閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

302 カップ焼そば

 初めて食べたカップ焼そばは多分日清のU.F.O.で暫く外に同じやうなのがあるのを知らなかつた。袋入りの即席焼そばはその前から知つてゐて、それも矢張り日清だつた。日清は大坂が拠点だか本社だかの筈だから母親が義理立てしてゐたのだらうか。併しそんなことを云ふなら家の血は四國に遡れるから、徳島製粉の即席麺にもつと馴染むのが筋だらうに實家で金ちゃんラーメンを見掛けた記憶は丸で無く、買ふのが面倒でなかつたのかなといふ当り前の想像に落ち着く。

 今でも偶に食べる。塩焼そばとか激辛とか大盛り何とか色々あるみたいだが、ごく当り前のソース焼そばが一ばんいい。旨いといふより外れが少ない感じがする意味でのいいで、本当なのかどうかは食べ比べをしたことがないから何とも云ひにくい。殆どはそのままで食べるけれど、気が向いたらマヨネィーズや醤油をぽつちり垂らしたり、青葱を刻んだのがあれば散らしてみたりする。實家ではしなかつた。お行儀が惡いと叱られた記憶はないから、単に思ひつかなかつたのだらう。

 藥罐にお湯を沸かして容器に灌ぐ。灌ぎながらこの容器は買つて持ち帰るまでは包装の一種だつたのになと思ふ。更に焼そばと名づけてゐるのにお湯で仕立てるのは妙だなと思ふ。その妙は更に續いて即席ではない焼そばもフライパンや鐵板で炒めてゐて、焼くわけではないなと思ふ。さうなると焼そばは炒麺と称するのが本來かと思へてきて、炒麺の名前は中國料理にあつた気がされて、本邦の焼そばはその暖簾分けだらうかと疑問が浮ぶ。浮ぶ頃には三分間くらゐは経つてゐるから、疑問はお湯と一緒に流し捨てる。