閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

220 デラックス・ビフテキ

 ビフテキには昭和四十年代から五十年代にかけての“ご馳走”といつた響きを感じる。匹敵するのは鶏股肉の照焼き(骨付き)くらゐかと思へるが、鶏股肉の照焼きには“デラックス”な感じはしなかつた。矢張りビフテキの響きは一頭地を抜いてゐたと云つていい。

「すりやあ単に、丸太の家がアレだつたからぢやあないのか」

大きなお世話である。なのでこの稿でのビフテキは“特別でデラックスなご馳走”なのだと定義する。

 念の為に云ふと、ビーフ・ステーキ…伊丹十三に倣ふとビーフ・ステイクの話ではない。ビフテキはあくまでもビフテキなので、どう異なるかと云へば、ビーフ・ステーキはその気になれば家でも焼けるけれど、ビフテキをお店で食べるのは無理な点がちがふ。特別なタイミングで出される家庭料理(の豪勢なやつ)がビフテキだと考へるのが正しからうと思ふ。

 分厚めの牛肉に塩胡椒をし、サラダ油を敷いたフライパンで焼く。焼き方はビーフ・ステーキで云ふところのウェル・ダン。焼き上つたらお皿にどんと乗せる。そこに櫛切りのトマト、千切つたレタスを添へ、お茶椀に盛つたごはんとお味噌汁をあはせたらそれで完成。バタもオヴンで焼いた馬鈴薯もクレソンも檸檬マスタードも、肉汁を煮詰めて葡萄酒で調へたソースも何もない。これがビフテキのあらまほしい姿。それは焼き肉定食ですよ、といふ指摘は正しくない。ビフテキは分厚めの牛肉一枚を使ふものだからである。

 「なーんだ、そんな程度が、“特別でデラックスなご馳走”だつたなんて、昭和の後期は貧しい時代だつたのだなあ」

と若い讀者諸嬢諸氏は呆れるかも知れない。呆れるだらうな。まあそこは否定しない。否定はしないが、そこに祖父母と同居だつたわたし個人の事情を加へると、(大きな)肉(の塊)が食卓に出る珍しさは想像してもらへるとも思ふ。なので記憶を辿ると、旨いまづいの前に嬉しかつたな。今ならきつと、詰らない文句を云ひながら、平らげるのではなからうか。かういふ時に老人は厄介である。

 では今、自分でビフテキを焼くならどうなるだらう。塩胡椒をして焼くのは当然として、バタと大蒜は奢つてしまひさうだ。焼き具合はウェル・ダンよりミディアム寄り。問題はソースをどうするかで、フライパンに汁が残れば使はう。醤油か何かで味を調へたい。それだと単に辛いだけだから、大根引おろしにかける。見た目が黒つぽく、綺麗に思へなければ、青葱を散らせばいいし、面倒だつたらこの辺をすつ飛ばし、塩胡椒で食べてもビフテキはうまい。ごはんとお味噌汁までは食べ切れる自信がないからこの際、遠慮してもらつて、ピックルスを添へませうか。後はトマトくらゐがあればいい。

 いや待て、何を飲むかを忘れるところだつた。ビフテキなんだから葡萄酒で、と考へるのは単純だが誤りではない。確か家禽の肉には赤が常道の筈で、ミディアムからフルボディ寄りの、渋みが穏やかなものなら、おほむね適ふと思ふ。辛くちで切れのいい白を冷したつて、何の問題もない。ただねえ、グラスの縁に脂がつくのは感心しない。都度ナプキンで拭けばいいと思ふのは、ビーフ・ステーキを食べる上での留意である。同じことをしてはならないわけではないが、家で頬張るご馳走に、それは如何にも面倒に感じられる。底の広い陶碗があれば、代りに使へないか知ら。惡くない趣味かと思ふのだが。

 ビフテキが赤身なら…大体はさうなるだらう…塩胡椒で仕立て、お酒にする手もある。わたしはかるくて、すすどいのを好むが、山廃系統の重いやつで、肉に対抗するのも宜しからう。どちらにしても添へるのは、ピックルスより酸つぱくなつたお漬物が似合ひさうだ。かういふのを些かお行儀惡く食べるのがビフテキの醍醐味、詰りぱくつくといふやつで、その齧りつく行儀の惡さ…愉快や痛快、或は豪快は原始的な快感と、ほぼ一直線に結びつく。そこで今夜はひとつ、分厚い牛を奢らうかとなれば恰好もつくのだが、残念なことに、デラックス・ビフテキを味はふ歯と顎はあつても、胃袋が追ひつかない。