閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

037 今は無い店

 閉店などといふのは別に珍しい話ではなくて、わたしが足を運ぶことの多い中野…ここでは東京都のある地域を指してゐる…でも、気がついたらある店が別の店になつてゐて、そんなに驚きはしない。今はさつぱり判らないが、新宿の歌舞伎町やゴールデン街だつてその辺は変らないんぢやあないかと思ふ。大体のところさういふ店は閉めるべくして閉めたのだらうなと考へれば済むのだが、どうも腹の底で困るよそれはと唸らざるを得ない時もなくはない。中野にあつた[角打ち 山ちゃん]といふ安呑み屋がそのひとつで、中々に旨かつたし客あしらひもよかつたのだが、いつの間にか大将が代つて、矢張り廉なチェーン店になつた。尤もそこを任された大将…いやこれは店長か、かれがまた上手に客をあしらつてゐたのにかれもまた気がついたらゐなくなつてゐた。實に詰らない話で、安呑み屋はひとで保つのをかるく見すぎてはゐないだらうか。併しわたしにとつて未だに納得し難いのは大坂は上新庄にあつた[レコードショップ ナカノ]で、呑み屋とはまつたく関はりはない。だつて“レコードショップ”なんだもの。
 レコードとカセットテイプからコンパクト・ディスクへと音樂のメディアが激変した時期がわたしの中學生から高校生にかけての時期でもあつた。無料か定額のダウンロードやストリーミングが当り前の我が讀者諸嬢諸氏には信じ難いだらうと思ふが、当時はシングル・レコードが1枚700円、LPレコードだと2,800円が相場で、コンパクト・ディスクだと邦樂で3,200円、洋樂なら3,500円くらゐした。アルバムの發表はLPレコードが前提で賣れさうなのは後からコンパクト・ディスク化されるのだが、1ヶ月とか2ヶ月とか遅れるのが当り前でもあつた。値段だけを見て極端なぼつたくりでもなからうと思ふ若いひともゐさうだが30年余り前の話である。単体のコンパクト・ディスク・プレイヤー(だからアンプやスピーカーは別)が平気で10万円した時代である。コンパクト・ディスクを買ふかどうかといふ判断は、現代より可成り眞剣な検討が必要であつた。念の為に云ふと、インターネットいふ技術は想像の外で、“新しい音樂”の情報を得るにはその欠片をどこかで聴く以外に方法はなかつた。その頃で云へばFM放送が最良の撰択(テレビジョンは流行りに注力してゐたから)で、我われは『FMステーション』や『FMレコパル』を欠かさず買ひ、これはと思へる番組を調べ、カセットテイプに録音して(エアチェックなんて云つても、判らないひとの方が多さうだ)何べんも繰返し聴き、即レコードを買はうとかコンパクト・ディスクを待つとか(或はたれかが買つたのか、レンタルで録音さしてもらはうとか)、検討を重ねたんである。古老の厭みと取つてもらつて、かまひませんよ。併しさうやつて調べ、また検討しても、それはあくまで自分の嗜好の範疇である。インターネットでの調べものだつて同じですな。カエサル曰く、“ひとは自分の見たいものを見て、聞きたいことを聞く”のは2,000年を経ても変らない眞實である。当時のわたしはFM大阪を主に、NHK FMを偶に聴いてゐた。殆どがポップスかロック。FM802は未だ開局してゐなかつたし、今ほどクラッシックに興味もなかつた。そこで慾してゐたのは所謂新曲で、新譜新曲と新しさ面白さがほぼ同じ意味だつた1980年代の半ば頃の感覚と云つていい。1960年代1970年代の洋樂(ディープ・パープル、レッド・ツェッペリンキング・クリムゾン、それから勿論ビートルズローリング・ストーンズ)まで興味が遡るのは何年か後になつてからで、今にして思へばナイルの源流を探る旅のやうだつた…と云つても若ものには通用しないだらうな。これは僻みではなく憐れみ。尤も自力で遡上の舟に乗り込んだのではなく、ここでやつと[レコードショップ ナカノ]が登場する。
 とても小さなお店であつた。阪急電車の某驛前に構へてゐて、初めてそこに入つた切つ掛けは覚えてゐない。初老のご夫婦が経営する町のレコード屋さんで、後からどうも熱心なファンがゐるのだなと解つた。店先にゐたのは大体小母さんで、失礼ながら大坂ではありふれた風体の“小母ちやん”だつたが、びつくりするくらゐ、音樂に詳しいひとでもあつた。FMで耳にしたたれそれの何々といふ曲、と話をすれば、あれはいいよ、これから伸びるぢやあないか知らと寸評を下して、大体は当つた。ひとつだけ實例を挙げると、渡辺美里のレコード・デヴューは『I'm Free』のカヴァなのだが、この時点で非常に高い評価をしてゐた。『My Revolution』がミリオンセラーを叩き出したのは暫く過ぎてからで、あの讀みのすすどさは何だつたのだらう。レコード屋の小母ちやんといふ立場からか、自分の好みを押し出すことは殆どなかつたけれど、“カラヤンモーツァルトでもマイケル・ジャクソンでもモーニング娘。でも気になつたら聴く”ひとだつたらしいから、膨大な経験が蓄積されてゐたのだらう。なので限られたお小遣ひを持つてそこに行き、レコードを1枚抜いて
「小母ちやん、これ、どう」
さう訊いたらきつと詳しいことを教へてもらへたし、甚だしい時は
「最近の新譜でお薦めつて、ありますか」
と相談することもあつた。中學生から高校生にかけて、無知で生意気だつたわたしの嗜好をいつの間にか把握してゐた小母ちやんは時にうーんと唸りながら、これならいいンとちがふかなあと矢張り丁寧に教へてくれた。今になつて思ふ。わたしの音樂の先生は小學生の頃に合唱を指導してくだすつたF先生だけでなく、小母ちやんもさうだつたのだ。数年経つて東京に仕事を得たわたしは、小母ちやんの顔を見る機会がそれまでよりぐつと減つた。さういふある時に[レコードショップ ナカノ]に足を運んだら、小母ちやんは嬉しさうに、大人の顔になつたねえと云つて、何と応じたのかさつぱり記憶にないのだが、覚えてゐるのだからこちらも嬉しかつたのだ。足掛け10年近く通ひ續けたのだから、もしかすると出來の惡い親戚の倅くらゐに思つてゐたのか知ら。その後大坂に戻つたわたしは以前ほどではないにしても、再び足を運ぶようになつたのだが、小母ちやんがある日唐突に、近々店を閉めると云ひ出したからびつくりした。詳らかな事情には踏み込まなかつたが、諸々があつての判断にちがひないから、ただ残念がるにとどめた。お店を續けるのが本当に不可能だつたのかどうか、そこははつきりしない。しないけれど、お客サンに残念がられるうちに、終りたいと思ふと云つてゐたから、さういふことなのだと納得することにした。それで時間とお小遣ひの許す限り通つて、それまで興味の薄かつたクラッシック…カラヤンが棒を振つたベルリン・フィルハーモニーが取つ掛かりになつた…やら、ジャズやら、さういつたコンパクト・ディスクを何枚か買つた。足を運ぶ度に棚のディスクやレコードが減つて、殆どなくなつた頃に[レコードショップ ナカノ]は店を閉めた。もう20年にならうかといふ昔の話。了つたことを蒸し返す趣味はないし、“惜しまれつつ”閉められたことを、小母ちやんは悔いてゐない筈だが、許されるならもう一ぺん、小母ちやんのお薦めで1枚を撰びたいものだとも思ふ。今その跡地は月極の駐車場になつてゐる。