閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

321 ペンS(オリンパス)

 小説家はそのデヴュー作にすべてが隠されてゐるといふ説がある。分析をしたわけではないが、割りと正しいのではないかと思ふ。

 カメラに同じ見立てが成り立つかと云へば、それは怪しい。小説が原則として個人の作業なのに対し、カメラ造りは集団の仕事だからで、突出した個人が全体をどうかうするのは、創業社長が技術者でもない限り、余程困難と想像するのは容易である。

 勿論幾人かの例外はある。ヴィクター・ハッセルブラードや吉野善三郎、或はオスカー・バルナックの名前を挙げれば、納得してもらへるのではないか。そしてその系譜のおそらく一ばん最後のページに、米谷美久の名前を書き込んで、どこからも異論は出ないにちがひない。

 ペンが生れた経緯は神話めいた有名さだから、ここではいちいち触れない。併し累計で八百万台だかを賣りあげたのだから、米谷の設計…きらひな言葉を使へば“コンセプト”…がきはめて優れてゐたからで、凄いデヴュー作(小説家で云へば超大型新人)であつたとは、云つておきたい。

 そこでペンSに話を移すと、これは歴代ペンの二代目にあたる。初代ペンがおそらく制約…六千円で賣れるカメラといふ條件…で出來なかつた点を、本來の形に戻したと思はれる機種で、機能や構造から云ふと、これがペンの完成形ではなからうか。

 別に高級なカメラではない。ペンSに限らず、ペンFも含め、すべてのペンは(所謂)中級機か普及機であつた。このくらゐの機種に高級感や質感を認めるひとは、現代のカメラしか知らないからで、その現代カメラのスタイリングが如何に痩せてゐるかを、間接的に證明してゐるとも云つていい。

 尤もさういふ勘違ひは兎も角、ペンSが優れたカメラであつたのは間違ひない。どこにお金を掛けるべきか。どこの費用を削ればいいか。それらをどう纏めるかを米谷美久ひとりで成したのは、カメラ設計史上の奇観といつていい。オスカー・バルナックはライカの原型を造つた偉大な技術者だつたけれど、レンズまでは目を向けられなかつた。記憶を頼りに云ふと、ウル・ライカのレンズはツァイスのそれを転用した筈である。

 もうひとつ、意外に知られてゐなささうだが、ペン(S)にはアクセサリが幾つも用意されてゐる。フヰルタやフード、フラッシュ撮影用の機器、複寫用の脚まであつた。その気になれば、ペンSですべての撮影をまかなふのも不可能ではなからうと思へて、ミノックスが連想される。もしかするとこのカメラがアマチュア向けといふのは世を忍ぶ仮の姿だつたのだらうか。