閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

397 貴族と主婦のソース

 ウスター・ソースはどうやつて生れたかといふのは曖昧である。[ウスターソースの起源と歴史とは-日本のソースは日本独自の調味料!?]

https://plustrivia.com/originfoods/804/

を参照すると大きくふたつの説がある。

 

●マーカス・サンディ(英國ウスターシャー出身)がインド赴任中に知つた魚醤系ソース(カレーといふ説もある)が大元。製法を本國に持ち帰つて、ジョン・リーとウィリアム・ペリンズ(共に藥剤師)にソースの再現を依頼。ただ成功はしなかつた。失敗作を地下室にはふり込んで忘れたらしい。再發見したのが数年後。出來損ひをさつさと棄てなかつたのは、試作の時点で我慢ならなかつた臭ひがなかつたからで、念の為に味を確めると實にうまい。熟成が肝要と気附いたふたりは、サンディからレシピと権利を購入して、ソースとして販賣を始めた。

●矢張りウスターシャー州の町ウスターが舞台で、こつちは名前が残つてゐない。主婦であつたといふ。余つた野菜屑やら果物の端を勿体無いと考へたらしい。そこで壷に屑野菜や果物の切れ端をはふり込み、塩と酢と香辛料を加へて貯藏することを思ひついたのだといふ。壺の中で熟成した野菜や果物が美味しい液状になつてゐた。

 

どちらも十九世紀前半頃の話だが、どちらも些か怪しい。マーカス・サンディ…といふより英國人がカレーならまだしも魚醤を好んだとは考へにくいし、そこは個々人の嗜好と目を瞑つても、魚醤から野菜や果物へどんな風な飛躍があつたのか。第一、数年も放置した出來損ひを、厭な臭ひがしないからといつて

 「ちよいと、味見をしてみるか」

と考へるものか知ら。主婦の話だつて節約の工夫は尊敬するとして、熟成にかける時間を我慢出來るものかどうか。但しリーとペリンズがこの液体…ソースに関つたのは確實で、我われに馴染み深いウスター・ソースは、ふたりが立ち上げたリーペリン社が賣り出したウスターシャー・ソースが直接のご先祖である。さうすると無名の主婦の節約と保存術はあつたとしても、別々ではなかつたかと思はれる。彼女の不名誉になるわけではないけれど。さうだ、序でに云ふと、"ウスター・ソースの源流"について触れた項を幾つか見ると、殆どが後者のみを取上げてあつた。特に日本ソース工業会の[ウスターソースの生い立ち]がさうだつたのは感心しない。

http://www.nippon-sauce.or.jp/knowledge/

論考までは求めないから、複数の説がある場合は、併記するのが正しいですよ、矢つ張り。

 

 英國人に知合ひはゐないからどこまで本当かの保證はしないとして、ウスター・ソースは英國の萬能調味料だといふ。ソース大國である佛國人に云はせると

 「あいつらは百の料理に一つのソースしか使はない」

のださうで、まあこれはゼノフォービアの顕れでせうね。隣國や近隣地域への惡くち。誇張と類型化が極端なのは当然であるが、英國の食習慣が相手だと、うつかり

 「さうかも知れないねえ(云はれてみれば)」

と思つて仕舞ふ。尊敬する吉田健一檀一雄がドーヴァー・ソールやロースト・ビーフやスモークト・サモンを絶讚してゐるのに。惡名高いフィッシュ・アンド・チップスだつて、きちんと料れば旨いのを知つてもゐるのに。思ひこみは怖いですなあ。話をソースに限つても我われが英國人を笑ふのは六づかしくて、口に適はない料理が出たら兎に角醤油(即ちソイ・ソース)をひと垂らしするのだから、寧ろ英國的と云へるのではないか。尤も佛國の惡くちも云ひにくい。わたしが平和的な男なのも理由に挙げていいが、何しろマヨネィーズ發明の栄誉はかれらの頭上に輝いてゐる。

 

 ウスター・ソースに戻りませうか。我が國では中濃ソースとかとんかつソースとか、色々の種類乃至呼び方があるけれど、基本的には同じだと考へていい。粘り気のちがひで分類が変るさうで、材料の種類や仕込み方や熟成の期間で区別するなら兎も角、粘度で分ける理由はよく解らない。この稿ではひとまとめにウスター・ソースと呼びますよ。

 

 フライものには欠かせない。

 とんかつ、チキンカツ、ミンチカツ。

 ハムカツにコロッケ。

 鯵や牡蠣、海老、烏賊、鮭、或はチーズや鶉卵、玉葱にアスパラガスのフライ。

 

 いやいや。醤油やぽん酢や大根おろし、タルタル・ソースの方が旨いと主張するひともゐるだらうし、確かに組合せによつてはさういふ場合もあるけれども、満遍なく対応出來るのはウスター・ソースであつて、ウスター・ソースだからまづくなる心配は無い。もしかすると香辛料との相性は醤油を凌ぐかも知れず、たとへば牡蠣フライならウスター・ソースにチリー・ソースかマスタードを忍ばせる方が、タルタル・ソースより断然うまい。この手帖では滅多に見られない眞實なので我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、一ぺんお試しあれ。

 英國紳士淑女には些か失礼ながら、ウスター・ソースは少々下品にかけるくらゐがうまい。小皿に別で用意してナイフで切つてホークで刺し、そつとつけたつてどうといふ事もない。ハムカツが目の前にあるなら、衣を溶かすくらゐ使ふのが(その後に辛子を塗ればなほ)旨い。そんな眞似をしたら折角の衣がふにやふにやになつて仕舞ふと危惧する気持ちには理解を示してもいいが、少なくとも洋食式のディープ・フライだつたら、その程度でへたれる心配はしなくていいし、へたれたとしても、衣のウスター・ソース漬けを味はふ樂み(ハムカツではことに歓ばしい)がある。コロッケやミンチカツも同じくたつぷりのウスター・ソースに浸して、崩しまた千切りながら染み込ませて喰ふのがいい。

 

 「併しね」と云ひ出すひとがありさうで「ウスター・ソースを食べるわけではないのだから」

かう云ふひとは大体、調味料を使ひたがらない。お刺身を食べる時だつて、切り身に醤油を一滴垂らし、香りがついたかどうかといふくらゐで満足する。嗜好のちがひに文句を附ける程こちらの器は小さくないが、そこに

 「食べもの本來の味はひが、解らなくなるよ」

と理窟を附けられると苦笑したくなる。それは本來の味を熟知したひとが、その本來を食べる時に使ふ科白である。わたしを目の前に云ふ場合、廉で(そこそこ)うまいものを食べてゐる筈だから、調味料も香辛料も使ふのが正しからう。なので本來の味はひなんて大上段を云はれてもなあと思つて仕舞ふ。そもそもウスター・ソースはまあまあの(家庭)料理に用ゐて活きる…食べものの味を引き出す調味料だもの、どんと使ひませうよ、どんと。

 と書いてから、最後に気になる事をひとつ。マーカス・サンディがインドで知つたといふソースはどんなものだつただらう。かれが赴任したのがどこで、何を切つ掛けにそのソースを口にしたのか、何より持帰つたといふレシピとやらがどんなものだつたのか、リーとペリンズが結果的に作つ(て仕舞つ)たソースとは丸で異なつてゐたらうと想像は出來るものの、その辺りがさつぱり解らない。リーペリン社に資料は残つてゐないのか知ら。サンディが食べたのはインド・ソースではなくインド・ソップだつた可能性もあつて、だとすれば東郷平八郎が食べた(らしい)ビーフ・シチュー乃至アイリッシュ・シチューが我が國で肉じやがになつたのと同じくらゐダイナミックな変貌で、正しい想像なのかどうか確められないのがもどかしい。