閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

008 藏が開いた日

 青梅奥多摩の小澤酒造は例年、神無月の第三土曜日に藏開きを催す。数奇者として行かない道理がない。

 

 それで雨を衝き、醉つ払ひ仲間の頴娃君と共に足を運んだ。普段は見學路にもなつてゐる藏の中で、順に利き酒が出來て、雨足の所為だらう、いつもより人影は少なめだつたが、足元が惡い空模様を気にせず出張る人びとだから、濃度が薄いとはとても、呼べなかつた。そこで呑ましてもらへたのが、登場順に以下の銘柄。

 

⚫️しぼりたて

 これが、主役。例年になく穏やかな出來なのに驚いた。速球が賣りで制球に難のある投手が、丁寧な投球を覚えた感じ。果實味が際立つてゐて、感心させられた。

 

⚫️元禄

 "元禄藏"といふ一ばん古い藏で、古風な醸し方をした銘柄。香りも味も可成り癖がある。利き猪口一ぱいくらゐならうまい。尤も頴娃君は敬シテ遠ザケてゐたけれども。

 

⚫️大辛口 純米

 小澤酒造の銘柄で、お目に掛り易い銘柄といへばこれだと思ふ。肴を撰ばず樂しめる。

 

⚫️蒼天 純米吟醸

 味はひと値段を考へれば、これが小澤酒造で…もしかすると東京の藏元で…撰べる最良の銘柄だとわたしは信じてゐる。廉且つ美味。魚に佳し。肉にもまた佳し。

 

⚫️東京藏人 生酛純米吟醸

 稍重め。但し重苦しくはない。まだ丁寧に呑む機会に恵まれてゐないから、論評は控へるとして、この試作品を呑んだ経験は、密かな自慢。

 

⚫️大吟醸

⚫️純米大吟醸

⚫️凰 大吟醸

 小澤酒造のいはば、フラグシップと呼ぶべき銘柄群。まづい道理はないのだが、さて呑むとして何をあてればいいだらう。さういふ意味で實に悩ましい。

 

⚫️一番汲み

 しぼりたての濾過前…所謂濁り酒。實はわたしが毎年、最も樂しみにするのがこれ。あまいけれど甘つたるくなく、ああ、新しいお酒を呑んでゐるなあといふ気分になる。

 

⚫️しぼりたて 純米生原酒

 予定…いや予想外の銘。生原酒といふ割りに、呑みくちは軽やか。生酒好みの頴娃君がえらく昂奮してゐた。

 

 旨いうまいと云ひながら、ぐるりと巡つて表に出ると、不思議なことにたつた十五分しか過ぎてゐなかつた。十種に味はふには短い筈なのに、堪能した気分であつた。

 ほろりと醉ひを感じた足取りで、休憩所に移つた。頴娃君は冷や酒一本にもつ煮を二はいも平らげた。わたしは紫蘇味噌豆腐を肴に、お燗酒を一本奢つた。その内、雨粒の数が目に見えて増えてきたので、宿まで退散することにした。勿論、一番汲みを買ふのは忘れなかつた。