閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

343 汽車めし([341 麦酒!]と[342 冷す]の續き)

 わたしが尊敬する随筆家兼小説家は敬称略で丸谷才一吉田健一檀一雄、内田百閒の四人。四人共、昭和の年号以前…丸谷が大正十四年、吉田と檀は明治四十五年、百閒は明治二十二年…に生れてゐる。結果はどうであれ、わたしが明治大正の大先達から影響を受けてゐるのは確かであつて、どこがどんな風に影響されてゐるかは、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、夏やすみの退屈しのぎにしてくれ玉へ。

 上に挙げた四大先達の中で、一ばん眞似しにくい(影響が出にくい)のは内田百閒で、外のひとも同じなのかは知らない。簡単だよと云ふひとがゐれば、そもそも内田百閒に興味が無いよといふひともゐる筈で、そこに文句を云ふのは筋がちがふ。わたしにとつては眞似のしにくい文章家なのは事實で、併し理由がよく解らない。よく云はれるのは、百閒先生の“過剰な(正しくは過剰に感じられる)書込み”なのだが、そこを眞似するのは苦痛ではない(六づかしいとは云つてゐませんよ、念の為)丸谷は“無内容を内容に転じさせる藝”と評してゐて、これは絶讚である。とは云へこの手帖だつて無内容なのには自信がある。内容に転じてゐないのはこちらの浅學非才であつて、浅學非才の分を差引きしつつ、眞似のしにくさとは異なる気がする。気がするのと現實に大きなちがひがあるのは不思議ではないが、その大きなちがひが自覚出來てゐなければ、無いのと変らない。矢張りよく解らない。かういふのは自分でどうかうするより、『ウェブログ文化における丸太花道の文章と内田百閒の関連性について』とかいふ研究で論じてもらふのが宜しからうと思ふ。中學生辺りの自由課題にどうだらう。

 随筆だか小説だか何だか判らない文章といふのが世の中にはある。あつた。ある時期の永井荷風(明治十二年生)や晩年の司馬遼太郎(大正十二年生)がさうだし、吉田健一にもその匂ひが濃い。日本的な私小説の伝統に萌芽があるのか、随筆や小説に纏はりつく曖昧さが土壌にあるのか(併し荷風も司馬も吉田も、私小説の系譜ではないよねえ)、その辺は解らない。それに理由がひとつだとも限らない。ここでは文學的な考察はさて措いて、随筆と小説が混在する…どちらでもあつて、どちらでもない…文章があるかあつたかした、で留める。それで思ふのは、我が百閒先生の文章も、随筆と小説の曖昧な境界にあつて、その曖昧が過剰な厳密と混ざりあふところ…こつてりした肉の膏みを、たつぷりの大根おろしで食べるやうな感覚…が、眞似の六づかしい理由(のひとつ)ではあるまいか。

 かう書くと丸谷吉田檀は眞似し易いのかと思はれさうだが、勿論そんなわけはない。ただ何となく眞似出來さうな気はされる。勘違ひなのは云ふまでもない話で、さういふ文章をものに出來たなら、今ごろわたしは文士の端くれを自称してゐるだらう。文士の端くれがえらいのかどうかは知らないが、文士にとつて外の文士が書いたものは商賣敵の商品になるから、無責任に娯しみにくからう。そんなら文士になるより文士の文章を閑に任して讀む方がましな気もしなくはない。何しろ文士になつたことがないのだから、ましかどうかの保證は致しかねる。

 何の話をする積りでゐたのか。文學的な考察でないのは確かで、“麦酒”に“冷す”と續いたから、今後は呑まなくてはならないと考へたのを思ひ出した。順番通りである。それで近ごろまた『阿房列車』と『汽車旅の酒』の頁を交互に捲つてゐて、麦酒を呑むなら汽車がいいと考へたのも思ひ出した。我ながら軽薄である。だからと云つて、この稿だけ特別に重厚にするわけにもゆかない。なので軽薄なまま話を續ける。

 汽車…今はもう列車か鐵道と呼ばなくてはならないか…で麦酒を呑むのはうまい。汽車に乗り込み、鞄を棚に上げ、席に坐つて直ぐ呑むのは駄目で、駄目と云ふのが駄目なら、さういふ呑み方は家で呑んだり居酒屋で呑んだりするのと変らないから旨くないと云ふ。家や居酒屋で呑む麦酒がまづいのではないが、汽車で呑む麦酒は家や居酒屋で呑むのと同じ銘柄でもちがふ麦酒である。黒ラベルスーパードライの頭にそれぞれ“汽車で呑む”といふ冠がつくのがその理由で、理由になつてゐないと思ふひとは、さう思つておけば宜しい。わたしはさういふ冠をつける方が、汽車で呑む麦酒の味を佳くすると考へる。それでその冠が本領を発揮するのは汽車が驛を滑り出てからのことで、滑り出てから少し我慢するともつといい。たとへば東海道新幹線の東京驛から乗るとしたら、せめて新横濱を過ぎるくらゐ。さうして待つことで、躰が坐席に馴染んでくる。馴染んでくればおれは今、汽車に乗つてゐるんだと實感されてくる。そこで罐麦酒を開けて、ぐうつと呑むとうまい。待つてゐるうちに折角の麦酒がぬるくなりやしないかと心配する向きもあらうが、不思議なものでその少し計りぬるくなつた麦酒がうまい。家や居酒屋だつたら我慢ならないだらう。

 麦酒を呑むのだからつまみが要る。麦酒に限つたことでなく、葡萄酒でもお酒でも要るから、呑むならつまみが要ると云つてもかまはない。そもそも汽車で呑むのは麦酒に決つてゐない。現に百閒先生はお燗を入れた魔法壜を夜行列車に持込んだし、宰相の息子はシェリーやヰスキィを味はつたといふ。魔法壜やシェリーまでは眞似出來ないが、麦酒の外に葡萄酒の小壜や冷酒を持つてゐたことはあつて、さうなると余計につまみが欠かせない。本式の呑み助はつまみを要しないといふ説がある。塩や焼海苔があれば上等だらうとでも云ひたいのだらうが、どうも妙な意見に思はれる。塩や焼海苔で十分と云つたつて、麦酒や葡萄酒やお酒にあはせるのだから、その塩や焼海苔はそれ自体、つまみに出來る程度に旨くなくてはならない。その辺のマーケットで特賣になつてゐたやつが惡いとは云はないが、汽車に持込む麦酒或は葡萄酒乃至お酒は、普段より少し気張つて仕舞ふもので、そこを考へると特賣品は分が宜しからぬだらうと想像するのも容易である。第一気張つた銘柄を呑むのだから、つまみだつて色々と慾しくなるのは人情である。塩や焼海苔が佳品だつたとして、それだけではきつと物足りなくなる。矢張り何かしらを用意するのが無難な態度と思はれる。

 小學生の頃だから遡つて四十年余り前、新大阪から岡山まで、山陽新幹線に乗つたことがある。父親方の親族が大半、愛媛の新居浜近辺にゐて、今もゐるのだが、その時はお墓参りとかさういふ事情だつたのではないかと思ふ。こだま號で岡山まで出て(何かの唄で、“時速二百五十キロ”と聴いた記憶がある。そんな時代だつた)、瀬戸大橋が架かる前だつたから在來線で宇野まで。宇野から高松は宇高連絡船。高松から予讃本線の急行列車といふ面倒な移動だつた。今のわたしなら高松で一泊くらゐするだらう。かういふ思ひ出話をするのは、当時のこだま號にはビュッフェだが食堂車だかがあつたからで、両親は慎ましかつたのか、新大阪から高々一時間程度だから必要無いと考へたのか、それとも乗り物醉ひし易いたちの伜に気を配つたからか、そのビュッフェ乃至食堂車がどんなだか、わたしは知らない。残念だと思ふ前に新幹線のみならず、全國の特別急行や急行の食堂車は廃止されてゐた。残念と思つたのは廃止になつてからで、後悔の種は先に立つ前に枯れてゐたことになる。一部の編成には残つてゐるかも知れないけれど、食堂車を残す編成であれば、何十万円もする豪華絢爛な旅行列車の筈だから、今のところわたしから用事はない。

 食堂車やビュッフェが廃止されたのは儲けにならないからだらう。汽車で供する飲食だから割高になるし、そのくせ供する飲食は町中の洋食屋や定食屋を凌ぐわけでもなかつたらうと推測も出來る。だつたら客車にしてしまはうと考へたにちがひない。麦酒その他やお弁当の類は驛構内で賣ればいいし、車内で罐麦酒やピーナッツやあたりめを買へれば、文句は出ないだらうさ。と乱暴な口調の会議があつたかどうかは兎も角、形式…結果としてはさうなつてゐて、あれはいかんよといふ聲は耳にしないから、おほむね正しい判断だつたのだと思ふ。尤も食堂車を体験しないまま、現在に到つたわたしにはどうも面白くない。それは丸太の気分だから知らないよと云はれたらそれまでではあるが、實際上でも困惑を感じることがある。汽車の席に坐つたら、先づ折畳まれた卓を倒し、そこに罐麦酒や葡萄酒の小壜、お弁当やサンドウィッチの類を乗せるのだが、殆ど必ず卓上が一ぱいになる。溢れなければいいと云ふひともゐるだらうが、あの狭苦しさは見るだけで落ちつかなくなる。余裕を持てる広さにするとしたら、坐席の配分からなほさなくてはならない。何年か先にさういふ車輌が登場する期待はあつても、何年か先まで汽車に乗らずに済む保證はない。

 年に一ぺん、東京驛からこだま號で新大阪驛まで移動をする。新横濱を過ぎた辺りから米原近辺までの三時間余りを呑む為で、食堂車が無いのは現状の編成として、併しこだま號には車内販賣も無い。麦酒でも何でも追加したくなつたら、どうすればいいのか。かう云ふと旧國鐵のえらいひとは、通過待ちで五分かそこら停車する驛があるですから、そこの賣店でどうぞと応じるにちがひなく、理窟は判らなくもないけれど、その賣店でこちらの慾しいものがあるとは限らない。降りて賣店まで駆けて、サッポロを買はうとしてもサントリーしか残つてゐない可能性はある。サントリーがまづいとは云ふのではなく、呑みたい銘柄が見当らなければ、駆け出し損といふ気持ちになることを云ひたいのである。それに三時間余りのあひだ、同じ調子ではゐられない。少しづつでも醉つてくるもので、さうなると車外に出て賣店を目指して、停車時間内に戻れるかどうか、些か自信が持てなくなる。そこで食堂車でもビュッフェでもいいから、呑める車輌があれば安心出來るのになあと思ふ。東海道新幹線のこだま號は東京新大阪驛の運行だから、呑みすぎる恐れはあつても、乗り過ごす心配は無い。さういふたちの惡い醉つぱらひが迷惑だから、食堂車を廃止したのですと云はれたら、云ひ逃れの余地は失せて仕舞ふ。

 とは云へわたしは何も、汽車の中で獨り居酒屋を開店さす義務を負つてゐるわけではない。たとへば“道草”で吉田健一は汽車に乗る前、改札口に近い食堂に潜り込んで

「生ビールにハム・エッグスという風な」

ものをしたためたり、或は乗継ぎの驛で“かけに生玉子を入れたの”…月見蕎麦ではないのだな…を啜つたりしてゐる。或は途中の驛で焼賣やら鱒鮨、蟹鮨を買ひこんだりもしてゐる。乗る汽車走る路線次第では、今だつて眞似出來る期待を持てる。それは限られた路線の限られた汽車だらうから、實現は六づかしいんではないでせうかと気を揉むひともゐさうだが、またその揉み方には少なからず同意を示したくもなるのだが、今日明日の内に行かねばならぬわけではなく、食堂車のやうに失せたとしても、それはそれで止む事を得ない。“生ビールにハム・エッグス”をしたためるのだつて、惡い話ではない。罐麦酒を二本と葡萄酒半壜、おかずをちまちま詰めたお弁当かサンドウィッチにチーズとクラッカー。経験的に云へばこれで大体二時間かそこらは愉しめる。廉と云へば廉だが(高くても二千五百円とかそんなくらゐだらう)、切符代や特急料金や泊るとすれば宿代も嵩む。そこを含めると汽車めしはえらく贅沢な娯樂とも云へる。そこは廉に済んだと思つていい気持ちになつてもいいし、贅沢をしてゐるなあと御大尽気分を味はふのだつて惡くない。さういふことを考へて、汽車めしの為の計劃を立てたくなつたのは、ここだけの話にしておかう。