閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

301 換骨奪胎

 ほぼ毎日、スマートフォンのカメラ機能を使つてゐる。仕事の行き帰りに見掛けた季節の草花やちよつとしたスナップ…ではなく、何を食べ、或は飲んだかの記録が目的。大坂の古い友人に云はせると、忘れて仕舞ふのは、その程度なのだから

「わざわざ撮らンでも、ええんやないのか」

となるのだが、尤もだなあと思ひつつも習慣になつてゐるのだから、今さらどうかうするのは六づかしい。伝統の源流にはかういふ曖昧さがあるのではないか知ら。まあ曖昧と云つても、わたしの場合は、そろそろ怪しくなつてきた記憶の代用の一面がある。後から確かめつつ、またあれは旨かつたなあと思ひつつ手帖に書き寫す。厳密に云ふと目的はこちらで、撮影(といふほど大袈裟でもないのだが)はその手段でなければ補助と云ふ方が正確であらうか。かう書いて気がついたのは、どうもわたしは表現を目的に寫眞を撮らないらしい。撮れないと云つても誤りではなささうである。そんなら表現とは何ぞやといふ疑問が浮ぶのだが、この疑問はわたしの手に余る。漠然と

「何らかの意図をもつて撮影された一枚(乃至何枚か)があつて、それを見たたれかが共感でも反發でも覚えた時」

に生まれるかも知れない何ごとかではないかと思はれる…確証を持つてゐるわけではないから、ここを議論の種にされると困るとして、寫眞は撮影され、プリントされただけでは、寫眞にならないのではないか。辞書的な意味は兎も角、価値的にはさうでせう。植田正治の“砂丘モード”はわたしの大好きな寫眞シリーズなのだが、仮にそれが砂丘にぽつりと置かれて、気づけなければ、それは存在しない寫眞になるから、表現以前の問題になつて仕舞ふ。かう書くと反發を招くだらうか。併しわたしが日々スマートフォンで撮つてゐるだけの呑み喰ひが表現でないのは言を俟たないでせう。この手帖でもインスタグラムでもツイッターでも、たれかに見てもらふだけでは駄目で、何かしらの反応をもらつて(思ひきつて云ふと共犯関係が成り立つて)、やうやく表現になる可能性を得られる。ただそこで

「さうだよ。だから寫眞展への参加や自家製寫眞集は大事なんだ」

ぢやあ早速始めませう、と云はれたら困惑せざるを得ない。わたしが書いたのはささやかな指摘(の欠片)に過ぎず、指摘したからといつてそれを望んでゐるわけではないんです。それに価値的かどうかは兎も角、物体或はデータとして寫眞はあるといふ点は認めなくちやあならない。ここで冒頭に戻ると、記憶の代用…補助装置としての、物体乃至データであるところの寫眞は、その装置といふ位置附けが表現と異なる面で有用であるとも認めなくちやあならない。勿論そこには年齢といふ事情が潜んでゐて、また呑み過ぎて記憶を飛ばす(いやここでは飛ばしかねないと誤魔化しませう)事情も潜んでゐて、ちよいと情けない気もするけれど、貴女にだつてさういふ日が來るのです、多分。

「そんなのが有用なのかねえ」

ここで疑念でなければ反論が出されるだらうとは予想の内で、わたしはさう思ふよと応じるだけでもいいのだが、箔をつける意味で『断腸亭日乗』を挙げておかう。あの本には女給の服装や銀座の女の髪型、鷗外森林太郎の墓の様子などのスケッチが何点か載せてある。荷風はその場でなくても手近なカッフェーだか汁粉屋だかで手帖に筆を走らせたのだらう。文字にしにくいところをさうしたのだなと想像出來て、これはスマートフォンでちよつとメモを取るのとさして変らない。詰りわたしの行為は大正文士の流儀をば(この“をば”は荷風が好んで使つた強意。尤もかれが尊敬した上田敏は、“使はなければ文句の無い名文家なのだがなあ”と苦い顔をしたさうだ)、令和に換骨奪胎したと強弁出來なくもない。ただここで具合の惡いことに荷風はローライを使つて、現像焼附けまで試したらしい(“断腸亭”にも記述がある)記録…記憶の代用であれば、筆で和紙に素描するより余程に便利ではなかつたらうかと思へるが、当時のフヰルムや現像焼附けに掛かる手間や費用は、きつと今より大きかつたにちがひないさ。ところでその荷風の寫眞は、岩波文庫版の“断腸亭”に一葉も載つてゐない。余程ひどいのか、怪しからん寫眞計りゆゑなのか。いづれにせよ丸ごと残つてゐないとは考へにくい(まさか神社の扁額や墓碑くらゐしか無くて、詰らないのか知ら)あのひとには後世を十分に意識してゐた気配が濃厚だから(そこがかれの凄みでもある)、都合の惡いのは兎も角、全部を焚き火にはしなかつただらう。どんな寫眞だつたか気になりますなあ。何せあのひとはオペラ舘やロック座が大好きだつたもの。