閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

403 牡蠣喰へば

 冬といへば牡蠣であるらしい。何しろ手元の本をちよつと捲るだけでも

 

 この貝もただ漠然と貝の肉が我々に聯想させるものに止らなくて獨特の匂ひも味も舌触りもあり、広島のを食べてゐると何か海が口の中にある感じがする。

[広島の牡蠣/吉田健一]

 

 フライも牡蠣の代表的な食べ方でしょう(中略)レモンのひと切れを添えるのが常識ですが、橙をお使いになってごらんなさい。二つに切って汁を絞り、これに醤油を合せてとき辛子を少々つけ、カリカリの熱いのをポッとひと口に頬張るのです。

[牡蠣/辰巳浜子]

 

おそろしく幻想的な、きはめて具体的な讚辞が見つかる。もつと極端な

 

 カキは一体どうして喰べたらうまいだろう、などと思いわずろうことなどまったくないほど完全な地上の(いや海中の?)珍味であって、アイツは(中略)、レモンを少々しぼり入れ、液汁もろとも、口のなかに啜り込めばそれで終る。そのまろい舌ざわりも、甘味も、贅沢なほどの複雑なイキモノの味わいも、そこに尽きる。

[瀬戸内海はカキにママカリ/檀一雄]

 

といふ褒め言葉もあつて、ここまで昂奮されると…ことに"アイツ"とカタカナで書く辺りが…、愛情とサディスティックな感情が牡蠣とひと搾りの檸檬のやうに一体化してゐるやうに思はれてくる。

 と引用はしたものの、わたし自身はさう滅多に食べない。魚介が信用出來る呑み屋で、季節に二へんかそこら、フライをつまむくらゐではないか。何となく苦手な気分がある。中學生の頃だつたか、母親の友人が広島の牡蠣を送つて下すつた事があつた。生では食べなかつたが、鍋に入れ、フライにして家族ですつかり平らげたら、次の日に胸焼けを感じたからで、勿論それは牡蠣の所為ではなく、ひと晩で食べた方がいけない。とは云へ牡蠣との本格的な出会ひがそれだつたから、今に到るまで尾を引いてゐると云へなくもない。

 牡蠣といへば白葡萄酒だらうと思つて試した事もある。生牡蠣にシャブリ。正直なところ、世間が云ふほど、美味いとは思はなかつた。牡蠣は旨かつたし、シャブリもたいへん結構ではあつたが、双方が勝手気儘にうまかつただけで、その時はこの程度の組合せを歓ぶフランス人は、何を歓んでゐるのだらうと思つた。後になつて、フランスの牡蠣をフランス式に用意して組合せたら、味はひも変るのだらうと気が附いたが、矢張り最初の記憶は強いものだからか、未だにさういふ組合せを求めたいとは思ひにくい。

 

 古代のローマ人は牡蠣を好んださうで、それもブリタニア産を珍重したらしい。ブリタニアは云ふまでもなく現在の英國。意外の気も感じなくはないが、上述の吉田や檀は英國の鮃や鮭もたいへんに褒めてゐて、更に考へれば英國は島國なのだから魚介が旨いのは当り前と云ふべきか。凄いのは遠方の属州で獲れる牡蠣が美味いと知つたローマ人の方で、かれらは我われと同じく海産物を大事にしてゐたから、気持ちは判らなくもないにしても、冷凍も出來ない時代にどうやつて運んだものか。油か酒に漬けたのだらうとは思ふが、食あたりは起さなかつたのか知ら。

 それは不思議だ。ブリタニアとローマの間にはガリアがあつたぢやあないか。と我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は首を捻るにちがひない。ただどうもガリア人は獸肉好みだつた気配が濃厚で、この辺りはライン河を隔てたゲルマン人と大して変らない。遅くとも(時代は随分と下るのだが)コルシカ人が登極する前には牡蠣を食べる習慣が出來てゐたらしく、サヴァラン教授が『美味礼讚』の中で、消化剤になるのと同時に、些かエロチックな効能を持つてゐると、あるご婦人の体験と共に記してある。我が讀者諸氏よ、愛らしい女性に牡蠣を振舞ふのはいい方法かも知れませんぞ。尤もくだんの体験を語つたご婦人は堅い意志で誘惑に打ち勝つたさうだから、失敗しても責任は負ひませんよ。

 ガリア贔屓の為にもうひとつ云ふと、ブリタニア人に牡蠣を食べる習慣があつたのかどうかははつきりしない。現代英國のスモークト・サモンやフライド・ソール、フィッシュ・アンド・チップス、或はジェリード・イールを見る限り、魚は兎も角、貝類には不熱心さうで(二千年といふ長大なタイム・ラグはあるが)、ローマの牡蠣好みはガリア経由で佛國に受け継がれたと想像するくらゐは許されるだらう。ド・ゴールだつたか、もしかしてチャーチルだつたかと思ひながら云ふのだが、ゲルマン…ドイツ人を

 「ラインの西の野蛮人」

と罵つた理由のひとつには、ローマの栄光を今に保つてゐるのはおれたちだといふ自負の面妖な顕れではなかつたか。カエサルが聞いたらきつと大笑ひ…何しろガリアを征服し、ゲルマンを退け、ブリタニアにローマ人として初めて上陸した男である…して、冗談のひとつも飛ばすにちがひない。あの将軍は覇を唱へた土地の、ローマとは異なる風習に甚だ鷹揚で、そこにはローマによる支配といふ様々の思惑があつたのは当り前だが世界中のどこにでも、議会制の民主主義を当て嵌めたがるアメリカの無邪気な善意(併しまつたく現實的ではない。二十世紀中頃に日本で大失敗したのに學ばなかつたのだらうか)より、余程知的な態度ではなかつたか。

 

 何か間違つた方向に進みさうな気がする。

 元に戻しますよ。

 

 カエサルには数々の誉れはあるが、"ローマ人として最初にブリタニアの牡蠣を味はつた"冠には無縁であつた。かれのブリタニア上陸は上陸それだけで、云つて仕舞ふとガリア制覇序での見物であつたから。今には名の残らないローマの大富豪が一ぺん食べてみるかと気紛れを起したのがそもそもなのだらう。アラブの石油王たちが自宅でスシを味はふやうなものである。

 「このマグロのトロといふやつは中々うまい」

 「私はイカがいいと思ふ。よいシゴトをしてゐるよ」

といふ風に富豪たちはお互ひを食事に招きあひながら

 「ブリタニアの牡蠣だよ。オリーヴ油に漬けて運ばせたのを、ガルムで煮たのだ」

 「葡萄酒に漬け込んでね、オリーヴの枝で羊と一緒に焼いたのだよ。なに、ブリタニアの牡蠣さ」

と自慢しあつたにちがひない。石油王…訂正、富豪の食卓なのだから、現代の我われには想像も六づかしい珍奇な牡蠣料理もあつたのだらう…おそらくは惡趣味と呼ぶ外のない。

 その辺りが一応でも整理されたのは矢張りガリアの末裔の功績だらうか。吉田健一の言を拡大して解釈するならあすこは飛び抜けた食べものに恵まれた土地ではないさうだから、そこそこやそれなりをより美味く喰べる為の工夫が欠かせない。我われがフランスの料理と聞いて頭に浮ぶ複雑で凝つた調理法は、さうせざるを得なかつた事情を示してゐると云へなくもない。その創意工夫は大きに感嘆するとして、では我が國での牡蠣喰ひはどうだつたのかと疑問を感じもする。例によつて遡るのは不可能として、少くとも漁撈民にとつては古馴染みかと思ふ。生か熾火で焼くかが精一杯だつたらう。食あたりも随分と出しながら食べ續けたのは餓ゑもあつた筈だが、それ以上に旨かつたからではないか。でもなければ、あの硬い殻を割らねばならぬといふ面倒を我慢出來たとは思へない。古代の漁撈民に知合ひは持たないから、實際のところは判らないにしても。

 さういふ人びとの後裔であるわたしが好むのは、火を通した食べ方で、フライもいいが(ウスター・ソールでもタルタル・ソースでも、数滴のチリー・ソースをしのばせるのが旨い)、もつといいのは天麩羅である。同じと笑ふのは間違つた態度で、海老フライと海老の天麩羅はまつたく別の食べものでせう。牡蠣も矢張り別もので天麩羅の方が穏やかな感じがする。天つゆや大根おろしがさう感じさせるのかも知れないが、その穏やかさはわたしのやうに全盛期を過ぎた胃袋には有難い。更に云へばお酒は勿論の事、葡萄酒にも適ふのも嬉しい。葡萄酒の場合、もしかすると佛國牡蠣を佛國式に用意するより、天麩羅の方が似合ふのではないかとも思ふのだが、牡蠣の天麩羅とシャブリをあはせて用意するやうなお店をわたしは知らない。残念だなあ。