閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

210 平成最後の甲州路 第10回‐余話

 [平成最後の甲州路]がこの稿に到るまで、番外を含めて10回。道中の[甲州路リアルタイム]は全15回。不定期の更新ながら、これだけの分量になつたのは久しぶりである。終つてから、ここまで分割しなくてもよかつたかも知れないと、後悔を感じなくもない。

 「だつたら、ここまでの全部をひと纏めにするのはどうでせう」

と我が親愛なる讀者諸嬢諸氏から助言を頂けるだらうか。お気持ちは判るし、有り難いとも思ふけれど、残念なことにさうはゆかない。分割をする場合だと、その分割の中で一応は完結させなくてはならず、仮にここまでの全部を順番に並べ纏めるとして、可成りの推敲をせざるを得なくなる。ある小説家が月刊誌に1年の連載を求められた時、最初に全篇を書き上げ、月毎の分割を目論んださうだが、いざ書き上げた後、“毎回の盛上り”に欠けることに気がついて、書き直したといふ。それと同じことになるだらう。六づかしいものです。

 次回があるとして(ほぼ間違ひなくあるだらう)、同じ方式を採るかどうか。“不定期連載”の利点は記録を兼ね易いことで、そこは惡くない。併し書き續ける面倒があるのも、事實の一面として認めざるを得ない。なら一ぺんに書けば済むのかと云ふと、今度は分量の問題が顔を出す。さうなると全体の構成を凝りたくなるとも予想出來て、準備を整へて、書ききるまでどの程度の時間を要することやら、見当もつかない。矢張り六づかしいものだなあ。

 まあその辺は後日、頭を捻るとして、今回の甲州行は終日、好天に恵まれた。例年より気温も低くなかつたのはまことに有り難かつた。風が冷たかつたりしたら、何しろわたしは性根が弛いものだから、きつとうんざりしてゐたらう。タキシを頻用したお蔭で、足の負担が少なかつたのも弛い性根には適つてゐた。頴娃君は歩けなかつた…詰り寫眞を撮りにくかつた…のが不服さうだつたが、それはかれの事情である。北杜も勝沼も広いくせにバス網は貧弱だから、タキシを使つたのは、移動の判断として合理的だつた。

 併し裏の課題として挙げてゐた、“食べものとの組合せ”はまつたくのところ、不十分であつたと云はなくてはならない。セレオのお弁当やお惣菜は惡いものではなかつたけれど、何とはなしに普段通りになつて仕舞つたのは、こちらにすれば失敗だつたし、折角驛に近いホテルを撰んだのに、外で飲まなかつたのは悔やまれる。甲斐の葡萄酒。鶏もつ煮に煮貝。味噌やチーズ、燻製。それから富士桜ポーク。地元のひとがざはざはしてゐる場所で味はへば、当り前の唐揚げでも焼き鳥でもおでんでも干物でも、或はちよと気取つたバーニャカウダや牡蠣のオリーヴ油漬け、ハムにベーコンにソーセイジの類(隣の信州は馬刺しが旨い土地だといふから、甲州だつて期待出來るだらう。何故試さなかつたのか知ら。さう云へばタタール式ステイクなら葡萄酒に適ふと思ふのだが、そんな話はまつたく聞いた記憶がない。これは甲信の怠慢ではあるまいか)も美味い…美味く感じられるにちがひない。さういふのは近所でも出來るんぢやあないのと云はれるかも知れず、それはまあ正しくもあるかと思はれて、たださういふのを旅先で實行に移したことがない。それだから一ぺん、やらかしてみたいのだが、これはもしかすると独りで甲府に行く時の愉しみに残すのが賢明だらうか。特別急行列車か高速バスで、“甲府まで飲みに行く”のも惡くない趣味でせう。