閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

386 立ち呑み考

 暫く立ち呑み屋に足を運んでゐない。

 好きな店は何軒かあつて、その気になればいつだつて行ける筈なのだが、どうもタイミングがあはないといふか、その気になつた時と財布の具合が宜しくないとか、そんなこんなで足が遠のいてゐる。

 行く時はひとりである。

 立ち呑み屋は狭いのが基本なので、多人数で押し掛けてはいけないといふのがひとつ。わたしの周囲に、立ち呑みを好むひとがゐないのがもうひとつの理由。立ち呑みを好まない事情は

 「落ち着かなくつていけない」

 「呑み喰ひに期待が持てない」

であるらしい。さう聞くと、無理強ひはしたくないから

 「まあまあ。そんな事は云はずに」

と誘はうとも思はない。腹の底で、そんな事もないんだがなあと呟きはする。説得するのが面倒なのかも知れない。

 立ち呑み屋は大きく二種類に分けられる。

 先づ居酒屋の縮小コピーのやうな店構へ。

 もうひとつは呑ます事に集中した店作り。

 後者から触れると、わたしの知る範囲ではヰスキィ、葡萄酒、それから麦酒が主で、お酒も見掛けなくはない。出す種類を絞つてゐるから、相応に品揃へがあるのがいい。つまみは限られてゐるから(ちよつとした煮込みやハム、塩辛の類くらゐが精々)、食事を兼ねて入るのは無理がある。但しその限られたつまみは、扱ふ酒精に準じて用意されるから、決してまづくないとは云つておく。それにカウンタの向ふ側にゐるひとは、ヰスキィや葡萄酒の知識をちやんと持つてゐる。判らなければ正直に

 「辛くちで、あつさりした、癖の少いやつがいいのだけれど」

何かお薦めはありますかなどと相談すればよい。あしらひが適はないなと思つたら、その一ぱいを干して出れば済むのだし、さういふ気がるさもまた、立ち呑み屋の利点である。

 併し立ち呑み屋の樂みは矢張り前者にあつて、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ

 「すりやあ丸太は貧しいからな。廉価は有難いにちがひないさ」

と笑はないでもらひたいね。さういふ立ち呑み屋は確かにあるし、その廉価が有難くないわけもないけれど、ここで云ふ前者の立ち呑み屋には含めない。

 ぢやあ外にあるのか。と疑念が呈されるのは予想の範囲内で、小ささ狭さを逆手に取つたやうなお店がある。焼き餃子や鶏の天麩羅、或は酢のもの。さういつたメニュがあり、註文を受けてから用意を始めるので、少し計り待たされはする(外のお客の註文もあるし、この手のお店で調理をするのは、大抵がひとりだからでもある)が、所謂普通の居酒屋より旨い事も珍しくない。大坂は京橋の狭苦しい立ち呑み屋に連れて行つてもらつた事がある。地元の小父さん小母さんが千円札を二枚かそこら、ポケットにねぢこんで潜り込むやうなお店だつたが、實にうまかつた。確か鮪のぶつ切りなんぞも出してゐて

(油断も隙も、あつたものぢやあない)

と呆れた記憶がある。魚市場と宜しくやつてゐたのか知ら。

 ここで一応云ふと、かういふ立ち呑み屋で、通が歓ぶやうな酒精…どこの藏とかシャトーとか…を期待するのは誤つた態度といつていい。ありふれた酒精を旨く呑めてこそ立ち呑み屋だし、その工夫を凝らすのが、よい立ち呑み屋の條件だともいへる。

 生麦酒よし。焼酎ハイもよし。葡萄酒だつていいし、気の利くお店なら泡盛や濁り酒を用意してゐるかも知れない。何から呑んだつてかまはないが、品書きの黒板に、“オススメ”とか“名物”とかあつたらしめたものだ。小さな厨房を持つ立ち呑み屋の“オススメ”乃至“名物”は言葉通りである。旨さうなのを撰んで、そつちから何を呑むかを決める手もある。

 「それだと」と不安を感じるひとが出るだらうか。たとへば「呑む順がをかしくなつて、惡醉ひしさうだ」

その不安は判らなくもないが、惡醉ひするのは呑み方が間違つてゐるんですと云つておかう。

 小鉢(でなければお通し)、“オススメ”と焚きものをつまみに、三杯も呑めば十分なのが、立ち呑み屋の基本。つまみが期待以上に旨いとか、女将さんや大将のあしらひが巧妙とか、偶々隣あつたお客との話が愉快とか、さういふ例外はあるとしても、食べて呑んで、空になつたら、すつぱり

 「それでは、お勘定を」

と云ふのが望ましい。三杯くらゐで惡醉ひするとは思へない…ウォトカを生でなら話はちがふだらうが…し、惡醉ひするとしたら、そもそも立ち呑み屋で引つ掛けるのに不向きなので、行くのは諦める方が宜しからう。ほろつと醉つた感じ(微醺低吟といふるい言葉がありますな)で勘定を済ませたら、腰を据ゑて呑みに行く。そのまま帰宅したつてかまはないけれど、一軒三杯の立ち呑みで満足出來るひとは呑み助の上級者であつて、わたしは未だその域に達してゐない。