閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

211 西ヘ上ル

 北上といひ、南下といふ。東西にも上リ下リがあつて、西上東下といふ。東國の蕃族が都に行くのは西行きだからさうなつたのだらうか。その辺はよく判らない。沖縄では東を“アガリ”、西を“イリ”と呼ぶのを思ひ出した。云ふまでもなく陽の動きに即した呼び方だが、それと上リ下リに関連があるのか、矢張りはつきりしない。語感だけでいふと逆さにも感じられるが(そもそも“アガリ”と“イリ”は古い和語なのか琉球言葉なのか)實際のところはどうなのか知ら。兎にも角にも、西には上ルもので、年が暮れる頃にはわたしもさうする。

 東京から大坂への移動は幾つかの経路が考へられる。一ばん簡単なのは東海道新幹線で、わたしは例年“ぷらっとこだま”を使ふ。今回もさうする積りでもある。出來る限り廉価にあげるのなら、東海道本線を使ふ方法もある。尤も一日で動くのは可成り億劫。十年以上前に試したけれど、その時は名古屋で一泊したから、結局その出費が電車賃より高くついて仕舞つた。もつと廉にしたいなら高速バスがある。ただ八時間くらゐかかるし、撰べる時間帯が早朝や夜中で、到着の後の疲労感が酷い。何べんか使つたけれども、草臥れるのと、いつだつたかトンネルの崩落事故があつてからは利用する気になれない。速さに目を向ければ飛行機だらうか。併し随分と割高に感じられるし、乗降に到る時間や飛行場からの移動まで含めれば、要する時間は東海道新幹線と大してちがはない。札幌や那覇なら兎も角、東京から大坂の移動にわざわざ撰ぶ理由は見つからない。矢張り“ぷらっとこだま”が(わたしの場合)最良の撰択になる。

 かう書くと我が親愛なる讀者諸嬢諸氏から疑義が呈されるやも知れない。いはく

東海道新幹線を使ふのに、こだま號を撰ぶ必然性があるとは思へない」

まことに尤もである。普段ならわたしだつて、のぞみ號を使ふ。併し今回は所謂年末から年明けにかけての帰省である。大慌てで動くべき事情はない。新幹線でざつと四時間といふのは、長すぎもせず、遅すぎでもなくて、さういふ感覚の持ち主からすると、のぞみ號が二時間半とかそれくらゐで東京驛から新大阪驛まで駆け抜けるのは異様な速さに思はれてならない。考へ方によつては、居酒屋で賑々しく騒ぐ程度でもあるから、短い時間ではないのだが、距離との関りでさう思へるのだらう。0系新幹線の旧式な感覚だなあと云はれてもやむ事を得ない。とは云ふものの四時間あれば麦酒を三本に葡萄酒の小壜だつて飲める。幕の内弁当にチーズやクラッカー、サラミなんぞを用意(或は途中で追加)すれば、“居酒屋 こだま號”である。のぞみ號の快速ぶりは大したものとして、“居酒屋 のぞみ號”の開店は六づかしからう。

 ここで我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は疑問を抱くかも知れない。

「呑み助の筈の丸太が、四時間で罐麦酒三本に葡萄酒の小壜では、少ないのではないか」

まあ、そのお気持ちは判らなくもない。判らなくもないし、呑み助なのは否定もしないが、だからと云つてたくさん飲めるわけではなく、四時間飲み續ける積りでもない。それに少なくとも新横濱驛までは飲み始めず、米原驛を過ぎる辺りでお開きにするのがわたしの習慣で、更に途中でぼんやりする時間を差引きすれば、“居酒屋 こだま號”の営業時間は實質的に三時間にも届かないのではないかと思ふ。だつたら、と我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は呆れ顔になるかも知れない。

「のぞみ號で東京驛から始めて、新大阪驛で終らしても、変りはないぢやあないの」

そのご指摘は一応、尤もである。尤もではあるのだが、新横濱驛までと米原驛を過ぎてからは、気分として地元である。そこに始めと終りをもつてくるのはしつくりこない。第一、乗車早々から下車ぎりぎりまで飲み食ひを續けるのは、お行儀が惡い。さういつた諸々の事情を鑑みながら、西ヘ上ル計劃…主に何を飲むか。それで食べものの方針が決る…を立ててゐる。