閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

281 世界の涯ての玉子焼き(習作)

 コンスタンティノポリス

 ポンペイ

 サマルカンド

 バルセロナのアパートメントで、シンガポールのレストランで、ダブリンのパブで。


 草原のパオ。

 湖畔のロッジ。

 川縁の板敷。

 見知らぬ路地裏。

 見馴れた町角。


 夕暮れと夜とが蕩けた時間。

 (月はやはらかにときほぐれ)

 メフメトとスレイマンとアタテュルク。

 細くすすどい姿を徴に持つ國の旗を纏ひ、御宿に降り立てば、沙漠には蔭が落ちる。

 (靄のやうにひろがつて)

 駱駝の背に身を任せ、ヴェネーツィア…おお、その名は光で出來てゐる…を遥かに過ぎ。

 (やがて折り畳まれる)


 アパートメントではなく、レストランではなく、パブではなく、パオでもロッジでも板敷でもない、見馴れた初めての路地裏で。

 少年の背伸びに似た韮と、少女の純潔を證たてる大根と、初恋の羞らひに似た薑がかしづく時、やはらかな黄金の延板があらはれる。

 王侯よ貧民よ。

 コンスタンティノポリスポンペイサマルカンドで、バルセロナシンガポールで、ダブリンで、文明の彼方、文化の隅、世界の涯てで、皿を箸をホークを手に、月光の塊を食み、一献を傾ける夜が來た。