閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

007 女房おにぎり

 女房詞といふのがあります。宮廷の女官が使つた獨特の云ひ廻しで、お味噌汁をおみおつけと呼ぶやうなもの。このおみおつけには御御御付(け)や御味御付、御味御汁と幾つかの漢字が宛てられてゐる。これを見ると、"(お)み"と"(お)つけ"に分解出來るのが判りますね。女官がさういふことを意識したとは思へないけれど。

 一体に女房詞は、厭みな莫迦丁寧の要素をたつぷり含んだ隠語で、直截的なもの云ひをきらふ日本語…"ミカド"が典型的な例。"御門"の字で直ぐに解るでせう…の惡い部分を蒸留した印象…宮中にあがつた新入り(美貌が評判と相場が決つてゐる)を、貴女こんな言葉も知らないの、なんていぢめたんぢやあないか…がある。隠語なんてどれも厭みなものさと云つてもいいんだが、どうも女性だけの世界のそれは特別な気がされてならない。

 と惡くちを云つてから、まさかと思つて確かめてみると、おにぎりやおむすびも女房詞であるらしい。"お+にぎり(乃至むすび)"の形なのは云ふまでもなく、成る程にぎりもむすびも、そのものの姿を示してゐない。さうすると、炊いたお米を丸または三角または俵に纏めたあの食べものには、元々別の呼び名があつたのではないかとも思へてくるのだが、それは残念ながらよく判らない。もしかすると、にぎりめしだらうか。それともにぎりめし呼ばはりは後年で、最初は女官の好む食べものとして成り立つたのか知ら。

 ややこしくなるといけないので、ここからは基本的におにぎり表記を用ゐますが、そのおにぎりから最初に連想するのは、一連の『座頭市』である。あの映画は何かにつけ、おでん(串に刺さつてゐる)や団子(矢張り串刺し)、饂飩、蕎麦をあしらふ癖がある。中でもおにぎりは座頭の市もさうだし、出入り前のやくざも腹拵へにかぶりついてゐた。『座頭市』はいつからか、勝新太郎の嗜好がくつきり浮き出てくるけれど、おでんに食らひつき、おにぎりを貪る場面はそれ以前からあつたから、たとへば三隅研次辺りの手法を、勝が気に入つたのだらうか。

 さう云へば、食べものを上手く使へる映画監督に、たれがゐるでせうね。アニメイションなら宮崎駿か。『かリオストロの城』の後半、負傷したルパンがクラリスを救ける前、肉やチーズや果物を葡萄酒で流し込む場面を挙げておかう。押井守は、無闇に牛丼や立ち喰ひ蕎麦を使ふ癖がある。旨さうではないけれど、小道具としての扱ひは巧いと見るべきか。併しアニメイション以外だと直ぐに思ひ出せるのは『バベットの晩餐会』くらゐになつて、わたしが観てゐる映画なんて、高の知れた数だけれど、おにぎりを旨さうに頬張つた俳優は、勝新太郎の他、三船敏郎鶴田浩二高倉健も、また實兄の若山富三郎ですら、例がないのではないか。

 女房詞から随分と距離が出來ましたね。尤も女房詞は入口にしただけのことで、本当はおにぎりの話をしたかつた。いやしたかつたのではなく、これから始めますよ。

 おにぎりがいつ頃からあるか、よく判らない。弥生時代の遺跡から、炭化したおにぎりらしい食べものが見つかつてゐるさうだから、原形は米を常食しだした時期まで遡れるだらう。では米の常食はいつ頃からかといふ疑問が湧いてきて、要するにきりがない。第一、炊いた米を塊にして食べる理由が、どうにも曖昧でこまる。こまりはするが、先づ携行食だよ、と考へるのが、ここは素直でせうね。狩りや釣りに出掛ける際、用意したのではないか。古代の南洋の漁民は、丸木舟を出す時に、干した稗だか粟だかを積んださうで、これは明らかに携行食(または非常食)だが、どうやつて食べたのだらう。潮で潤びさせたのかとも思ふが、想像が追ひつかない。

 その点、おにぎりは判る。笹の葉だか何だかにくるんで持ち出し、水場で喰つたにちがひない。これだけだと、"おにぎりを持つてお散歩"だが、目的は狩りである。實態はもつとシビアで、獲物がなければ帰れないくらゐの外出だつたらう。独りで縄張りの外に出はしなかつた筈だから、食事の時間は交代で見張りを立てたかも知れないな。さうなると、弥生人が頬張つたのが、どんなおにぎりだつたのか、気になつてくる。少なくとも我われに馴染み深い白米のそれでなかつたのは確實でせうね。黒つぽかつたり、赤みを帯びたりしてゐただらう。ひよつとすると、粟や稗や豆、或は木の實を混ぜ込んで、嵩高くするくらゐの工夫もしてゐたか。今風に云ふと雑穀米のおにぎりに近い出來だつたと想像しても、見当外れにはならなささうな気がされる。

 但し、旨かつたか、どうか。

 あやしいなあ、こつちは。

 仮に混ぜものがあつたとして、それは味はひでなく、保存や荷物を減らす(詰り混ぜものがおかずの役目を果す)のが主な目的の筈で、ぱさぱさごそごそした、まづいものだつただらうね。

「おい相棒、さつさと獲物を仕留めて、帰らうぢやあないか」

「同感だよ相棒。こんなまづい塊にやあ、ほとほと厭きちまつたよ」

なんて会話があつたかは疑はしいけれど。となると、不肖の子孫である我われは、少なくともおにぎりに限れば、"おいしい"し、また"食べるのが樂しみ"な点で、随分と恵まれてゐると云へる。尤もわたしが少年だつた遠い昔のおにぎりは、随分簡素なものであつた。母または祖母が用意してくれたのは、小ぶりな俵型で、味つけ海苔巻きか、胡麻塩をまぶしたのか、おびいこ…一種の縮緬山椒だが、醤油だけで焚きしめる…を混ぜたごはんでのどれかだつた。かう書くと貧相な感じがされるけれど、實態は逆で、まつたく喜ばしい食卓であつた。幼な子や少女少年がおにぎりを好むのは世の中の常だし、それは贅沢な具や凝つた作り方を求めないものなのだ。

 そこでどんなおにぎりが好もしく、また嬉しいかといふ話に移ることになる。いやその前に、おにぎりには幾つかの基本的な分類があると思はれるので、そこから始めませう。

 先づは、具をごはんでくるんだ形。我われがおにぎりと聞いて、一ばん最初に浮ぶのが、この姿ではないでせうか。

 次は表面にまぶす形。海苔巻きが原形で、前述の胡麻塩が相当する。焼き(味噌)おにぎりは、この変形だと思はれる。

 もうひとつは、混ぜごはんを用ゐる形。五目寿司や炊き込みごはんのそれです。お赤飯をにぎつたのも、ここに入る。

 勿論これらは厳密に切り分けられるものではなない。たとへばどのコンビニエンス・ストアでも目にするツナとマヨネィーズのおにぎりは、くるんで海苔を巻いた、いはばハイブリッドだし、或はポーク・ランチョンミートを乗せ、海苔で帯をしたまぶし式の変形も珍しくなくなつた。ありきたりな云ひまはしを使へば、まさしく百花繚乱の様相であつて、近年は"おにぎらず"なんていふのまであるさうだから、この四字熟語では言葉が足りないかも知れないね。尤も十年余り前、沖縄のコンビニエンス・ストアで"おにぎらず"のやうな形状のを確か"おにサンド"の名前で賣つてゐた記憶はある。二百円くらゐ。腹に溜まるし、まづまづの味だつた。

 話を戻すと、わたしが一ばん好むのは、具がくるまれてゐる形。具だつてごくありきたりに、梅干しや昆布の佃煮、おかか、後は焼鮭をほぐしたやつや鶏のそぼろ辺りがあれば十分。讀者諸嬢諸氏の期待を裏切るみたいな当り前加減だけれど、開き直ればかういふ具は、長い長い時間を掛け、撰択された結果だから、ぽつと出のツナ・マヨネィーズ如きとは格がちがふ。ここにたくわん数切れと玉子焼きを加へれば、外で食べるにはまつたき組合せの完成、ではありますまいか。尤も狩りに持ち出すには緊張感が足りない気がするし、かういふお弁当だと、殿上の女を誘つても、女房詞でやんはりと断られるでせうね。