閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

399 目覚めなくてもかまはない

 理想的な食事といふのを考へる。

 栄養的にどうかうの意味ではなく、こんな飯を喰へれば後は死ぬだけでいいと思へる(のではないかと期待出來る)献立の事。それだけの目的だから、現實の問題…幾ら掛かるか、どうやつて準備するか、食べきれるか…は纏めて目を瞑る。

 シェリーから始めませうか。ティオ・ペペを一ぱい。少しの生ハム(ハモン・セラーノ)に黒胡椒とオリーヴ油を添へたのを一緒に。

 「いきなり食事ぢやあないよ」

と云はれさうな気もするが、前菜であると強調しておかう。それに理想的な食事を考へる上で、まさか酒精を外すわけにはゆかない。

 大鉢にお漬物を盛つてもらふ。野沢菜、白菜、胡瓜、梅干し(柔らかいのと堅いのの両方)にたくわん。苦瓜のピックルスとザワー・クラウト。それで麦酒。矢張り麒麟一番搾りヱビス。グラスで呑みながら焼き餃子をつまむ。韮と大蒜の当り前のやつが宜しい。鶏の唐揚げも少し慾しい。

 それから豆腐。冷奴もいいが、ここは温奴にしませうか。湯豆腐ほどではない程度に温めた豆腐にぽん酢に生姜と青葱と茗荷、たつぷりの削り節を乗せて木の匙で食べる。

 そろそろ食事らしい献立に考へを移しませう。牛肉を煮込んだのがいい。玉葱と牛蒡、トマト、鶉卵、白髪葱をたつぷり。勿論魚介も慾しい。鮭(塩焼きか燻製)や鯵(干物かフライ)や鯖(味噌煮)や鰤(お刺身かしやぶしやぶ、鰤大根も捨て難いねえ)、鯛は塩焼きとお刺身で。また烏賊の塩辛とお刺身は外せない。大葉と薑を忘れずに。それから穴子。濃く仕上げたたれでこの場合、山椒は要らない。

 さうなると麦酒では弱い。葡萄酒にする。マルキやサドヤも好もしいと思ひつつ、シャトー・メルシャンの"一文字短梢"か"キュヴェ・ウエノ"を、或は両方を撰ぶ(半壜があればいいのに)前者は白だが切れ味が非常にすすどく、濃い味の煮込みにも負けないだらう。後者はヴィンヤードのオウナーが信頼に値するからで、赤でも白でも問題は無い。或はシャトー・メルシャンを控へつつ、お酒にする手もある。初孫、鳳凰美田、蒼天なら間違ひない。お酒を何銘柄も呑むのは我ながら感心しないが、撰ぶのも六づかしい。舌に馴染んでゐるので、この稿では蒼天に軍配をあげておく。

 ソーセイジ(茹でたのと焼いたの。マスタードは勿論、どつさり)とハムカツ(ウスター・ソース)も献立に入れたい。

 「一体どのタイミングで食べる積りなのか知ら」

と訊かれたらそこはよく判らないけれど、ひよいと出されたらひよいとつまむのは間違ひない。そこに佛國のふくよかなご婦人が召し上つたといふ"匙が立つくらゐ"濃厚なソップ(サヴァラン教授が『美味礼讚』に記してゐる)が少しあれば、ちようどいい幕間ひになるだらう。併しソーセイジにハムカツだと断然麦酒であつて、ハイネケンが適切か知ら。

 さうだ。サラドを飛ばしてゐた。ここは伊丹十三の云ふサラド・ニソワースにしたい。うで玉子やトマトやレタース、キャベツ、セロリー、アンチョビーにサーディンその外諸々を、ドレッシングを作つたボウルに入れて(ドレッシングをかれるのではなく)賑やかに混ぜたお祭りのやうなサラド。甘辛く煮詰めた鶏のそぼろだの、茹でた豚肉だのなんだのを混ぜこんでもうまいにちがひない。

 〆は厚焼き玉子と生揚げにびつくりするくらゐの大根おろし(醤油と檸檬)、お味噌汁(薄切りの玉葱と生卵)と炊きたてのごはん。玄米茶。大鉢のお漬物や焼き魚も残つてゐる筈だから、それも含めて綺麗に平らげる。いやチーズを忘れるところだつた。ヴィンテージは判らないがマルキのデザート・ワインだつたかがえらく旨かつた記憶があるので、そつちを堪能してから〆…一ばん最後はお茶漬けですな…に移る。

 

 これだけの献立を朝から始めたとしたら、休憩を挟みつつ半日かそれ以上の時間が掛かる筈で、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏からは

 「それは一体食事と呼んでいいのか」

と疑義が呈せられるだらう。その疑念には食事は半時間、長くても一時間くらゐが精々で終るのだ、といふ思ひ込みが前提となつてゐる所為ではありますまいか。たとへば蕎麦屋で玉子焼きや板わさを肴にお酒をゆるゆる呑んでから、盛りの一枚も啜りこめば、それ以上の時間が掛かるのは云ふまでもない。ちよつと気取つた洋食屋でビーフ・シチューをやつつける場合も矢張りたつぷりの時間が必要になる。気障で云ふのではなく、食べものや食べもの屋がそれだけの時間を求めるからで、かういふのを贅沢と呼ぶのは誤りでせう。ましてやこの稿では現實的な要素を丸きり無視してゐるのだから、一日掛かりの食事があつたとしても不思議ではなく、また問題にもならない。食べ終へた後は眠りに就くだけの事で、そのまま目が覚めなくてもかまはない。