閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

043 麦酒と一緒

 尊敬する内田百閒は麦酒が大好きなひとであつた。一ぺんに半打の壜(大壜として三リットルくらゐか)を空にして、その間用足しに立たないのが自慢だつたさうで、我慢強い膀胱だつたのだな、きつと。わたしも麦酒は好きだが、ジョッキに二杯もあれば十分だし、その後何べんも用を足しに行く。そんなら麦酒は止めにしたつていいんぢやあないかと呆れられるかも知れず、一面は正しさうだなあと思ひつつ矢張り最初は麦酒がいい。何故かと云ふに麦酒は大体の食べものに適ふ。水炊きをつつきながら、冷菜をつまみながら。或はカツレツ、或はおから、或はサンドウィッチ。何にしてもうまい。お酒に葡萄酒、焼酎、泡盛、ヰスキィ、ブランデー、ウォトカ、その他、諸々の酒精のお供で麦酒に似合はないものがあるか知ら。どうにも思ひ浮ばない。かう書くと麦酒こそ天下無双のやうに感じられるが、感じつつ何とはなしに怪しいとも云ひたくなる。ではどういふ事情で怪しさを感じるのかと考へると、どうやらわたしは麦酒を“曖昧な飲みもの”と位置付けてゐるらしい。

 ここで我われは、酒精とつまみは土地とその歴史を接点に密着してゐるといふことを思ひ出さなくてはならない。古代の地中海世界では上流階級が葡萄酒を、下層の労働者が麦酒を呑んださうで、それはそこで葡萄と麦が穫れたから出來たので、無醗酵のパンや肉、魚や烏賊や蛸を食べながらきこしめたにちがひない。仮にさういふ食べものが並ぶ食卓にお酒を持ち込んだとして、満足な酒席になるかどうか、甚だ疑はしい。搗栗や干魚やお漬物のお膳から白酒(ここはシロキと讀んでもらひたい)を抜き取つてヰスキィにしたら、途端にいけなくなるのと同じである。その伝で考へれば(少なくとも)(現代の)麦酒に適ふのは獨逸式ソーセイジやザワー・クラウトや馬鈴薯の筈で、事實獨逸麦酒を呑みながら鯖の塩焼きを食べたいとは思ひにくい。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、わたしを似非ディレッタントと呼んではいけない。土地と酒精とつまみが三位一体であるのは世界に数少ない眞實ではありませんか。

 併しさうなると“麦酒の曖昧さ”は何なのだといふ疑問が湧いてくるのは当然で、もしかするとこれは日本の麦酒に限つた現象なのかも知れない。我が邦の麦酒は呑み易くて旨いらしい。わたしの主張ではなく、以前呑み屋で偶々隣あはせた旅行中の獨逸人が

「獨逸には及ばないけれど、實にうまい。呑み易いしね。米國のは酷かつたよ」

と云つてゐた。知人に訊いたところだと獨逸人は麦酒を水のやうに呑み、ちつとも醉はないのださうで(出張でえらい目にあつたとぼやいてもゐた)さういふ人種が云ふのだから、母数の信憑性は留保するとしても、多少は信じてもよささうに思はれる。ここでわたしとしては獨逸人の云つた“呑み易い”に注目したい。その前に我われのご先祖…遠い昔ではなく、二百年そこそこ遡るくらゐの…はお酒しか呑まなかつたことを思ひ出さう。某批評家が教へて呉れたところだと、お酒は何か一種類あれば食事の最初から最後までそれで押し通せるから便利なのだといふ。詰りお酒自体の特徴…からさ、あまみ、香りの立ち方、濃淡はそれほど重く見られてゐなかつたか、少なくとも決定的な要件ではなかつたのではなからうか。欧州でのアペリティフから葡萄酒、ディジェスティフと次々銘を移す流儀が我が邦で成り立たなかつたのは、優劣でなく、お酒と肴の組合せがそれを求めない性格だつたに過ぎない。そこで気がつくのは、我らが邦での酒精は“食べものに対して飛び出ないくらゐの味はひ”…さう、呑み易さに重きが置かれてゐるのではないか。それが麦酒醸りにも反映されて、好意的に云へばつまみを撰ばない、惡く云ふと中途半端、詰り曖昧な仕立てになつた、と考へるのはどうだらう。例によつて根拠になることを調べてゐないから、信用には値しないのだけれど、割りにいいところを衝いてゐる気がされる。念の為に云ふが、日本の麦酒はわたしの舌に馴染みきつてゐるから、これを批判と取られてはこまる。バス・ペールエイルやIPAやギネスが旨いのは認めるのに吝かではない…たとへば分厚いベーコンと馬鈴薯とあはせるなら…が、日本式で呑み且つ食べる場合は矢張り、キリンのラガーや一番搾り、サッポロの黒ラベル赤ラベル、オリオンにヱビスの方が悦ばしいとは(些か慌てて)強調しておかねばならないでせう。

 尤もその日本式麦酒にはひとつ、大きな難点があつて、詰り晩めし以外には適ひにくい。晩めしの他に呑む習慣がないからだらうね。小原の庄助さんが身上を潰したくらゐだもの、そんなの当然でせうと呆れるひとがゐるのにはまあ、強く反論はしないとして、朝から生牡蠣を何打か(消化剤になるさうだ)に白葡萄酒を平らげてから食事に取り掛つた佛國だかの将軍の話を聞くと、どうやらあちらの酒精は朝からやつつけても差支へがないみたいに思へる。我われが朝から呑むとすると、焼き魚やお漬物や蒲鉾の類になる筈で、それなら麦酒より庄助さんを気取つてお酒を撰びたくなる。ここで麦酒の方面に進むとしたら、サンドウィッチやスクランブルド・エグズや茹でソーセイジであつて、これなら佛國将軍まではゆかないとしても安心して呑める。何を云ひたいのかといふと、以前から一ぺんロースト・ビーフのサンドウィッチと黒麦酒の組合せで朝めしをしたためたいなあと思つてゐて、内田百閒や曖昧には實行する為の理窟を捏ねる目的で登場願つた。曖昧は兎も角、百閒先生には失礼な話で反省してゐる。