閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

093 正義のベーコン

 ベーコンは正しい。

 これは世界に数少ない眞實のひとつである。

 ベーコンの正しさは何か。

 旨いことである。

 それだつたら、豚の生姜焼きでも東坡肉でもハモン・セラーノでもソーセイジでも、旨いんだから、世界の眞實だらうと異論が出るかも知れないが、わたしは豚の生姜焼きや東坡肉やハモン・セラーノやソーセイジが世界の眞實ではないと云つてはをらず、さういふ話は機会があれば、論じたいと思ふ(ハモン・セラーノは六づかしいか知ら)が、この稿では兎にも角にも、ベーコンを褒めたい。

 かう云つてからいきなり前言を翻すと、幼い頃はベーコンが苦手だつた。あの獨特の匂ひがどうも、好きになれなかつた。今でも匂ひにくせのある食べものは好きでない。

 ではいつからベーコンが好きになつたのか。

 世界の眞實のひとつと認めるに到つたのか。

 記憶を遡つても、曖昧である。おそらく、初めての独り暮しの自炊で作つた、ベーコン・エッグではないかと思ふ。多分、乏しい財布を慮つた結果の筈だが、きつとそれが旨かつたのだ。

 空腹ほど嗜好に影響を与へる要素はない。

 それで一ぺん旨いと思へると、機会があれば食べるようになつて、吉田健一の随筆を讀むと、英國人はママレードとベーコン・エグズで朝食をしたためるさうだが、わたしは麦酒のつまみにすることが多い。朝食にするなら、薄く切つたのを、かりかりに焼いたのと煎り玉子にケチャップが嬉しく思へて、麦酒のつまみなら分厚いのを生焼けに近い感じで出してもらひたいと思ふ。この場合は矢張り粒マスタードが慾しくなる。マスタードや辛子の類は普段、まつたくと云つていいくらゐに使はないのに、ベーコンに添へられてゐないのは我慢ならない。特有の脂つこさを、マスタードの辛みとほの甘さが受けるから、旨いのが引き立つし、麦酒にも適ふ。

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 某日、最近見つけた呑み屋に足をのばした。ここは決つた品書きだけでなく、日替りのつまみが中々に充實してゐて、その夜はそこに“厚切りベーコンの燻製”とあつた。註文しない手はない。待つこと暫し、登場したベーコンは期待に違はない姿で、燻製と銘打つてゐるからか、マスタードの外に塩も添へられてゐた。お好みでどうぞ、といふことらしい。まづ何もつけずにひと切れ、それから塩でもうひと切れ、更にマスタードでひと切れの順で食べたが、矢張りマスタードが頭ひとつ抜けた感じがされた。ここで間の惡いことに麦酒が空になつた。お代りの気持ちにもなれなかつたから、[かぶとむし]といふ銘柄の夏酒(栃木の純米酒)にしたら、これがさはやかな口当りで、ベーコンにも似合つたから、ちよいと驚いた。もしかすると葡萄酒より適ふかも知れないと考へた後、ベーコンとお酒の組合せはもつと研究するのに値するのではないかと気がついた。きつと新しい世界の眞實が見つかるだらう。尤もこの研究には實践が不可欠である。成果を上げるには、随分と時間が掛かるにちがひない。