方、わたしが知らないだけで、かつ丼に相応しい酒精があつても不思議ではない。小學生に戻つて、家庭科の授業で先生に訊いてみるか。

【参考URL】

キッコーマン:カツ丼

https://www.kikkoman.co.jp/homecook/search/recipe/00001919/index.html

・味の素:豚ロース肉で作る 基本のかつ丼

https://park-ajinomoto-co-jp.cdn.ampproject.org/c/s/park.ajinomoto.co.jp/recipe/card/704016/amp/?usqp=mq331AQOKAGYAaSSy4bJjOH2pQE%3D

・ヤマサ:かつ丼

https://recipe.yamasa.com/recipes/76

サントリーかつ丼

https://recipe-suntory-co-jp.cdn.ampproject.org/c/recipe.suntory.co.jp/amp/recipe/005780/index.html?usqp=mq331AQNKAGYAfaA7IC33oveMg%3D%3D