閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

291 葱を喰ふ

 池波正太郎の“剣客商売”の冒頭、主役のひとりである秋山大治郎が、貧乏道場で賄ひの婆さんが用意した(だつたか知ら)、麦飯と根深汁だけの質素な食事を摂る場面がある。鼻をひくつかせながら食べる様が、如何にも健康な若ものの食事らしかつたのは忘れ難い。いつたい池波はかういふ一筆書きが巧い小説家だつたなあ。

 ところで“剣客商売”を初めて讀んだ頃のわたしは大坂に棲んでゐて、大治郎が鼻をひくつかせた根深汁が何なのか、よくわからなかつた。後年

『(ぶつ切りにした)白葱を使つたお味噌汁』

だと知つて、なーんだ…ではなく、ははあ白葱といふ野菜が世の中にはあつて、それを用ゐた料理があるのかと思つた。それだけ無知だつたことになるが、普段の食事に白葱を見掛けるのは絶無(玄冬の鍋料理が精々)な少年期を送つてご覧なさい、貴女だつて同じ感想を抱く筈である。

 念の為に云ふと、葱を見掛けなかつたのではない。ただそれは分葱乃至浅葱が殆どで詰り青い。厳密に云へば葱と分葱と浅葱は別らしい(すべてネギ属ではある)のだが、植物學的な分類はさて措いて、丸太少年にとつて葱は青く細かく刻まれた姿で現れる食べものであつた。いや今でもさういふ気分は残つてゐて、たとへば蕎麦屋で添へられる白葱を見ると、何となく落ち着かない。

 白葱といふものが最初に意識されたのは、平成元年の市川であつた。新卒で就いた会社でどんな事情か、東京神田での勤務となつて、住ひがそこになつたのである。旧國鐵総武線の市川驛に併設された建物の中に大坂風饂飩の暖簾を見つけて

(これなら、まづいものは食べないで済むだらう)

さう思つたのは、我ながら狭隘と云はざるを得ない。それできつねうどんを註文したら驚いた。お揚げや出汁は確かに(まあ一応のところ)大坂…関西風に寄せられてはゐたが、その丼に白葱が綺麗に乗つてゐたからで、慌てて念を押すと

(成る程東夷はこれを大坂風の饂飩と称するのか)

とは思つたけれども、文句はつけなかつた。狭隘な上に傲慢な態度で、これでは池波に叱られる。

 併し東夷は侮れないもので、白葱はうまい。何でそれを知つたのかは記憶から抜け落ちてゐて、わたしのことだからどうせ、串焼きか何かでさう感じたに決つてゐる。ここでも念を押すと、串焼きの葱は中々六づかしい種らしく、焼き方の上手下手があからさまに解る。堅さ軟らかさ、水気や辛みで焼き具合と味つけを変へなくてはならないみたいで、その辺がぴたりと調つた葱の串焼きは實にうまい。肉とあはすのもいい。ネギマと呼ばれるやつ。葱のみなら塩が好みだが、ネギマはたれにする。葱の辛みとたれの甘みと肉の渾然を、七味唐辛子で引き締めるのがことに宜しい。

 ところでそのネギマは葱鮪の字があてられる。讀んで字の如く、葱と鮪の料理を示すのだが、案外と知られてゐない気がされる。割下でぶつ切りの白葱を煮て、そこに鮪の脂の部分を乗せて食べる。元はどうやら、保存の利かない鮪の脂身(赤身なら醤油漬けに出來る)を何とか使はうといふ工夫だつたらしい。天保頃の話。我われの何代か前のご先祖は、鮪の脂身を好まなかつたさうで、舌に適はなかつたのか、食べる機会に恵まれなかつたのか、両方でせうね。ぢやあ何の為の煮るのかと云ふと、脂身の香りが目的で、主役はあくまでも白葱であつた、と思はれる。成る程なあ。

 確かに白葱と脂の相性はいい。串焼きのネギマは勿論のこと、池波は根深汁に焼いた鶏皮を入れるのを好んだといふ。そのまま肴になりさうだ。我が青葱では残念ながらかうはゆかない。豆腐や饂飩に散らしたり、玉子焼きに混ぜ込むなら、断然分葱や浅葱の彩りと香りに軍配が上がる筈だけれど、この辺りはまあ、それぞれの特徴があるのですと考へておきませう。併し根深汁も葱鮪も未だ食べたことがないのは(わたしにとつて)大問題で、ことに後者はこまる。江戸人は鮪の脂身を低く見てゐたが、現代は脂身への過剰な信仰があるから、下手もの扱ひされない。浅草だつたかで食べさせるお店があると聞いたから、興味半分で調べると何千円かの値段で、寧ろ感心させられた。

 なので一ぺん試すとしたら、根深汁であらう。白葱に赤味噌と鶏皮を用意すれば、自分で作るのも無理ではなささうに思ふ。七味唐辛子を振つたり、おろした生姜を隠したり、柑橘の皮をあしらつたりすれば、少しは贅沢な気分だつて味はへるにちがひない。そこに麦飯を添へれば秋山大治郎の食事を気取れるが、こちらは既に若くないし、そもそも剣客でもない。葱と鶏皮をつまみに、一ぱい呑むのがこの際よろしからうと思はれる。