閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

364 鯵フライの懐の深さ

 鯵はどうしたつて美味い。

 たたきにお刺身。

 骨を使つたお吸物。

 塩焼に干物。

 マリネー、なめろう、南蛮漬け。

 冷や汁

 炊きたてのごはんとひと粒の梅干しがあれば、前菜から汁ものまで、鯵尽しの食卓が成り立つのは大したもので、鯖や鮭もさうだらうさと云はれるだらうが、また鯖も鮭も大の好物であるが、この稿の主眼は鯵を褒めることなので、鯖の愛好家や鮭マニヤには別の機会をお待ち頂きたい。

 “鯵”と“料理”で検索をかけると膨大な調理手順が見つかる。どこまで旨いのかは解らないが、鯵自体が生でも火を通してもうまいから、そこまで心配しなくてもいいのだらう。さう考へるとフランス式や中國式のやうに、焼いて叩いて蒸して揚げて、葱や大蒜や生姜で仕立てた凝りに凝つたソースで供することはあるのか知ら…あつてもそれは、鯵を使つた別の料理ではないかとも思ふ。

 併し我われに一ばん身近な鯵料理といへば鯵フライであらう。定食屋や呑み屋で珍しくないし、マーケットのお惣菜でも馴染み深い。さう思ふとコンヴィニエンス・ストアで扱はれてゐないのは妙で、鶏の唐揚げやフライド・ポテトやおでんや焼き鳥はあるのに、鯵フライに冷淡な理由が判らない。一枚だか一尾だか、どう数へるのか知らないが、百円くらゐなら、それなりの人気を得るだらうに。

 その鯵フライ、調味料を撰ばないのが凄い。

 ウスター・ソース。

 タルタル・ソース。

 塩。

 醤油。

 ぽん酢。

 マヨネィーズやケチャップや辣油もあはせられるし、隠し味を含めれば辛子やチリー・ソース、大蒜に生姜も似合ふ。もしかすると甘酢あんや味噌のたれでもいけるだらう(試したことは無い)コロッケやミンチカツでも出來なくはなからうが、鯵フライほど懐は深くなささうである。

 とは云へ鯵フライは本來、洋食に属してゐる筈だよな。

 さう思ふと何となく、をかしい。をかしいのか知ら。我われのご先祖は洋食が入る前から、鯵を味噌や醤油や酢で食べるのに馴染みだつた。その馴染みの魚が洋食に転身したとして、それまで当り前に使つてゐた調味料をほいほいと横に置けるとは思へない。同じ洋食でもコロッケやミンチカツとは出自が異なることを考へに含めれば、鯵フライの調味料に対する器の大きさ、懐の深さも納得がゆく。揚げたてでもない限り、鯵フライには下品と思へる程度に調味料を使ふのがうまい。