閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

776 コローキアルなハム・サンド

 ある朝、詰り仕事の前なんですが、家でトーストを食べるのが億劫になったので、通勤の途中にあるコンビニエンス・ストアに立ち寄ったわけです。何を食べるか数秒間迷いまして、撰んだのが二百七十円のハム・サンド。仕事場に用意された休憩所で食べたんです。二百七十円分だったかは横に置いて、それでも中々うまかった…念を押しますが、天來の美味とか、大仰にうまさではなかった…から、少し驚いたと、白状しなくちゃあなりません。要するに普段、コンビニエンス・ストアのサンドウィッチを食べる習慣を持たないから

 (こんなにうまかったか知ら)

と感じたんですな。厭な言葉を使えば、コスト・パフォーマンスは宜しくないと思うのですが…この場合の"コスト"は二百七十円として、パフォーマンスは何でしょうね。味や腹保ち辺りか。まあ次に食べるのが、いつになるか判らない食べものですから、踏み込まなくてもかまいますまい。

 

 コローキアルになりすぎた。

 いつもの口調に戻しますよ。

 

 二百七十円のハム・サンドをうまいものと思ったのには、はっきり理由がある。調味に辛子マヨネィーズを用いてあったからで、併し考えるとこれはおかしい。普段のわたしは、辛子を殆ど使わないんである。おでんにとんかつ、冷し中華に豚まんに焼賣、どれも辛子抜きでいい。麦酒にあわすソーセイジに限っては、マスタードをたっぷり添えてもらいたいとして、それ以外は無くてもこまらない。世の辛子好きからは、呆れられるか、咜られるか。

 それが云っては何だが、たかがコンビニのハム・サンドの辛子マヨネィーズを好もしく感じたのだ。妙に思うのは寧ろ当然である。それに二百七十円で儲けが出る程度だもの、パンもハムも辛子もマヨネィーズも、大量生産向けを使って、費用を抑えているのは、想像するまでもない。ありがちな

 「こだわりの素材で、味わいがどうのこうの」

などいうサンドウィッチから、たっぷり距離がある。尤も我われは、材料がよければ、組合せてもうまくなる…とは限らないことを忘れてはいけない。何を云っているのか解らなければ、コロッケ蕎麦を思い浮べればいいんだが、この稿の目的は、コロッケ蕎麦の批判ではなかった。

 例外は認めながらも、廉な組合せがお金を取れる程度にうまい食べものに変貌することは確かにある。だったら変貌には條件がある筈で

 「そいつはセンスと呼ぶんだ」

と云っては話が終る。結局はそこに落ち着くとしても、幾つかに分解は出來るでしょう。折角だから、ハム・サンドに引續いて登場願うと、これは主に

 

 イ)食パン

 ロ)ハム

 ハ)調味料

 

の要素で構成されている。これらが密接に(まさにサンドウィッチのように)関連するのは念を押すまでもないが、一旦は分けますよ。先ずはイ)の食パンは厚さと堅さ(或は薄さと柔かさ)で、食パン自体の味は、そこまで気にしなくても、差支えないと思う。名前から云って、主役なのはロ)のハムである。厚めのを一枚、薄いのを二枚とか三枚とか、薄い一枚か二枚を折り畳むとかが考えられる。塩っ気や歯触りで判断するのが妥当な態度だろう。生ハムと黑胡椒とオリーヴ油で仕立てたら、きっとうまい。併しイ)とロ)を密着させるのが、實はハ)、即ち調味料と強調の必要があるだろうか。ことに二百七十円のハム・サンドだからね、肝は寧ろこちらにあると見たって、誤りにはなるまいさ。

 

 サンドウィッチと云えば英國聯想するのは当然で、かの國の紳士は、お茶の時間にキューカンバー・サンドウィッチを嗜むそうだ。伊丹十三のエセーで知った。バタを塗ったパンにスライスしたキューカンバーを乗せ、塩を振って供するというから、何ともしみったれている。念の為に云えば、キューカンバーは胡瓜ですからね、その寒々しさは、いかにも英國紳士のお茶に似合う。

 伝統は兎も角、我われがハムにあわすなら、醤油に並ぶ万能調味料であるところの、マヨネィーズが望ましい。これなら不味くなる心配をしなくて済む。英國紳士がキューカンバー・サンドウィッチにマヨネィーズを用いないのは、マオンの料理人が佛國人なのを許してゐない證なのかも知れないと思ったが、自分で云いながら阿房なことをと切返したくなった。幾ら歴史は細部に宿り賜うとは云っても、ね。

 

 とは云え、残念なことに、ハムとマヨネィーズだけでは、些か弱い。決定力に欠けるというか、インパクト不足というか。そこそこ安定はしていても、武器が今ひとつ頼りないロボットのような感じがする。その強化策で

 「マヨネィーズにモジュール・カラシを追加すべし」

と最初に思いついたのはたれだろう。ペパーやガーリックではなく、辛子を撰んだのは、素晴しい着眼であつた。詰り前述の、ハ)が確定した瞬間である。

 調整には苦労があったらうな。マヨネィーズとの比率は当然だが、パンをべたつかせない粘度で、ハムの味を殺さず、それでいて辛子の風合いも必要で、試作試食再考の繰返しだったにちがいない。更に云えば、二百七十円で賣る條件を満たす必要もあって、開發のひとはきっと

 「ハムもパンもマヨネィーズも辛子も」

文字すら目にするのも、厭になったんじゃあなかろうか。と想像するに…わたしは、コンビニエンス・ストアの開發に知合いを持たない…、ハム・サンドを構成するイロハの均衡をいかに取るかが、要諦だったのだと思う。微妙な感覚と云っていいし、こういうのをセンスの一言で片附けるのは、ひどく乱雑だと云えはしまいか。

 

 ある朝、詰り仕事の前、でトーストを食べるのが億劫になったので買った二百七十円のハム・サンドを食べながら、そんなことを考えたわけです。高々二百七十円で何を云うんだろうねと苦笑を浮ぺる我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、それがこの手帖の藝風なんだから、そこはもう諦めてくれ玉えな。ハムやマヨネィーズ、辛子に曖昧で複雑な歴史があるのは、確かにそうなんだけれど、そういうのはハム史マヨネィーズ史辛子史、もっと広くハム・サンド史の専門家に任すのが、賢明な態度ってえものじゃあ、ありませんか。

775 閃き

 發祥に色々の説はあるらしいけれど、そこは触れない。わたしの印象だと、揚げた鶏肉を甘酢に漬け、タルタル・ソースを添えた料理が、チキン南蛮である。うまいですな。ごはんと一緒でいいし、麦酒にも合う。数ある鶏肉料理で番附けを作ったら、横綱大関は難しいにしても、前頭の上位…もしかして小結辺りの地位を得るのは間違いない。

 實際、お腹が空いた晝下り、定食屋の品書きに"チキン南蛮定食"の文字を見つけ、或はコンビニエンス・ストアやマーケットに"チキン南蛮弁当"があった時の

 「これでおれの空腹問題は解消した」

の安心感は大したもので、同じチキンでも、カツやソテーだとこうはゆかない。カツとソテーが弱いのではなく、南蛮が強すぎるので、カツとソテーの愛好家は嘆かなくてもよい。

 と。ここまで手放しの絶讚を捧げたが、果して本当なのだろうか。チキン南蛮を分解すると、鶏の唐揚げ(或は竜田揚げ、でなければ揚げ焼き)に、甘酢あんとタルタル・ソースである。食べものを分解するのに意味があるのかと訊かれたら、それあそうだと応じたい。応じつつ、うまいと思える要素を知るのに、他の方法は無かろうとも思う。

 それでチキン南蛮がうまいのは、チキンより甘酢あんとタルタル・ソースに、多くを負っている気がされる。そこに贔屓があるのは、認めなくちゃあならない。ことにタルタル・ソースはわたしの好物で、玉葱にハムにうで玉子なぞを混ぜたのが出ると、歓びの聲をば、上げざるを得なくなる。などと書いたら、我がすすどい讀者諸嬢諸氏から

 「要するに丸太は」

タルタル・ソース(と甘酢あんの組合せ)が好きなのではなかろうか、と指摘されるかも知れない。云われてみればその通りで、タルタル・ソースはソース族の一員なのに、それだけでもおかず…は流石に大袈裟なら、摘みになり得る。出自が些か特殊なのが、理由なのだと思えるが、いちいち踏み込むのは控えておく。

 ひとつ念を押すと、タルタル・ソースは、具の受け容れ幅がおそろしく広い。たくわんや辣韮、ピックルス、搾菜。そういうのを刻みいれると、味の表情が随分と変る。枝豆が入るのもうまい。基になるのはマヨネィーズだから、そう不味くなる心配もせずに済む。最も簡素に仕立てたのが、チキンに限らず、サモンや鯖にも似合うと思えば、表情の変化は味の樂みとまあ同じだと考えていい。

 やっと話がチキン南蛮に戻つて、甘酢のあんが中華料理から、タルタル・ソースはヨーロッパからやってきたのは、頭を捻るまでもない。併しいつ、たれが…というより、何を切っ掛けに、合体を思いついたのか。

 九州の土地柄、鶏肉は当り前に食べていたとして、中華式と西洋式が入り混ざる事情が判らない。肉と酢とソースの合体以前から、九州は外に開けていた(間口の広さは兎も角)のは間違いない。遥かに遡れば、大宰府辺りは列島で最先端の土地…都市だったし、近世を見ても、崎陽は西洋に向った針穴のような都市だった。異質な食べものが混在し、纏まれる土壌は、他の土地別の都市より濃かったと見てもいい。

 尤も、チキン南蛮の誕生地と目される日向は、瀬戸内側である。豊かに發展した歴史があっても、それは國内向け、海を挟む交流は、寧ろ伊豫が相手だったと思われる。宮崎の冷ツ汁とほぼ同じ食べものが、宇和島にもあるくらいだもの。

 「なーに。ややこしいことを考えなくたって、天才的な料理人の天才的な閃きだったのさ、きっと」

と断じて仕舞えれば話は早いのだが、背景が無ければ、閃きには到らない。背景とは幼い頃、親が何を食べさしたとか、周りの大人が何を食べていたとか、旅先で、店で、友人と、恋人と、或はひとりで、何を味わったか。味わっているか。そういう積み重ねが豊かになった時、不意に頭の端っこから飛び出るのが閃きの正体だろうと、わたしは睨んでいる。

 ここから話を、發想だとか秀才と天才の差異だとか、そっちに広げることも出來なくはないが、それはチキンに甘酢あんとタルタル・ソースを纏わせたたれか…もっと大きく、それを閃かせた日向の文化と呼ぶ方が、より正確だろう…に失礼な態度である。チキン南蛮…甘酢あんとタルタル・ソースとの組合せに舌鼓を打つて

 「矢つ張り、チキン南蛮はうまいね」

と呟きながら麦酒を呑み干すのが、和洋中を織り混ぜた閃きと、それを洗練さした人びとへの、正しい敬意の示し方ではないだろうか。

774 ユル

 弛緩といふ熟語はどちらも"ユルム"と訓める。

 心理肉体の張り詰めた感覚。

 世間さまの締めつけの感覚。

 さういふのがほぐれる気分を示してゐる気がする。堅苦しく"シカン"と訓むより"ユルム"方が、語感に適つてゐるのではないだらうか。

 と始めたのには、ちよつとした理由がある。多少、時事的な話もするけれど、その辺は勘弁してもらひますよ。

 武漢發と思はれる感染症が拡大して、一ばん迷惑を蒙つたのが飲食店…中でも酒場だつたのは、云ふまでもない。酒場が迷惑を蒙るのだから、酒呑みの我われが二次的な被害者になるのは当然で、この二年か三年は、僅かな例外はあるにしても、家で呑むしかなかつた。詰らない。かう云ふと

 「家で呑むのだつて、惡かあないよ」

好きな銘柄と、好きな摘みで、好きに呑めるんだから。さう反論が出るのは当然だし、その指摘は必ずしも誤りとは云へない。併し家に居て呑むと、どうしたつて、光熱費の支払ひだとか、明日の仕事の手筈だとか、由無し言が心をよぎる瞬間がある。興を削がれる。

 「さういふ由無し言を、横に措けるのが、呑む樂みぢやあなかつたか」

わたしは礼儀正しい男だから聲には出さないにしても、さう思ふのは事實でもある。動物園に行つて、蝙蝠に説教をしたくもなる。動物園の蝙蝠諸君に責任は無いのだけれど。

 由無し言から離れ、心身をユルメるには矢張り、酒場がいい。尊敬する吉田健一は自宅では呑まず、週に一度か月に何度か、決つた日にお晝から出掛けて呑んだといふ。洋食屋でシチューやフライと麦酒を平らげ、ビヤ・ホール、料理屋、焼き鳥屋、おでん屋、バーと渡り歩いたらしいから、話を半分にしても、随分な豪傑である。

 併し原稿を書き〆切に追はれ、出版社への義理だの、文壇のつきあひだの、重なるとしたら、肩も首も気分だつて凝るだらうとは、想像力を働かすまでもない。またそれをほぐすのに、たつぷりの時間と酒精、何より原稿の催促やら講演の依頼から、断然離れた空間が必要だとも。かういふ時、家にいいお酒があつても、呑みたくなるものだらうか。

 我われは批評家ではない。従つて〆切は勿論、座談會だの講演だのに追はれる心配も無い。ではあるが、吉田が知らなかつた締めつけを、我われが感じないと断じるのは間違ひので、さういふ夜…いや晝からでもかまはないが…の為に酒場はある。その酒場が實に長期間、暖簾を出さなかつたのだから、迷惑にも程度があると云ひたくなる。

 「自ら撰んで、出さなかつたわけではない」

 「さう。出せなかつたのだ」

酒場の大将や女将さん(マスターやマダム、ママも含めて)から、猛烈な反發をくらふだらうか。くらふだらうな。國と地方の首長が、営業の"自粛"や時間短縮を求めたのは

 「緊急事態宣言や蔓延防止措置だよ、うん」

だから、その反發は筋が通つてゐる。大体から"自粛ヲ求メル"つて、妙な云ひ廻しぢやあないか。酒場側が怒つたとしても無理はない。喫茶店のテイブルで奥さま方が二時間、お喋りに花を咲かすのと、ひとりで酒場に潜り込み、壜麦酒にもつ煮と串揚げで過す半時間と、どつちがましだらう。

 その宣言やら措置やら、或は注意喚起に、世間が従順でなくなつてきたのは、体感でいふと令和三年の終り頃からで、当り前の反応だつたと思ふ。出しては解除されたそれらの中身が都度、同じと呼べる程度だつたもの。すりやあ

 「ふざけられちやあ、こまる」

さう感じない方が、どうかしてゐる。前回の發令中の効果を検証した結果の同じ中身なら、多少は我慢の余地も残つた筈なのに。検証をするだけの時間も労力も知見も無かつたと、想像は出來るけれど、阿房な態度を撰んだものだと思ふ。

 ま。惡くちはこれくらゐで収めませう。この手帖にも、保ちたい品位はある…疑念の余地は認めるけれど。

 發生と拡大と変異と(ある程度の)沈静化を経た我われは、嗽と手洗ひとマスクの常用、後は当面續くだらう定期的なワクチンの接種で、相当程度、感染や發症を防げる、と學んだ筈である。ごく簡単に、節度を持つた行動と纏めてもいい。實際、わたしの周辺ではわたしも含め、家族親族、友人知人とそのご家族のたれひとり、感染も發症もしてゐない。

 「それは皆が我慢した結果である」

 「もう暫く我慢を續けつつ、当面は様子を見て、適切に判断し、次に移るのが望ましく、また正しいのだ」

と反論されるだらうが、では枯野を焼く焔のやうな速さと規模の感染は一応、収つてゐる現状、何が"次に移る"起点になるのだらう。さういふ人びとは、その起点になつても、今暫し"様子を見"續けるべきだと主張するのではなからうか。わたしはこつそり、惡しき完全主義者と呼んでゐる。

 当面といふのなら、この腹立たしい感染症は当面…もしかしてこれからもあり續ける。様子を見たいひとを止めはしないけれど、そこまでお付きあひをするのは、終りと決めた。人間、いつまでも家に籠るわけにはゆかないのだ。

 ここまでが、令和四年皐月をもつて、酒場行きを解禁した紆余曲折…即ち前置き。自分で云ふのも何だが、こんなに長くなるとは思はなかつた。それである金曜日、仕事終りに某所の某酒場…立呑屋に足を運んだ。長の御無沙汰である。

 カウンタで六人、詰めて八人。

 テイブルがふたつ、あはせて八人。

 それくらゐの小さなお店で、摘みがうまい。摘みがうまければ、酒精の味も佳くなるのは、世界の数少い眞實のひとつである。どうも今晩はと入つたら

 「や。丸さんぢやあないの」

と迎へられて安心してカウンタに場所を取つた。麦酒から始めたくなつて、赤ラベルにした。このお店は妙なことに、冷藏庫がカウンタ側にある。一本出して、もらひますよと云つたら、隣のお姉さん(顔を知つてゐる)が

 「久しぶりよねえ」

と最初の一ぱいを注いでくれた。嬉しくなつた。周りのお客と乾盃して呑んだら、まつたく旨かつた。たれが書いたのだつたか、壜麦酒は(樽詰めとちがつて)、いつ呑んでも同じ味だからいいといふ意味の一文を目にした記憶があるが、断然まちがひである。樽詰め麦酒の味が、壜詰めに較べて、注ぎ手の技量に頼るところまではその通りだが、麦酒は腕で呑むものではない。

 いきなり出たお摘みを見て、困つたなあと思つた。豚の内蔵を塩茹でしたらしいのと、さつと焚いてある貝まではいいのだが、もみぢ…鶏の足先は、どう食べればいいのか、見当がつきかねた。すすどい爪があるのも気味が惡い。そもそも食べる部分があるのか知ら。こちらの困惑顔を、ママさんも他のお客も笑つたのは、もみぢは冗談で用意したらしく、先客(但し男に限る)も引つ掛つた所為らしい。なんだ、をかしいと思つたのだよ。

 改めてお店の流儀で、お摘みを出してもらつた。大振りの鉢に、煮ものや和へもの、焼きものが盛つてあつて、好みの三種を撰べる。

 卯の花

 蕪の酢のもの。

 柳葉魚の南蛮漬け仕立て。

 これあ、お酒にしなくちやあね。と考へるのは当然の話で[OPUS]といふのを試した。豪州の酒米で醸つたらしい。味はひについて云々するのは避けるけれど、三点のお摘みにうまく引き立てられてゐた。醸り手が凝りすぎ、おれがおれがと前に出て、摘みに目を瞑つてしまふお酒(さういふのが少からずあるのは残念でならない)より、好感を抱いていい。

 沈黙のまま呑む筈はない。莫迦みたいに大聲を立てないだけのことである。酒場は知らない者同士が顔をつきあはす場所なのだから、当り前の態度といふものだ。黙食なんて気色の惡い言葉なんぞ、蹴散らしても咜られる心配はなからう。尤も何を喋つたか、丸で記憶に無い。酒場のお喋りなぞ、そのくらゐが丁度いいんである。

 赤ラベルを注いでくれたお姉さんが前夜、誕生日だつたと聞いたから、お祝ひ代りにヰスキィを一ぱい、奢らしてもらつて、お仕舞ひにした。存分にユルんで家に帰り、速やかに蒲団へ潜り込んだのは云ふまでもない。

773 列車と習慣に就て

 列車と云ふのだから、通勤電車とはちがふ。通勤電車にだつて習慣があるのは勿論として、何時何分どこ驛發の何輌目の何番扉辺から乗るとか、そんなところでせう。後はスマートフォンでニューズや天気予報を確めるとか、眞面目な會社員ならメールその他のチェックをするんだらう。わたしは不眞面目な社會人だから、しないけれど。仮にしてゐても、さういふことから話を拡げるのは、わたしの手にあまる。

 

 おほむね年に一往復か二往復、東京新大阪間の東海道新幹線を使ふ。

 西上は大体、こだま號。

 東下はのぞみ號かひかり號。

 先づこれが習慣である。西上にのぞみ號(乃至ひかり號)を使つてはならないわけではなく、事情と必要によつては、そちらを撰びもする。

 どれに乗るとしても、指定席でDを取る。D席は二人掛けの通路側。喫煙者でトイレの近い男には具合がいい。これも習慣。余程空いてゐるか、指定席が取れないくらゐの混雑なら、自由席にするけれど。

 西上のこだま號では、罐麦酒を二本、葡萄酒の半壜かお酒を二合。お弁当にナッツかチーズ。新横浜驛を過ぎた辺りで先づごはん。おかずは原則として麦酒の摘み。焼き魚や煮ものを少し残して、チーズと一緒に葡萄酒のお供にする。それでだらだらと(居眠りも挟みつつ)米原辺まで。過去の手帖を捲るのは省くが、五年以上は續いてゐるから、習慣になつたと云つてもよささうに思ふ。

 東下では残念ながら、そこまで暢気にかまへられない。この二年ほどは罐麦酒を(矢張り)二本と、サンドウィッチの組合せに落ちつきつつある。葡萄酒やお酒は呑まない。京都驛を出てから始め、名古屋を過ぎた辺りで終る。乗り込む前、かるく食事を済ませてあるから、その程度でも困らない。それに着到の時間帯次第で、そのまま呑みにも行けもすると思へば、寧ろ適切と云へなくもない。これから三年も續けば、新しい習慣が出來ることになる。

 

 何年か前までは、初冬…霜月の頃になると、新宿發の特別急行列車、あずさ號で甲府に出掛けてゐた。ヌーヴォが出たお祭りが終つた勝沼甲府は實に穏やかで、紅葉と富士の姿を堪能するには具合が宜しい。

 三鷹驛を過ぎたら、罐麦酒でお弁当をやつつける。それから葡萄酒半壜。カップのお酒にすることもある。撰択はお弁当次第だが、洋風だから葡萄酒、和風だからお酒とは限らない。厚揚げを焚いたのなんて、案外なほど、葡萄酒に似合ひますよ。或はタルタル・ソースをたつぷり使つたチキン南蛮にお酒をあはすのもうまい。どんな組合せにするのか頭を捻るのも乗車前の樂みであつて…話が逸れる、留めませう。

 新宿から甲府までは大体一時間半。新幹線に較べると些か短くはあるが、あずさ號はさうだと思へば、それほど気にはならない。甲府驛に着到するのは醉ひを感じた辺りで、ワイナリでもヰスキィの醸造所でも、いい気分で訪ねられる。

 復路のあずさ號は、甲府驛に隣接する百貨店と呼べばいいのか、そこに入つてゐる酒屋でカップの葡萄酒と罐麦酒、隣にある持帰り専門の焼き鳥屋でたれを二本か三本、買ひ込んであずさ號に乗る。焼き鳥のたれと葡萄酒は、フランス人の知らない取合せなんですよ。往路より随分と簡素なのは、居眠りの時間が長いからで、理窟に適つた習慣なのだと云つておく。尤も近年は甲府行きも無沙汰をしてゐるので、習慣だつたと過去形にするのが正しいかも知れない。

 

 さういふ習慣を持つのが、いいことなのか、判らない。

 一定の型があるのは安心する、と見るのは正しく、決つた型に安住する怠惰でいかん、と見るのもまた正しい。わたしはどちらかと云ふと、前者に与する。話を少し広げると、吉例や恒例には、時間の区切りを示す役割があるでせう。お正月を考へたらいい。朝から一ぱい呑んで、お雑煮を食べ(お餅は何個食べませうか)、御節を摘めば、年の始めのいい気分になれる。御節でなくとも、麦酒とソーセイジとザワークラウト、焼酎に豚の角煮、紹興酒に水餃子でも何でもいいんだが、時節の区切りに、何を呑みまた食べるか、決つてゐるのは気分がいい。

 そんなでもないなあ、と思ふひとまでは、こちらの知つたことではない。

 えーと。それでですね。さういつた幾つかの区切り…吉例や恒例を、うんと矮小にすると、初冬のあずさ號や年末のこだま號に繋がるのではないか。そろそろ切符を手配しなくちやあと思ひながら、何摘みに何を呑まうか、考へるのは樂みなもので、その樂みはひよつとすると、呑み且つ食べることに勝るかも知れない。いや半ば本気で云ふんですよ、わたしは。そしてその場合、ある程度であつても、型が定つてゐる方がいい。文字通りの自由は存外、不便でもあつて、何かしらの制約…習慣を持つておけば、如何にうまく収め、また外すかの工夫が生れ…さうな気がする。こだま號でのお酒にチーズや、のぞみ號の麦酒とサンドウィッチ、あずさ號の葡萄酒と焼き鳥は、その一例である。外の特別急行列車では、今のところ、習慣を持合せない。

772 "ギャラリー 居酒屋"に就て

 飲み屋というものがいかにありがたい存在かということは知っている。画家が自分の絵をならべて個展をするように、飲み屋というのはあるじ自身の人間の個展なのである。人はその人間に触れにゆくわけで、酒そのものを飲むなら、自動販売機の前でイスを置いて飲んでいればいいのである。

 

 上の一節は司馬遼太郎の『街道をゆく』第廿七巻/檮原街道のくだりにある。呑み屋に居る己を、個展になぞらへるのは、如何にも譬喩上手の司馬らしく、すつかり感心した。世の呑み助は参考にして、これからは呑みに行くと云ふ代り、何々屋で個展を開くのだと宣するのがいい。

 前後の事情を簡単に説明すると、檮原は土佐の山奥。幕末の頃、血の熱い土佐人はここを脱け、伊豫へ向つた。その檮原を訪ねた司馬は(云ふまでもなく『竜馬がゆく』を書くにあたり、散々調べたにちがひない)、町のひとに酒席に招かれ、有難いと思ひつつ、また困惑もしつつ考へたらしい。

 

 困惑には理由がある。『街道をゆく』を讀むと、この小説家兼随筆家は、飲みまた食べることに、驚くほど淡泊なのが判る。精々がどこかのドライヴ・インでとんかつ定食を註文するか、立ち寄つた場所にあつたソバを啜る程度で、不満を洩らす気配もない。稀にソバは旨かつたと記しはしても、何がどう旨かつたのか、さつぱり判らない。

 「目的地に辿り着く為に、腹が脹れれば、飲食の役割は十分に果されるのである」

露骨には云はないけれど(司馬には更に偏食の気もあつたらしい)、土地に根づいたお酒や料理に一片の興味も示さないのだから、云つてゐるのと同じである。まさか客人がそんなたちとは思はなかつた檮原人も、困惑しただらうと思ふと、何やら滑稽な感じもする。

 

 冒頭の引用に戻ると、司馬の興味が、呑む場所そのものでなく、飲み屋を訪ねる人びとに向いてゐるのは明かである。でもなければ、"ギャラリー 飲み屋"といふ發想は生れまい。

 但し呑む行為自体の愉快は、他者の体験談や文章(たとへばかれ好みの逸話)で知つてゐても、我が身で体験は出來なかつたのだとも思ふ。さうでないと、呑むだけなら

 「自動販売機の前でイスを置いて飲んでいればいい」

など、殺風景きはまることは云へないだらう。あの實證的な作家にして、さういふ一面があつたのを、わたしは残念がりながら、好もしいとも思ふ。好もしいと思ふのは、眞似をしたい意味ではないけれども。

 

 併しわたしは、"販賣機の前にイスを置いて"呑むのは、我慢がならない。そこで話は"ギャラリー 居酒屋"に移つて、いやその前に"ギャラリー 居酒屋"は、わたしの(勝手な)造語なので、司馬に責任は無いと念は押しておく。

 呑み屋で外のお客が何を呑み、また摘んでゐるかは、確かに気になる。いつだつたか、どこかほカウンタで呑んでゐた時、少し離れた席の(元)お嬢さんが、雑魚天を肴に麦酒をやつつけてゐるのを見た。因みに云ふ、雑魚天は伊豫の食べもの。小魚を擂り揚げた、薩摩揚げの親戚筋にあたる。生姜醤油で囓ると、ごりごりした歯触りがうまい。東都では中々見掛けないので、大慌てで註文した。この時のわたしは、"ギャラリー 居酒屋"の見物人だつたと云へる。

 勿論逆もあり得る。稀に何を摘んでますかと訊かれもして(こつちが訊くこともある)、"ギャラリー 居酒屋"では、出品者と見物人の立場が、常に錯綜してゐると云つていい。實のところ、お酒の味には、その錯綜も含まれてゐる。更には販賣機前の椅子に、どかりと坐つて悠々呑むのも、司馬の云ふ

 「あるじ自身の人間の個展」

のひとつの姿であり、お酒の味はひの一種でもあつて(わたしは我慢ならないけれど、それはこちらの事情である)、あれだけ観察眼に優れたひとが、そこに気附かなかつたのは不思議でならない。まあ疑念はさて措かう。目下の問題は、その"ギャラリー 居酒屋"で、個展を開く機會に中々恵まれない点にある。こちらとしては、いつでもいい。檮原の人びとには、招待してくださらないだらうか。