閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

150 颯風

 雅号といふのがありますな。松尾芭蕉芭蕉小林一茶の一茶。文人だけでなく、佐久間象山の象山や武市半平太の瑞山もさう。新聞記者でも長谷川如是閑や福地櫻癡、陸羯南がさうだし、勿論文人である夏目漱石森鴎外、内田百閒に永井荷風。詩人で云ふと正岡子規高浜虚子河東碧梧桐石川啄木の名前…号は寧ろ思ひ出せない方が六づかしい。

 大体明治一杯の嗜みまたは流行だつたらしい。谷崎潤一郎芥川龍之介太宰治と並べれば、その衰退振りがよく判る。古めかしいとか恰好惡いとか、まあそんな程度の理由だらうね。本名でなければ、江戸川乱歩小栗虫太郎のやうな筆名になつて、丸太花道も系列だけを云へばここに属する。翻つて雅号は歌人俳人の一部で辛うじて、生き残つてゐるくらゐではないか知ら。

 当り前と云へば当り前で、雅号をつけるなら、先づ漢文の素養が不可欠だし、そこに冗談の気分だつて慾しい。櫻癡なんて、吉原遊びの挙げ句につけたさうで、現代に置き直せば、お気に入りの夜の蝶に入れ揚げ、その入れ揚げ具合を名前に文筆活動をしたことになる。図々しいのを通り越した態度で、もしかすると拍手をおくるべきかとも思へてくる。故郷の川に因んだ百閒なんて、これに比べれば淳朴であらう。尤も百閒先生は東都に出た後、生涯その故地を踏んでゐない。さう思ふと痛切でもある。

 愉快な例を思ひ出すと、宮武外骨だらうか。幼名の亀四郎…亀は“外骨内肉”の動物だから…に因んでゐる。洒落た雅号だなあと感心しては足元を掬はれる。實は改名して戸籍の上でも本名(讀みは“ガイコツ”で後に“トボネ”)なんである。外骨は讃岐國の生れ。『滑稽新聞』や『スコブル』で巷間を揶揄ひ續けたひと…紙と絵と文字で存分に遊び尽した愉快さは、今の雑誌ぢやあとても、及ばない…で、その生涯は奇とするに足る。現代に到るまで、日本に影響を与へ續ける讃岐人を挙げると、上代空海、近世の平賀源内に並んで、近代の外骨になるのではなからうか。例によつて話が逸れた。

 外骨は例外的に含めるとして、雅号にあくがれがあるのですよ、わたしは。雅号だけでなく、自分の住処に名前をつけるのも、あくがれる。坪内逍遙が熱海の邸宅を双柿舎と呼び、永井荷風が自宅を断腸亭と称したやうに。古めかしい好みなのは認めるとして、その古めかしさが恰好よく思へる。併し漢文の基を持たないわたしが、さういふ冗談を飛ばせるわけがない。開き直つて、ローマ風にフェリックス(幸運な)やピウス(慈悲深い)、マーニュス(偉大な)はどうだと思はなくもないが、これは綽名だから自称しにくい。やくざ者の二つ名のやうなものと書けば、スッラやポンペイウスが髪を逆立てるか。

 仮に雅号を称するなら、たとへば身のまはりにある何かに因む方法がある。秋海棠の鉢がある家だから断腸亭がこの例。故地の地名を採る方法もある。百間川に因んだ百閒がこれ。自分の名前を捻る方法だと、清を虚子としたのが例にならう。それで何とかなるだらうかと思つたが、わたしのまはりには馥郁とした花がない。自分を託したくなる地名も思ひ浮ばない。だつたら我が名を捻ればとなるのだが、“アキラ”や“スケ”の訓みに似合ひさうな字面が出てこない。まつたくのところ殺風景な話で、これは諦めるのが無難かと思つたところ、不意に颯風といふのが浮んだ。かういふ思ひつきは大事にして損はしないだらう。なのでけふから、颯風を号とする。雅号と云へるほど、雅ではないけれど、殺風景なのだからかまふまい。