閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

376 盛合せのこと

 “何々の盛合せ”と聞くと、何となく昂奮する。たとへば天麩羅の盛合せ。或はお刺身の盛合せ。格は多少落ちるが、おでんやチーズ、ソーセイジの盛合せなんていふのもある。旨いもののいいところ取りの感じがして、かういふのは西洋にあるのだらうか。イタリアでスパゲッティとマカロニとフォッカチーネの盛合せセットなんて、どんな田舎町にも無ささうな気がする。中國でも揚げ鶏と牛肉の煮込みと焼き豚肉の盛合せがあるとは思ひにくい。我が國獨特の供し方なのだらうか。

 

 元は一種の宴会料理なのではないか知ら。土佐に皿鉢といふ形式があつて、檀一雄の『美味放浪記』から引くと

 

 大鯛が二尾、岩の上に躍り上がっている。その岩の下に波打っている刺身の群は、これは、海の波にでも見立てたものであろう。その周囲に積み上げられたサザエや、トコブシや、エビの群。いやはや、たちまち、私に正月が

(黒潮の香を豪快に味わう皿鉢料理)

 

襲ひかかつてきたやうに豪華な料理であつて、これだけでは信用出來ないと首を捻る向きには、丸谷才一の『食通知つたかぶり』の

 

 鰹のたたき。尼鯛の姿ずし。トコブシ。蟹(エガニといふむやみに爪の大きい蟹)。カマボコ。ウメイロ(鯛のやうな、シマアヂのやうな魚)。バイ貝。栗の甘煮の空揚げとギンナンの空揚げ。イカの黄身やき。枝豆。イカの握りずし。マグロの握り。アナゴの握り。トマト。海藻。タデ。ウド。

(四国遍路はウドンで終る)

 

といふ絢爛豪華な一覧も挙げておく。どちらもまつたく旨さうで、長宗我部の一党が四國を切り取つたのは、かういふものを食べたからではないかと思ひたくなつてくる。十六世紀の鬼國侍の食卓がどうだつたか、知人がゐないので、本当のところは判らない。それに我われだつて、似た形式の料理は持つてゐるので、御節がさうである。重箱に詰められた棒鱈や煮豆や蒲鉾や昆布巻きを、皿鉢のうんと小さくて特殊な形態とみても、因果関係は兎も角、見た目の関係は誤りとは云へない…気がするのだが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には如何だらう。

 

 さてそこで御節や皿鉢から、ある一定の括り…煮物だとか揚げものだとか…を取り出して、小皿中皿に纏めるとする。ほら、そこに盛合せ(の原型)が完成してゐないだらうか。スウェーデンにスメルガス・ボードといふ(元は)持寄りの宴会料理があるのを思ひ出す。煩を厭つて一覧の引用は控へるが、皿鉢に劣らず非常に豪華。あすこから魚だけ肉だけ、ひと皿に纏めたら、スウェーデン風盛合せになるだらうに、さういふ料理は見たことがない。

 ただかう考へると、我われに馴染み深い種々の盛合せは、本式な豪奢の一部を抜き取つて成り立つたのではないかと疑念が浮んでくる。昂奮するのはひよつとして、貧乏臭さの裏返しではあるまいか。不安になつてきた。いやいや気にしなくても、日本には鮨桶といふ一種の盛合せがあるでせうと慰めて呉れるひともゐるだらうが、鮨桶は寧ろ日本式の盛合せが出來た後、生れたのではないだらうか。勿論、信頼に足る根拠は無い。

 

 盛合せの原型は洋食かと思へる。信頼に値する根拠を持たないまま續けるのだが、フライやソテーやカットレットが我われの食卓に登場して、僅かに二百年足らずしか過ぎてゐないからなあ、とは云ひたくある。それも短期間に波が押し寄せる勢ひで入つてきて、日本の食事史が何年になるか知らないが、空前の激変だつた(いや今もその最中であらうか)と理解しても、誤りにはならない筈である。尤も最初は随分と無愛想だつたらしい。内田百閒の『御馳走帖』を見ると

 

 カツレツの片は無暗に大きくて、お皿の外に食み出してゐる(中略)ただ一皿のカツレツを、太牢の滋味として味はひ、何となく身内に精気が漲るやうな気持ち

(食而)

 

になつたと書いてある。これは“田舎の高等學校にゐた頃”とあるから明治の終り頃だらう。当時はその程度でも十分洋食を名乗れたと判る。百閒先生が學生時代を過したのは岡山だから、東京では多少なりとも事情が異なつたかも知れないが、数年程度の誤差ではなかつたか。

 その“お皿から食み出”るカツレツで我慢ならなくなつたのは、洋食屋だつたか、それとも定連客の方かは判らない。もしかすると旧來の盛附けを熟知したたれかの入れ知恵といふ可能性もある。そこに併せて考へられるのは盆栽や箱庭好みで、狭いお皿にどれだけ花やかな盛附けをするか、競ひあひが起きた結果が、謂はば“洋食の盛合せ”で、牛肉のカットレットにコロッケと海老フライとか、その辺りが最初だつたのではなからうか。それを知つた和食屋が、大慌てで天麩羅を、またお刺身を盛合せてきたのではありますまいか。敢て確めることはしてゐないから、まつたくの勘違ひだつたとしても、責任は取りませんよ。

 

 ここまで書けばご想像頂ける筈だが、わたしは洋食屋の盛合せが好きなのです。クリーム・コロッケとハンバーグと海老フライ。フライド・オニオンにフライド・ポテト。烏賊フライ。ポーク・ソテー。ミンチカツ。何だか判らない白身魚のフライ。オムレツ。ソーセイジやベーコン。或はグラタンやシチューかスパゲッティ。添へものにはトマトにレタースにアスパラガス。セロリー。ザワー・クラウト。

 

 ね。旨さうでせう。

 

 かういふのをやつつける場合、シェリーから始めて赤と白の葡萄酒、それからブランディといふ西洋式の流れではうまくゆかない。最初から最後まで麦酒で押し通すか、途中から冷した穏やかなお酒に移るのがいい。どうしても葡萄酒が慾しいなら、ミディアム・ボディをカラフェに用意してもらふのが宜しからう。乱暴なことを云ふなあと呆れるひとが出さうだが、洋食は西洋料理ではなく極端に洋化された日本食なので、たとへばシェリーからボルドーまたはモーゼルと進むより、壜麦酒や徳利が適ふし、似合ひもする。

 山ほどの洋食を盛つた大皿を眞ん中に、麦酒と徳利を何本か、序でにカラフェを置き、三人か四人で摘み、また呑めば、愉快で旨くて、明治青年の気分まで味はへるにちがひない。それで思つたのだが、今に繋がる盛合せを作つたのは、皿鉢をつついて大酒を喰らふ方式を、文明開化に当て嵌めた土佐人ではなからうか。高知の洋食盛合せを見たことはないが、ミンチカツやポーク・ソテーの代りに、鮪のカツレツやくぢらのステイクが載せられてゐても、不思議には感じないだらう。