閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

305 素麺

 一体この時期は食慾が落ちる。空腹を感じないのではなく、胃袋に収められる量がぐつと減る。同時に収めたくなる食べものの種類が絞られてもくる。ごつてりとした煮込みなんかは見るのも厭になる。匂ひに鼻を擽られると旨さうだなと思はなくもないが、目の前に出されるとああもういいやとなる。尤も最初に書いた通り、空腹にならないわけではない。だから何かしらを食べるまたは食べざるを得なくなる。

 それで素麺を湯がく。麺つゆに生姜と青葱、天かすがあれば宜しく、安直ではあつても栄養的には零点に等しからう。だつたら外に別のものを食べればいいと説得力のある意見が出さうで、尤もではあるのだが、こちらは一ぺんに乾麺の状態で百五十グラムから百八十グラムくらゐ(二束から三束)食べる。さういふ無愛想な食べ方に馴染みきつて仕舞つてゐるから、今さらどうかうするのは六づかしい。

 檀一雄が著書で素麺の藥味を用意する手順を書いてあつて、椎茸をせんに切つたの、鶏の挽き肉の炒りつけ、茄子、炒り玉子に大根おろしと、確かにこれだけあれば豪勢だし旨くもあらうし、檀いはく十分から十五分程度の奮闘で済むといふ。このくだりは、文章のリズムが格別素晴らしいから余計にさう思ふのだらうが、これなら素麺だつて、ご馳走の末席には坐れるにちがひない。

 尤もこれで万事解決かと云ふと、さうとも云ひかねる。かういふ豪華な藥味に百五十グラムから百八十グラムの量は多いのではないか。併し折角の藥味を満喫するならそれくらゐは湯がきたくもあつて胃袋の容量が問題なのか。

 併しこの藥味だつたら玉子焼きと鶏のそぼろを主役に据ゑれば、素麺で無くてもかまはないのではなからうかとも思へてくる。罐麦酒だか冷酒の一合でも横に置けば立派な晩酌が成り立つて、そんなら二束乃至三束の素麺はどうなるだらう…晩酌で調子が出たら、そのままお代りを呑むことになりさうだ。まあさうなつたら、翌朝にひと束使つて、にう麺にでもすればいいか。うすめのお出汁に青葱をたつぷり散らしたにう麺は、醉ひの残つた頭にもうまいものである。