閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

126 とりとめのないカメラなどの話(その1)

 最初からとりとめないと決めてゐて、さうだから頭も尻尾もない。かう云ふと、[閑文字手帖]にこれまでとりとめがあつたのかと冷静に指摘されさうだが、結果的にとりとめなくなつたのと、そこを考へないのはちがふのですよと、ここでは居直つておく。確實なのは、眞面目な寫眞論は出てこないだらうことで、それはわたしの手に余る。それで先づこれまで持つたことのあるカメラ(これは自分で買つたといふ意味)を思ひ出した順に挙げてゆく。

 キヤノンではEOS1000、同100、同RTに同5、同kiss、AV‐1、それからP、L1も買つたかも知れず、記憶にある限り、この会社のデジタルカメラは買つてゐない。

 ニコンはF3、F4にF2、それからF‐601にF‐301、EM、FE、FM10、ニコンミニことAF600QD、28Tiがフヰルム。デジタルカメラCOOLPIX銘で型番を忘れたスイバル式の機種に同P60、同P3000、同S640か。

 オリンパスはμにペンS(F2.8の方)とペンFがフヰルム、E‐410とペンミニE-PM1がデジタル。

 コニカは型番を忘れた一眼レフとヘキサー。

 ミノルタはα7700iと同SweetⅡの2機種。

 富士フイルムはTIARAのみだつたと思ふ。

 京セラはSAMURAI Z2とコンタックスの167MTにRX、ariaで全部フヰルム式。

 ペンタックスはK2DMDとSP、Z70は最初から具合が惡くて直ぐ返品した。

 リコーだとXR‐8、同7MKⅡ、同10M、同500オート、GR1v、R‐1がフヰルム。CX5とGRデジタルⅡ、GX200をデジタルで使つた。

 コシナはフヰルム式のみで、ベッサL、同R、同Tの3機種。

 ソニーサイバーショットのU20と、型番を忘れた板みたいな形の2機種。コニカミノルタのカメラ部門を吸収してからは手を出してゐない。

 パナソニックはGF1のみで、何故だかカシオは買つてゐない。

 外に何があつたらう。ドイツ・コダックのレチナⅢc(小窓)、ライカⅢa、同Ⅲc(シャークスキン)、同M3、同M6、ライカR4も買つた記憶がある。ライカフレックスSLはどうだつたか曖昧だが、ライツ・ミノルタCLには間違ひなく手を出した。ソ連のフェド2やゾルキー4も買つてみた筈だ。

 かう書き出して、我が眞面目なる讀者諸嬢諸氏から、何て無節操なと呆れられ、或は叱られるかも知れないと不安になつた。併し不安になりはしたが、實のところ、必ずしも無節操ではない。

 先づ買つたカメラは新品でなければ、すべて動く個体であつた。

 また中古品に手を出す場合は、自分で扱へる機種に限つた。

 だから手に負へないのが明らかなブローニー判(ハッセルブラッドやローライ)や大判(リンホフやジナー、遡つてディアドルフやスピードグラフィック)、或はミノックスや110判、APS判には一切手を出してゐない。わたしはこれでも志操堅固なのである。…と胸を張つてから小聲でつけ加へるのだが、上に挙げたカメラで眞面目に使つたのが何台あるのかと云ふと、頭を掻いて誤魔化さざるを得ない。見た目がいいからといふ理由ならまだしも、兎に角何か慾しい気分だけで買つた機種も幾つかあつて、今となつては惡いことをしたなあと反省してゐます。

 ただ不思議なことに、ちやんと使はなかつた(従つてさつさと手放した)カメラでも何となく、印象が残つてゐる機種もある。後悔といふか、失敗の気分ゆゑなのかどうか、はつきりしない。その連想なのか、上の中でたつた1台、ニコンFEだけは自分の不注意で壊したことを思ひ出した。首から下げてゐる積りで立つたら、そのまま水溜りに落ちたのだ。弁解の余地のない失敗で、悔しかつたなあ。それ以來カメラはしつかり下げるか、鞄に入れるかの習慣が身についた。わたしだつて偶には過去から學ぶのだが、胸を張れる話でもない。

 思ひ出し序でにもうひとつ書いて、今回は終りにすると、レチナⅢcを挙げておきたい。どんなカメラだつたか、詳しいことを知りたければ、詳しいひとが書いてゐるだらうから、そちらを見てもらひたい。初めて買つた所謂クラシックカメラがこれだつた。大坂の某カメラ屋で、何となく手に入れた。この場合の何となくは重要で、何故かと云へばその頃のわたしは、今よりもカメラの知識の持合せがなかつたからで、無知のままで買つたのは、そのスタイリングに惹かれたからである。前蓋を横に開けると、蛇腹のレンズが飛び出てきて、併しその蛇腹が金属(確かアルミニウムだつたと思ふ)で覆はれてゐるのがよかつた。レンズを無限遠にしておかないと蓋が閉ぢないとか、フヰルムのカウンタをいい加減にしておくと巻き上げが出來なくなるとか、その巻き上げは“女の子の肌に触れるやうに(これは買つた店の店員が教へて呉れた)”扱はないといけないとか、操作は色々と面倒だつたが、古いカメラを弄る樂しみには、さういふ面倒も込みなのだと思へた。だから今も時折り、程度のいいレチナがあれば、慾しいなと考へることがある。