閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

004 ホットドッグ・プレイヤー

 もう二十年くらゐ前の話。仕入れと社員旅行を兼ねたアメリカ行きで、サンフランシスコかネバダだつたと思ふが、ボールパークで、とんでもなくまづいホットドッグを喰つたことがある。パンに挟まれてゐたのは、茹でたソーセイジ、キヤベツ、刻んだオニオン。以上であつた。何かを省略したのではない。

 

 一粒のマスタード

 一滴のケチャップ。

 

 その陰がなければ、匂ひも感じられないホットドッグだつたからで、想像してみ玉へ。アメリカで喰ふ、マスタードも、ケチャップもない、ホットドッグである。『一人だけの軍隊』(それとも映画『ランボー』の原作といふ方が早いか)の冒頭、ジョン・ランボーが、玉葱抜きのホットドッグを註文したのに、食べようとすると、玉葱が入つてゐるのに気がついて、うんざりする場面があるけれど、その程度なら何と云ふこともないさ。ソーセイジとキヤベツとオニオンだけのホットドッグに較べれば。ここでボールパークの名誉の為に云ひ添へると、ベースボール見物に同道した他の面々のホットドッグには、マスタードケチャップもたつぷり、あしらはれてゐた。あつちを食べてゐたら、この閑文字の冒頭は、とんでもなく美味いとなつてゐただらう。

 

 因みに云ふ。アメリカのナショナル・ホットドッグ・ソーセイジ評議会(権威がありさうな名前である)の聲明(多分2015年頃)によると、ホットドッグは"断じてサンドウィッチではない"らしい。議長のジャネット・ライリー曰く

 

『それ(即ちホットドッグ)は、歓びの感嘆符であり、食べものであり、自慢を意味する動詞であり、絵文字ですらある、まさにそれは獨自の食種に分類される』

 

『(ホットドッグを)"サンドウィッチの一種"として、その重要性を貶めるのは、ダライ・ラマを、ただの小父さんと呼ぶやうなもの』

 

なのだといふ。いいですね、この莫迦ばかしさと大眞面目な顔つきの混ざり具合。かういふ場合、どうでもいいとか関係ないとか云ひ出すのは詰らない態度である。さうださうだと手を拍つのもよし、いやあ矢張りサンドウィッチ(の一種)でせうと一大論陣を…勿論大眞面目にですよ…展開するのもよし。冗談は先づ、大笑ひしなくちやあ。わたしはアメリカといふ國から溢れる、善意そのもののお節介を、時にひどく鬱陶しく思ふのだが、スポーツの愉しみ方と、眞顔の冗談(たとへばフライング・スパゲッティ・モンスターもそのひとつ)は大したものだと認めるのに、躊躇ひはない。

 

 さて前述のナショナル・ホットドッグ・ソーセイジ評議会は、高らかな宣言の他にも、幾つかのガイドラインを示してゐる。これがまた大眞面目で面白いので、書きつけると

 

・十八歳以上はケチャップをかけて食べるべきではない。

マスタード、チーズ、玉葱等のトッピングに問題はない。

・トッピングは必ずソーセイジの上とする。下から順にソース類(マスタードやチリー・ソース)、刻んだオニオン等の野菜類。チーズやスパイス。

・盛りつけは必ず紙皿に。

・五口以内に食べること(大きなサイズなら七口)

・ナプキンは布ではなく紙を用ゐる。

・ホットドッグバーベキューの際は、葡萄酒を用意しない。麦酒、炭酸飲料、レモネードまたはアイスティが好もしい。

 

のださうで、七項しかないのが惜しまれる。頑張つて後三つ、加へておけば、ホットドッグ十戒を名乗れたのに。

 

 併しここでケチャップを使ふべきではないといふ意見…ガイドラインには驚かされた。そのくせチリー・ソースは、かまはないらしいのにも。もしかするとトッピングの"野菜類"にチリー・ビーンズが含まれてゐるのだらうか。何せこちらは、ホットドッグのソースと云へば、ケチャップとマスタードの両主演(ティム・バートンが監督した『バットマン』の、マイケル・キートンとジャック・ニコルスンのやうな)だと思つてゐた。豚まんを食べるなら、辛子と醤油は不可欠である。七味唐辛子と刻み葱の無い立ち喰ひ蕎麦は有り得ない。従つて、ホットドッグにマスタードだけでは不完全なのではあるまいかと疑問を呈せざるを得ず(論陣めいてきたね)、この点は評議会の再考を強く促しておきたい。但し最後にある"麦酒が好もしい"といふ点には大きに賛意を表する。ことにボールパークでホットドッグを頬張るなら、麦酒以外の撰択は浮ばないでせう。馬手に麦酒の紙コップ。弓手にホットドッグ。双手を操りながら、グラウンドに視線を送り、ファイン・プレーが出たら、口の中を空にして、大聲を張り上げなくてはならないから、まつたくのところ、慌ただしい。尤もそれがボールパークの正しい愉しみ方なのだから、仕方がない。

 

 前段で實は、ホットドッグの大きな利点が明らかになつてゐるのを、お気づきだらうか。ここで『料理歳時記』(好著です。中公文庫ビブリオ所収)で、著者の辰巳浜子さんが、我われに教へてくれたことを、我われは思ひ出さなくちやあ、ならない。曰く

 麦酒にあはせるのは、片手でつまめるものが望ましいと。

 卓見とはかういふことを指すのです。世界に眞實は数少ないけれども、これはその中のひとつに含められる。そして我がホットドッグは片手に収まり(流石に"つまめ"るほどではない)、適当な塩つぱさと脂つぽさの双方を兼ね、多少下品にかぶりついて、注意される心配もない…詰り麦酒のつまみとして、また麦酒にあはす軽食として、可也り完成度が高い食べものなのである。

 さて。褒めるだけでは些か不公平かと思へるので、ここから少し、ホットドッグに文句を云ふ。我が邦だけの事情かも知れないが、一体にパンがまづい。まづいが云ひ過ぎとしたら、ホットドッグにあつてゐない。他の所謂惣菜パンを食べれば明らかなのだが、甘すぎるんだな。ほら、給食のコッペパン、ああいふ感じ。ピーナツやカスタードのクリームならいいとして、ホットドッグには不釣合ひではなからうか。とは云へ、アメリカのパンがうまいのか…ホットドッグに釣合ふかの疑問は残る。伊丹十三の若書きのエセーに、英國だかどこだか、ヨーロッパの友人に、日本のパンはどんなものかと訊かれ、元の本が見当らないから記憶なのだが

 「白くて、ふはふはして、あまいんだ」

 「アメリカのパンみたいだな」

 「さう。似てゐるよ」

 「そりやあ、まづいや」

といつた会話があつた。かれがアメリカに手厳しいひとだつた分を差引きしても、あの國のパンが積極的にうまいとは考へにくい。最高級のパンと、最高級のソーセイジと、最高級マスタードがあれば、最高級のホットドッグが成り立つとは思はないが、最高のホットドッグの為に、最良のパンとソーセイジとマスタードの組合せはある筈で、ナショナル・ホットドッグ・ソーセイジ評議会日本ハム(何しろ球団を持つてゐる。責任は重大でせう)には、可及的速やかさをもつて、検討してもらひたいね。

 尤もボールパークの観客は試合に夢中で、そんな些細なことに気を取られてゐないかも知れず、だとすればそれはまつたく正しい態度。さう云へば、アメリカの野球俗語で、観客を昂奮させるプレイヤーを"ホットドッグ"と呼ぶのださうだ。