閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

331 屏風絵葡萄酒

 屏風絵や掛軸や襖絵は、かまへずに眺められるところがいい。気らくと云ふと、生真面目な美術愛好家から、白い目で睨まれさうだから、リラックスして眺められると云ひかへておきませうか。

 たれの説だつたか、江戸以前の美術は、獨立した藝術ではなく、生活の一部に在つたと指摘したひとがゐた。筆者は藝術は藝術として閉ぢ籠つたのではなく、生活と平気な顔で往來してゐたと云ふ。それが妥当かどうかは別として、併し仮に正しいとすれば、屏風絵や襖絵に感じる気らくさ…訂正、リラックスした気分にも納得がゆく。あれはわたしが理解した所為ではなく、藝術がこちらに歩み寄つてきた結果なのだ。

 尤も美術館で眺めると、さういふ気分は一ぺんに薄まりますな。先づ硝子の向ふに飾られ、“特別な美術品”になつてゐるから、こちらも何だか緊張する。させられる。もつと気に入らないのは、靴を履き、立つたまま眺めさせられることで、屏風絵も掛軸も、畳に坐つて目にするのが本筋でありませう。“特別な美術品”扱ひは目を瞑る。また期間の決つた展示なら我慢をする。さうではない専門の美術館なら、入場に際して靴を脱ぎ、畳敷に坐つて眺められる展示にしてもらひたい。それで薄茶の一ぱいも振舞つてくれたら文句はない。前賣予約制にしたら、無理ではないと思ふのだが、美術館の中のひとにはどうだらう。

 實現の目処は無いけれども、ああいふ絵は硝子も何も取払つて、胡座をかいて呑みながら眺めるのが、併し恐らくは理想ではないか。美人画や役者絵…これは今で云ふポートレイト或はブロマイドまたはグラビアに相当する…をあれこれ論評しながら、盃を交はすのはきつと愉快だらう。かう書くと眞面目な愛好者から睨まれるか知ら。とは云つても、生活の一部に在つた藝術を、それに近い姿で堪能するには最善の方法ではありますまいか。

 不満顔は見なかつたことにしませう。

 そこで問題…いや話題にしたいのは、美術館でなくとも仮にさういふ機会に恵まれたとして、何を食べ、また呑みませうかといふこと。中々に六づかしい課題ではないかと思ふ。

 鋤焼きや寄せ鍋のやうに、自分で料りながら食べるのはいけない。煮える土鍋に気を取られすぎる。饂飩や蕎麦も、丼に集中せざるを得なくなるから遠ざけませうか。概して食事とはつきりした献立は不向きであるらしい。かと云つて山葵や海苔や塩では、格があはなさすぎる。おでんや焼き鳥はちよいと品下れて仕舞ふ。

 蛸と胡瓜と若布の酢のもの。

 烏賊の辛子酢味噌和へ。

 焙つた生揚げ。

 茗荷や薑。

 まあその辺りを、小鉢にちんまりと盛るのが宜しからう。この場合だと呑むのは冷や酒ですな。

 併しお酒でなくちやあ、いけないのか知ら。

 たとへばヰスキィ…は感心しない。水割りを舐めながら眺めるのは、数奇者といふより買付け業者のやうだ。ウォトカもエルミタージュ風なら兎も角、琳派の屏風には似合ひさうに思へない。

 外ツ國のだからいけないのかと思つたが、泡盛や焼酎が出てきても困る。どちらも賑やかで花やかな酒宴には似合ふけれど、この稿で考へてゐる場所だと、醉ひが妙な具合に、腹の底へと沈みさうな危惧がある。

 矢張り酒肴を用意するのが最良かと結論に到りさうになつて、待てよ葡萄酒はよささうではないかと思ひついた。本格的な料理の用意が要らないのはお酒と同じである。

 生ハムやチーズ。

 様々のピックルス、或はオリーヴ。

 レヴァ・ペーストにバゲットかクラッカー。

 それから鰯や蛸のオリーヴ油漬け。

 串で炙つた獸肉くらゐならあつてもよく、小皿で供してもらひたい。葡萄酒は赤ならミディアムかそれより軽め、白だつたら酸味の感じられる辛くち…淫せずに済む味はひが望ましい。これなら業者の目つきにならないし、ウラーと叫ばなくてもいい。

 それはまあ確かに、全体の調和を鑑みれば、酒肴を並べる方がしつくり収まる。その点は認めるのに吝かではない。といふよりそれが当然の帰結ではないか。併し葡萄酒とおつまみだつて決して惡くはないし、寧ろ優位と呼べさうな点もある。上に挙げた幾つかの例は、ホークでちよいと刺すか、指でつまめることで共通してゐる。普段なら何と云ふこともないが、この稿の前提だと、無視するのが六づかしくなる。序でながら、葡萄酒と金屏風は、ジャポニスムといふ接着剤で結びつけられもする。さう考へれば、この組合せを不釣合ひとは云ひにくからう。

 尤もそんなら葡萄酒とおつまみを用意して、油絵を愉しむ方が、もつと綺麗に収まるだらうさと反論が出さうで、その意見は解らなくもない。ただわたしが観たことのあるあちらの絵画が、純化された藝術であつた所為か、何を思ひ出しても、飲食といふ俗な快樂を厳しく拒みさうな気がされる。今のところ例外なのは、ミレーのポーリーヌとカトリーヌなのだが、ふたつの難問がある。ふたりがいづれも人妻であること。もうひとつはこの蠱惑的な絵で葡萄酒を味はふには、収藏してゐる美術館だと、まつたく場違ひになること。前者は笑つて誤魔化せるけれども、後者に関しては如何ともし難い。