閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

145 甘い酢つぱい

 わたしの目をとらへて離さない品書きはどうやら、“甘酢何々”であるらしい。白身魚や揚げ鶏の甘酢あんかけとか、文字を見るだけで、きつと鼻の孔が膨らむ思ひがされる。その連想で、酢豚や鯵の南蛮漬け、或はチキン南蛮でも、鼻孔が膨らみさうになつてくる。何故かと云へば旨い…もつと露骨に云へば好物だからで、こんな時に外の理由は挙げられない。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏だつてさうでせう。さうに決つてゐる。ただ鼻の孔を膨らませながら白身魚の甘酢あんかけや酢豚を食べると、何だか釈然としないことがある。少なからずある。好物だから、まづいとは思はないにしても、これだよ甘酢はと納得するまでは中々到らない。概してわたしが好むのは酸みを利かせた味つけで、その好みから云ふと、大体の場合は甘みが勝ちすぎに思へる。甘酢といふより甘々酢の感じか。酢豚に到つては、稀に酢の味がケチャップに隠されることがあつて、あれは何なのだらう。わたしが獨裁者になつたら、先づ“酢豚にケチャップを用ゐる”のを徹底的に弾圧するね。僅かに許容範囲に入るのはチキン南蛮くらゐで、但しそれはタルタルソースのお蔭と思つてゐるから、甘酢に酸みを求めるのは少数派なのだな、多分。と、ここまで書いて云ふのも何だが、併し世の中には例外がある。画像がそれで、品書きには“豚肉と玉子の甘酢炒め”とあつた。当然、鼻を膨らし、ただその一方で若干の不安…甘々酢だつたらこまるなあ…も覚えながら註文した。まあ外の献立てが美味かつたから、失策りにはならないだらう。

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 いい匂ひがする。鼻をつかないのは酢の利かせが弱いのかと思ひながら食べると、思つてゐたより甘めの仕立てだつたから驚いた。もつと驚いたのはその甘みが厭な感じではなく、多少は気になつても、感心しないとはならなかつた。何せこちらは素人である。甘みをつける調味料の使ひ方が巧かつたのか、甘みの立て方の巧さだつたのか、或はその両方だつたか、その辺はよく判らない。確實に云へるのは、甘みが立つてはゐたけれど、酸味の旨さもちやんとあつて、定食で出された“豚肉と玉子の甘酢炒め”は、ごはんにも適ふ味つけだつたのは特筆に値する。見て判るとほり、お皿の底には旨い汁気がたつぷりあつたから、ソップ用に添へられた匙で、躊躇ひなくすつくり掬つて平らげた。平らげてから、[059 アマウマ]以來、甘い酢つぱいは矢張り、奥が深いものだと思つた。