閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

186 百科焼そば

 閑潰しにウィキペディアは中々便利である。尤も眞面目な調べものには使へない。そつちの批判には理由も考へるところもあるのだが、この稿では措きませう。讀みもの扱ひする場合は、出來るだけ下らない項目を探すのがいい。試みに“焼そば”を見ると

 

 麺料理の一種。蒸した(あるいは茹でた)中華麺を、豚肉等の肉類、キャベツ、人参、玉ねぎ、もやし等の野菜類といった具とともに炒めて作る。日本ではウスターソースを使用したソース焼きそばが普及している。

 

と書かれてゐる。勢ひがついて、序でに“炒麺”の項に目を通したら

 

 中華麺を使った中華料理の一つ。日本では焼きそばとも呼称される。

 中華麺を野菜や肉などの具材とともに炒めたものと、鉄鍋で焼いた(あるいは揚げた)麺の上に片栗粉でとろみをつけた餡をかけたものに大別される。

 

とあつた。こちらの方が若干、無愛想な筆致になつてゐる。また日本の焼そばと中國の炒麺のちがひがもうひとつ、はつきりもしない(日本のあんかけ焼そばは炒麺とちがふのか知ら)のも苦笑ひが浮ぶところで、これが眞つ当な百科事典なら、文句の種になるよ、きつと。

 ところで何故、焼そばを見たのだらうか。我ながら判然としないが、マーケットの惣菜賣場で目に入つたのを偶さか思ひ出したとか、そんな程度に決つてゐる。わたしの住んでゐる地域だと、パック入りのソース焼そばが二百円前後。カップ焼そばだと百円から百五十円くらゐ。さうさう食べたいとは思はない。家で作らうとも思ひにくく、外で食べるのかと云へばさうでもない。なのに食べると(まあそれなりに)旨いと思ふ。何と云ふか不思議な食べものである。

 胃袋が若い頃は、友人とお好焼きを食べに行つて、それぞれ豚玉や烏賊玉を註文し、更にソース焼そばを一人前追加して分けるくらゐは平気だつた。麦酒を奢つたかどうかは覚えてゐないが、あれは旨かつた。それはきつと、記憶が都合よく変つてゐるんだよ。そのご指摘は一応、否定はしないとして、併し云つては失礼ながら、たかがソース焼そばで、記憶が改竄されるのかどうか。仮にさうだとすると、それ以來わたしが口にしたソース焼そばは揃ひも揃つて、ひどいものだつたといふことになつて、幾ら何でも無理がある。それに毎年妙な縁で訪ねる神奈川県某所の夏祭りで提供されるソース焼そばは、記憶のそれに遜色のない味だと思へるから、焼そばが旨い條件があるのだらうと考へる方が理に叶つてゐる。

 ごく簡単にその條件は、鐵板で調理してゐるかどうかのちがひではなからうか。鐵板で調理すると、もやしやキヤベツ、豚肉が焦げる。麺の端つこも揚げすぎたポテトフライのやうになる。鐵板の隅ではソースだつて焦げる。かういふ欠片がお皿乃至パックの中に紛れ込むのは珍しいことではなく、その堅く焦げた欠片が何とも嬉しいので、莫迦なことを云つてはいけないと眉をひそめられても困る。釜飯を食べる時に、お焦げが出來てゐないと淋しいでせう。料理の格はえらいちがひだけれど、本來余分または失敗と扱はれる部分を喜べる点で、両者は近いと云つてもいい。それでかう書くとマーケットのお惣菜でも、ちやんとしたお店で食べ、或は自宅で作つても、満足しにくくなるのが判る。

 それから紅生姜を忘れてはいけなかつた。あの紅くて辛くて酸つぱいものがあつて、ソース焼そばはやうやく完成する。その辺を含めて、わたし好みのソース焼そばを考へると、具は豚肉とキヤベツ。贅沢が許されるなら、ウインナを追加するのもいい。鐵板…は流石に無理があるなら、鐵製のフライパンか中華鍋を使へばいい。ウスター・ソースは中濃かそれより濃いめ。仕上げに少しの醤油で香りをつけると、凝つた感じが演出出來るのではなからうか。質素なお皿(紙でも陶器でも)にどつさり、焦げた欠片も忘れず乗せる。隅つこに紅生姜を添へ、刻んだ青葱をたつぷり散らしたい。青葱ねえと首を傾げる貴女、あれは豆腐や饂飩だけでなく、トマト・ソースに散らしてもいい万能の藥味なので、ソース焼そばに似合はない道理はない。さういふのを週末の午后、罐麦酒の一本もあけながら平らげるのが、ソース焼そばの正しい在り方だと思はれるが、残念ながらウィキペディアに載せるわけにはゆかない。