閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

628 スタミナ

 食べものの味附けと称してよく解らないのは、サラダ味とバーベキュー味ではないかと思ふ。それぞれに何となく、共通する傾向はあるのだが、さてそれがサラダやバーベキューの味なのか知らと云へば、首を傾げざるを得ない。

 スタミナ焼きはもつと解らんですな。尤も解らんなりの説得力はある。たれがどうやつて思ひついたのか、サラダ味やバーベキュー味より巧妙な感じがされて、この辺りを突き詰めてゆけば、名附けのこつが見える気がする。

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 それは兎も角、スタミナ焼きはうまい。

 何やかにやで晝めしを久しぶりに外で食した某日、スタミナ焼き定食にしたのは、これなら間違ひはないと確信があつたからで、その確信は裏切られなかつた。

 先に云ふと、不満が無いわけではない。大蒜(の芽)もあしらつてほしかつたとか、砂糖か味醂か、今少し甘みを含ましてもよかつたとか、豚肉の脂を活かせばスタミナ感が強調されたのにとか、並べ立てることは出來る。

 併しである。豚肉と玉葱、韮といふ簡潔な組合せに、濃いめの醤油(多分鰹節か何か出汁を入れてある)の味附け。そこに白胡麻を散らした一皿とごはんが、はいお待ち遠さまと出されてごらんなさい。きつと昂奮するし、實際わたしは昂奮した。

627 曖昧映画館~座頭市

 記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。

 

 以前に『座頭市物語』で取上げてゐなかつたか、と思ふひとがゐたら、そのひとはこの手帖の愛讀者であらう。但し座頭市映画の愛好家ではないとも思ふ。"物語"の就かない座頭市は昭和六十四年に完成し、平成元年に公開された。勝新太郎座頭市映画としては最後の一本になる。

 わたしは勝新太郎が大好きなので、思ひ切り褒めたい。褒めたいのだが、正直に云つて褒めにくい。勝は文句なく恰好いいし、樋口可南子は艶つぽいし、奥村雄大内田裕也陣内孝則の屑つぷりだつていいのだけれど、何と云へばいいのか、かう、尻の坐りが宜しくないのだな。

 昔の座頭市映画の要素は全部、入つてゐる。

 博奕場にいかさま。

 可憐な少女。

 やくざと権力者の非道。

 そして勿論、派手な斬りあひ。

 それらのひとつひとつは、美事と手を拍ち、膝を叩きたくもなる。居酒屋だか旅篭だかでの唄や、三味線を爪弾く座頭ノ市の姿は大したものだし、殺陣の凄みはもしかすると、これ以前の座頭市映画を凌いでもゐるのだが、一本の映画として観るに、どうも纏りに欠けた感じがする。

 もうひとつ、殺陣の場面が変に生々しいからこまる。座頭市映画の剣戟は、時代劇の様式に則つてゐるからいいのに、血を垂れ流したり、頚や腕を斬り飛ばしたり、實録やくざ映画のやうな見せ方を入れられると、どこに目をやればいいのか、戸惑つて仕舞ふ。モノ・クロームなら印象は丸で異なつたらう。リアリズムは時に映画の邪魔をする。

 仄聞したところ、この『座頭市』には、脚本の決定稿が無く、大小様々の修正を施しつつ、撮影したといふ。詰り涼やかな眼と通つた鼻筋と紅の唇をばらばらに描くやうなものである。これで美男画を完成させるのは六づかしからう。

 

 などと云ひつつも、わたしはこの映画を樂んだ。

 何故と云ふに、そこには勝新太郎の輪郭が墨痕黑々とあつて、美男とは呼べなくても確かにその姿は恰好いい。矢張りあのひとは凄い映画人だつた。『座頭市物語』と三本、座頭市映画を観てから、じつくりと観てもらひたい。