閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1425 面倒な天下人

 日本史を振り返つた時、能力や實績を評価は吝かでないにしても、好感を持てない人物が何人か、ゐる。

 たとへば源頼朝。

 たとへば足利尊氏。

 それから徳川家康。

 何故と云はれたつて、好惡に属することだもの、説明は六つかしい。敢て云へば、私のとほい御先祖は平家に縁があつたらしい(但し贋の家系傳)から、源氏に好意を感じないのかも知れない。日本史好きの讀者諸嬢諸氏だつて、きつと似た感覚をお持ちではあるまいか。

 

 ことに私の場合、家康がどうにも好きになれない。優れた武将なのは間違ひない。権力を打ち立て、維持する体制作りは巧妙だつた。行政家の面を見ても、冷酷ではあつたが、残酷ではなく、現實的な遂行力を持合せた人物と云つていい。特に最後の点は、頼朝や尊氏には(もしかすると決定的に)、欠け落ちてゐたとも思ふ。

 併し所詮、“それだけの男”ではないか。

 腹の底で、さう呟く自分がゐるのも事實。東海の人びとよ、怒るなかれ。私の感想に過ぎないから。

 では何故、さう呟きたくなるのだらう。といふより、ぜんたい何を指して、“それだけ”と感じるのだらう。

 思ふに家康は、生眞面目で實直で保守的な、阿彌陀佛信仰の農家の親仁だつた…いや、親仁であり續けたからではなからうか。ほら、優秀だけれど、面白みに欠けてゐて、仕事の同僚としてなら兎も角、酒席食卓は共にしたくないひと、貴女の周りにも、ゐるでせう。ああいふ感じがある。それもつよく感じる。

 

 まつたく、詰らんやつだなあ。

 さう笑つてばつさり斬り捨てられれば、いいのだが、繰返すとあの男は民政家としても優秀だつた。一例を挙げると、入府当時は清潔な水が足りなかつた江戸に、上水を引いたのは、この人物だつた。直前の織豊期に、かういふ發想…意識はなかつたか、あつても稀薄だつたらう。まして頼朝尊氏の頭には、浮びもしなかつたにちがひなく、詰り炯眼と云はざるを得ない。

 尤もこれは、自分の土地を、舐めるやうに磨かうとする、庄屋豪農の態度とも云へる。さう云へば前代の甲斐國國主、武田信玄にも、その気質はあつた。曖昧な記憶だと、駿河の庄屋は甲斐の入道を尊敬してゐたらしいから、見倣つたとも想像出來る。と云へば

 「だつたら信玄を相手にしても、“それだけの詰らんやつ”呼ばはりするのか」

と、東海方面から突つ込まれさうに思ふが、かの入道には庄屋気質のほか、無類の戰上手に加へ、上洛の道中で客死する悲劇まであつた。後世の我われから見ると、何とも花やかに映るが、家康には、その気配が丸きり、感じられない。

 「花やぎなぞ、何の役に立つものかよ」

本気でさう考へてゐたに決つてゐる。叉そんな思考の男でなければ、大坂ノ陣と関ヶ原で、豊臣とその残党を擂り潰し、天下を取れなかつたのも間違ひない。まああれは、多分に豊臣方の自滅ではあつたけれど、家康の見事過ぎた(マキャベリズム的とも云ひたくなる)詐略…だから古い大坂人は、あの男を“狸親仁”呼ばはりするのだ…が、大きな役割を果したのも確かではないか。

 

 「褒めてゐるのか、貶してゐるのか」

ここまで讀んだ貴女はきつと、首を捻つてゐるでせう。私も實は、よく判つてない。好惡を含め、毀誉褒貶が混つてしまふのが、家康である。まつたく面倒な天下人と云ふべきで、頼朝や尊氏は勿論、信長秀吉からも、この手の面倒くささは感じられない。今さらながら、登場願ふのではなかつたと、少々後悔してゐる。

1424 年表

 歴史的な何事かを調べ、或は考へる際には、年表を眺めることが多い。その背景を摑みたいのが主な理由。まあ当り前であつて、だからこの稿では、主ではない方の理由に触れてゆかうと思ふ。それで話は、具体的に進める方が、よささうでもある。ここでは私が大きに好む、大蒜を題材にしませう。

 

 日本への傳來は八世紀頃といふが、正確な時期は例によつて、はつきりしない。

 原産は中央アジアといふ。五千年余り遡つた、統一王朝が成り立つ前のエジプトでは、既に栽培されてゐたらしい。それが東に進み、前漢期に端つこまで到達した。この少し前、ローマを苦しめに苦しめたカルタゴが、滅亡してゐる。そこからほぼ千年過ぎて、やうやく我われの島國に渡つてきた。歴史区分で云へば、ほぼ奈良朝の時代にあたる。

 大寳律令の完成。

 藤原四家の成立。

 『古事記』と『日本書紀』が編纂されたのは、倭…日本(の一部)に、“歴史への意識”が生れた證だらう。

 佛教がはつきり、受け容れられたのもこの頃。

 要するに未熟な蕃國の首が、やつとこさ、坐り始めたのが、八世紀だつたと見てもいい。

 海を隔てた唐…当時のアジアでは、間違ひなく最大の文明國…は最盛期だつた。李白に杜甫に王維、顔真卿。日本に有縁のひとなら鑑眞を挙げませうか。

 そこから更に西へ向ふと、モン・サン・ミシェルの原型が出來たのも、カール大帝の即位も、この世紀であつて、同じ世紀の我が國は、聖武帝と桓武帝の御代。文藝では大伴家持、淡海三船。佛教絡みなら、行基による東大寺の毘盧遮那佛建立に、弓削道鏡と和気清麻呂。何と云ふか、矮さい。辛うじて國際的と思へるのは阿倍仲麻呂くらゐで、西方のあれこれと見較べたら、せせこましさを感じざるを得ませんな。

 大蒜はどうやらその時期、唐朝を経て傳來したと思へる。あの当時の日本に、海外と貿易をするだけの國力はなかつたから、十回の遣唐使(但しその内三回は中止)のいづれかと想像するのが、まあ妥当だらう。もしかすると、來日僧が経典と共に、齎したかも知れない。五蘊は厭はれたらうと反論されたら、あの頃の大蒜は、滋養強壮の藥のやうな扱ひだつたと、再反論したい。

 尤もそのお寺が、五蘊を好もしく扱はなかつたのは事實である。そもそも肉食の習慣がうすかつた日本の食卓で、大蒜を用ゐるのは如何にも六つかしい。あの匂ひのきつい野菜は、こつてりした調理でこそ、本領を發揮するでせう。未開野蛮ー訂正、簡潔淡泊な調理法しか持たなかつたこの國では当初、香りつけが精々だつたにちがひない。いはゆる食材として扱はれるまでには、余程の時間を要したらう。

 そこで不思議なのは、大蒜の受容史…癖がある割に地味だつた筈が、忘れらず、生き残つた理由で、これは叉、別の機會に時間を掛けて調べなくては、判らない。

 

 ここまでが、幾つかの年表を見つつ、書けたこと。

 話を膨らますのは、この稿の目的から外れてしまふから、控へたけれど、その気になつたら、たつぷりの分量に出來はする。

 たとへばこの時期から僅かに下つた時代に生きた空海は、長安で大蒜をあしらつた料理を口にしただらうか、といふ疑問。当時の長安は世界有数の大都市だつた。(東)ローマや西域から傳はつた、大蒜を使つた食べものがあつても不思議ではなく、空海といふひとは、五蘊の精力剤的な効能を知つたからと云つて、気にしなかつたかと思はれる。こんなことを云つたら、高野山から咤られるかも知れないけれど。

 こんな風に想像…妄想を逞しう出來るのも、年表を眺める主ではない樂みと思ふのだが、眞面目な歴史家や研究者は、厭な顔をするだらうか。

1423 調べない

 令和のインターネットはたいへん便利だから、判らないと思つたことは、直ぐに調べられる。スマートフォンが手元にあれば、場所を撰ばずにも済む。尤も大半は一次資料ではない。従つて調べた結果の信憑性には、疑念が残り、叉それにも関らず、結果を正しいと見るひとが少からずゐる点には、批判的な気分を感じるけれど。

 

 堅苦しい話を、する積りではなかつた。

 學術的な論考なら兎も角、この手帖の文章を書くくらゐで、話の種に就て、大摑みに調べるだけでよければ、役に立つのは間違ひない。私だとメーカーや協會のWebサイトを見ることが多い。更にWikipedia辺りで、該当する時代の年表を眺めれば、大まかな時代の俯瞰も出來る。書き易い。まこと便利な世の中だなあ。

 尤もかういふ便利さが、時に面倒に感じられるのも、一方の本音ではある。尊敬する吉田健一は、詩を引用する際、記憶で書いたといふ。然も少からず間違ひがあつたさうで、編輯者はえらく苦労したとか。吉田にとつての詩は、“暗誦するもの”だつたから、いちいち確かめないのは当り前で、誤りを指摘されると寧ろ、不思議な顔つきになつたらしい。

 

 何を云ふのだ、丸太は、一体。

 親愛なる讀者諸嬢諸氏も、きつと不思議な顔つきになるだらう。私も忘れる前に大慌てで云ふと、“調べない樂み”が、あるのではないか。ことに會話の中では、思ひだせないことも愉快なので、スマートフォンを弄られると、興醒めしてしまふ。さう云へばある晩、馴染んだ店でどうした弾みか、仮面ライダーの話題になつた。

 

 福士蒼汰、なでしこ、宇宙キターツに黄道の十二宮、それからアンガールズ。

 

 キーワードは色々と出てきたのに、肝腎のタイトルが中々…まつたく浮んでこない。實にもどかしく、そのもどかしさが樂かつた。序でに云へばこれが『仮面ライダー フォーゼ』と思ひだせたのは翌々日くらゐに。いやあの瞬間は、詰つてゐた栓が抜け、水が一ぺんに流れだしたやうな気持よさだつた。あの気分、素早く調べてゐたら、味はへなかつたらうな。

 暗誦が樂めるのは、記憶にあるからで、記憶に残るのは、骨に沁むくらゐ愛誦してゐるからで、転じて随筆なり批評なりで引用するには、そこまで沁みこますのが本來であらう。(呑み屋での)會話だつて、我が身に沁みついた種でないと、身が入らない。興醒めである。さう考へると、スマートフォンの便利な検索は、その便利さゆゑ、かへつて邪魔になる…場合がある、とも云へる。

 

 併し思ひだせないと、話が進まないでせう。

 との心配は御無用。話が進まない…キーワードだけを云ひあひ、記憶の棚を引つ繰り返す時間は、實のない議論と共に、それ自体が酒菜だもの。齢経りた小父さんだけの娯樂かも知れないけれども、我がわかい讀者諸嬢諸氏だつて、遅かれ早かれ、そこに行き着くのだからね。覚悟しておき玉へ。その時に到つたら、調べない…記憶に頼れる樂みは、先づインターネットの便利から、距離を置いた人間の特権と判つてもらへると思ふのだが、流石に無理のある理窟だらうか。

1422 按配

 この手帖の更新は(多少の例外は含みつつ)、毎週の月水金曜日、正午としてゐる。我が聡明な讀者諸嬢諸氏には既にお察しのとほり、その更新は“はてなブログ”の予約投稿機能を使つてゐる。實際この稿も、書き始めたのは水無月の中頃。さうでもしなくちやあ、週に三日の更新なんか、出來るものか。

 いやこれは失礼。

 落ち着きませう。

 實のところ、私のやうな淺學菲才の身に、週に三度の更新は厳しい。話の種がさうさうあるわけでなし、無理やり進めてゐる感覚も、無くはない。そもそも文章の質と量は、必ずしも比例しないから、数をこなして、この手帖の質が高まる期待は持ちにくい。我がことながら、何だかさみしくなつてきた。

 では仮に、この手帖の更新を、不定期(叉は週一度くらゐ)にしたら、どうだらう。話の種をひとつ、じつくり考へたら、少しはましな一本を書けさうな気がする。それは勿論、勘違ひかも知れないけれど、期待するだけなら、かまひはしないでせう。但し定期的な更新が、ある程度でも、質を担保出來る可能性も、一方にはある。丸太程度の文章力で、質も何も…と苦笑ひされたら、身も蓋も無い。これでも向上心は持合せてゐるのですよ。

 要するにその辺の按配を、どう調へるか。これが中々六つかしい。何故かと云ふに私は、質はどうあれ、書くことそれ自体を好んでゐるから。ある小説家が、書く理由を訊かれて、自分の頭の中にどうかすると、人物や物語の欠片がふはふは浮んできて、纏めないと落ちつかないからなんだ、と応じてゐたのを思ひだす。名を成した小説家と、素人に過ぎない自分を較べるのは、如何なものか…などと思ひつつ、その気分は何となく、解る気もする。莫迦ばかしい疑問や興味が、脈絡もなくふはりと浮んできて、書かないと落ちつかなくてこまる気分。まことに厄介な趣味だなあ。糠漬けを摘み、壜麦酒を平らげつつ、そんな風に考へた。按配をどうするかは、まだ決めてゐない。

1421 胸痛碌(14)VAPING

 

 令和八年も半分が終る。

 今年が明けてからこつち、あれこれ慌しくつて、我が胸の具合まで、気を配る余裕は殆ど、なかつた。まあ裏を返すなら、それで済む程度に、調子は安定してゐると考へられる。

 併し変らぬ問題は烟草である。

 まだ詰らん愚痴を云ふのか、と思はれてはこまる。卅年余、喫ひ續けた習慣なのだ。さう簡単に無かつたことに出來るものか。それに尊敬する内田百閒や、丸谷才一も、喫煙者だつた。両先生の愛讀者であり、私淑者でもある私としては、文藝が及ばぬ分、見倣ひたいと思はなくもない。尤も丸谷先生は晩年、禁煙されたさうだが、長寿でありつつの禁煙だつた。例外と云つていい。

 さういふ点は、見倣はんで宜しい。咤られるのは間違ひないし、叉それは正しい咤責でもある。第一、仮に喫しでもしたら、小沼先生から、どんな言葉をかけられるか、想像もしたくない。

 それでこの懊悩の要点を考へるに、烟ではないか。

 そこで(或は止む事を得ず)VAPEに手を出した。

 味つけ水分を、水蒸気にして吸ふやつ、使ひ捨てで、ニコチンレスが謳ひ文句。

 iQOSにも、似たのがあるけれど、初期投資が必要な上、煙草にも転用出來る。これは好もしくない。好もしくないも何も…と話が進んでは、具合が惡い。兎にも角にも、近所のドラッグストアで、投げ賣りされてゐたのを、ドラッグストア扱ひなら少しはましだらうと、自分に理窟を附けつつ、幾つか贖つてみた。

 封を開けて吸ふだけ。

 充電も何も要らない。

 正直なところまづい。

 包装では果物系の味つけと思はれるが、そんな印象はない。投げ賣り価格(三百円くらゐ)でなければ、きつと何かに(たれか、ではなく)八ツ当りせずには、をられなかつたらう。ただ、一口二口、蒸気を入れるだけで済むのは便利である。紙巻烟草の場合、一度火を点けると、五分かそこらはかかつたから、気らくさは勝る。

 ここで念を押すと、ニコチンレスを謳つてゐるからと云つて、VAPEの安全性が担保されてゐるのではない。小沼先生に以前、訊いたところ、からだへの影響に就ては、有意のデータが無いし、そんなら禁煙ガムを嚙みなさいと応じられてもゐる。御尤も。お医者さまの立場としたら、当然の言である。

 まあここは…と居直るのだが…、烟草よりは多少、ましだらうから、気休め程度にVAPINGをするくらゐは、許してもらへるのではなからうか。いや矢張り、先生には内緒にしなくては、いけないけれども。