閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

297 はんぶん

 昔々、ハーフサイズ・カメラといふのがありましてね。ライカ判のフヰルムを半分づつ使ふ、一種のコンパクト・カメラ。昭和四十年代の初頭、爆發的に流行して、直ぐに消えた。我が若い讀者諸嬢諸氏はご存知ないでせう、えへん。

 

 その代表にオリンパスのペンを挙げて、異論は出ないと思ふ。外にはデミ(キヤノン)とオートハーフ(リコー)辺りか。コニカ富士フイルムも出してゐた。所謂大手で手を染めなかつたのは、ニコンミノルタくらゐではなかつたか知ら。

 

 当時としては大変に簡潔な操作で、沢山の寫眞を失敗も少なく撮れる。

 

 といふのは大した工夫であつて、この讚辞は米谷美久に捧げるのが正しい。ハーフサイズ・カメラの基礎はかれが手掛けたペンにすべて含まれてゐる。尤も米谷は最初から簡便なカメラを志向したわけではなささうで(この辺りの逸話は有名だらうから略す)、それがはつきり形になつたのは、ペンEEから、詰りこの機種が事實上、他社も含めたハーフサイズ・カメラの原型と云つていい。

 

 それが晴天下の水溜りのやうに消えたのは何故でせうな。当時のフヰルムが未だ引伸すには無理があつたことが先づ考へられる。わたしは以前にペンSを使つたことがあつて、その時のプリントは特に不満を感じなかつたから、この推測は一応のところ正しからう。

 

 フヰルム代が相対的に廉価となつて、三十六枚撮りなら七十二枚撮れるといふ利点が、薄れたことも理由になりさうだ。さう云へば同じくらゐの時期にローライ35が發賣された筈で、この稿の流れに添つて云へば、あれはハーフサイズではないペンであつたと見立てられはしまいか。かう書くと、フランケとハイデッケは厭な顔をするだらうけれども。ハーフサイズ・カメラは大流行の後、京セラからサムライといふ特異な機種を得て、完全な消滅に到る。

 

 今でも時々、ハーフサイズ・カメラが慾しいなと思ふことがある。實用目的ではない。その気になれば寫眞を撮れなくもない玩具。一部の例外(たとへばペンW)を除けば、大した金額にはならないもの。元日に三十六枚撮りフヰルムを入れ、毎月分六枚撮れば、年末に一年分の寫眞を眺められる計算になる。呑み屋で何ですそれはと訊かれるかも知れない樂しみも含めると、惡い算段ではなささうな気がされてきた。その惡い算段ではないと云ふ気分が、後者の樂しみに拠つてゐるのは云ふまでもない。

 

 撮る行為に重きを置くとすれば、撰択はペンF以外に無い。ハーフサイズ・カメラで、レンズ交換の可能な一眼レフはこれだけ(デミに前玉交換が出來る機種はある)だからね、仕方がないよ。併しこれだと、玩具として弄る愉快に欠ける。EE機は大体、セレン電池が駄目になつてゐる筈だから、撰びにくい。フジカ・ハーフなんて、端正なスタイリングだから、持ち歩く分にはいいのだけど、偶さかにも撮らうとするのには不向きである。

 

 さうなると矢張りペンだらうか。過去に使つたのはペンSだが、今度は同じくSでもF3.5のやつがいい。がらくた函のどこかに、非オリジナルのフヰルタと、そのフヰルタで取りつける式のフードがあつたと思ふ。流用は出來る筈だ。皮革品は好きではないけれど、ペンSに限ると似合ふから、これもがらくた函に埋もれてゐるだらう(ちよつと自信が持てない)ストラップを發掘する。それで取敢ずは鞄にはふり込んでおけばよい。仮にフヰルムを入れ忘れたところで、かういふカメラだつたら肴にもなる。