閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

289 我慢するべき理由

 ちよいと腹が減つたかなと思ひながら歩いてゐる時に何が危険かと云つて、立ち喰ひ蕎麦屋のつゆの匂ひほど危ないものはない。カレーのスパイス香、大蒜の葷香と並ぶ、日本三大“突然食慾を刺戟する”香りと云つても過言ではありますまい。中でも立ち喰ひ蕎麦(ここからは単に蕎麦と書きますよ)はたちが惡い。カレーの場合、空腹の度合ひを、大蒜の場合なら後のことを考へなくてはならないが、蕎麦にさういふ気遣ひは無用である。詰り我慢するべき理由が非常に少ないと云へる。甚だしく混雑でもしてゐない限り、暖簾をくぐらない必然性を見つけるのは困難であつて、要するに店に入る。

 経験的にいふとこの手の蕎麦屋なら、冷しは麺もつゆも不自然に冷たいから、かつ丼やカレーライスとのセットでもなければ、撰ばない方が好もしい。もうひとつ、呑み過ぎた夜なら旨く感じられる。この場合、つゆに温泉卵を落とすと、喉触りが滑らかになる。さういふ例外はあるが、わたしの場合、殆どはたぬき。稀に月見か天麩羅。店が空いてゐて無理を聞いてもらへさうなら、たぬきに卵を追加する。中々うまいもので、家でも眞似する…その時は温泉卵を使ふ…ことがある。

 尤も兎に角簡単に済ましたいなら、かけに落ち着く。蕎麦とつゆと葱、以上終りといふ簡潔…寧ろ無愛想さがいい。揚げ玉や玉子や若布や掻き揚げの風味が混ざらないから、つゆの味が解るのもいい…いや失礼、こちらは嘘。さういふのは本格の蕎麦屋でこつそり愉しめばよく、立ち喰ひでは似合ふ似合はない以前に滑稽でありませう。ただ立ち喰ひも店で味は異なるから、好みを見つけるといふ目的があれば、かけで較べるのはひとつの方法…種ものの出來は別として…に成り得るだらう。

 こんな風に書くと、眞面目な蕎麦愛好家から

「折角蕎麦を啜るんだから、たかだか立ち喰ひなんぞに寄り道してちやあ、いけないよ」

と叱られるのは明らかで、云はんとするところはまあ、判らなくもない。判らなくもないが、ちよいと腹が減つたかと感じただけで、蕎麦を啜りたいと思つてゐるわけではない。そんな気分の時に蕎麦つゆの匂ひが鼻を擽ると、むやみに刺戟されるでせうといふ話だから、蕎麦愛好家のお歴々は早合点でいけない。立ち喰ひには、立ち喰ひの誘惑があるもので、首を傾げるなら、それはそれでかまひはしないが、そちらの側に留め置いてもらへればとも思ふ。

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 有り体なところ、蕎麦はおやつに近しい…現代で云ふハンバーガーのやうな食べものですからね。我慢するべき理由が無いのなら、さつさと啜ればいいんである。ただそこでうつかり、掻き揚げ蕎麦なんぞを註文すると、晩めし時分腹が重いままで困るから、そこだけは我慢するべき理由の有無とは別の用心が必要になる。