閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

279 数ある中の

 数々ある玉子料理の中で、どうもわたしは玉子焼きが一ばん好きらしい。煮抜きや韮の卵とぢ、ベーコン・エグズ、煎り玉子に目玉焼き、オムレツ、その他諸々あるけれども、玉子焼きといふ響きには及ばない…まあ、わたしにとつては。

 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏も同じだらうが、かういふ食べものは大体、をさない頃に食べた味が後年に到るまで、ひとつの基準になる。それで外で食べた時に一驚を喫するまでがお決りで、わたしの経験で云へば、ふはふは柔らかくて甘い玉子焼きに驚かされた。

 本人も認めてゐるから遠慮せずに書くと、母親は料理が上手ではない。流石にまづいものは作らなかつたが、細やかな調理が苦手で、玉子焼きの場合は表側にほんのり焦げがあつて、切れ目にを見ると、巻き具合がはつきり判つた。味つけは塩と若干の胡椒。そこに醤油を垂らすか、おびいこをまぶすかして食べる。

 これが、うまい。

 いやいやいやいやと忙しく手を、或は首を烈しく首を振るひとが出てきさうで、その気持ちは判らなくもない。尤も貴女の玉子焼きの話を聞いてたこちらが、いやいやと手または首を振つても、それは諒としてもらはなくちやあならない。それが公平といふものでせう。

 ところで先ほどわたしは、甘くてやはらかな玉子焼きに驚かされたと書いたが、實はもうひとつの驚きがあつて、それは大根おろし薑とを添へることであつた。こちらは好もしい驚きではあつたが、お菓子のやうな甘い玉子焼きに、大根おろしと薑を添へる理由は今もよく解らない。

 とは云ふものの、葱や韮やしらすを混ぜた、甘くない玉子焼きに、大根おろしと薑の組合せは嬉しいもので、お酒にもごはんにも適ふ。實際、ごはんとお味噌汁と玉子焼きがあれば、食事は立派に成り立つし、一合の徳利に玉子焼きがあれば、お酒だつて立派に成り立つ。以前にも書いたが、吉田健一が我われに

「お酒に適ふものは大抵熱いごはんにも適ふ」

と教へて呉れたのは丸々の眞實であつて、玉子焼きが例外にならないのは勿論である。どちらにしても甘いのは遠慮したい(なので多少なりとも気の知れたお店では、“あまくないの”を註文する)けれど、まあここでは一応、ささやかな問題だと考へておきませうか。

 併しかうなるとわたしは何故、玉子焼きを好むのだらうといふ疑問が浮ぶもので、これは何とも解らない。幼少のわたしは体の弱い子供だつたから、栄養をつけさせ且つお腹を壊さない気配りも含めて、母親が知恵を絞つたのか。だとすれば心配りには深く感謝しなければならないが、これなら倅は歓ぶからといふ安直の可能性だつて否定はしにくい。聞かぬままにして、また玉子焼きを焼いてもらふのが吉であらう。