閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

417 潜伏期間

 ここで云ふコンタックスは、ヤシカを経て京セラのブランドになつた、フヰルム一眼レフのコンタックスである。

 コンタックスカール・ツァイスとツァイス・イコンの関係は實にややこしい。ごく大雑把に、カール・ツァイスといふ光學会社があつて、それはまたレンズの銘でもあつた。そのカール・ツァイスを中心に旧ドイツの光學会社が合同したのがツァイス・イコンで、コンタックスカール・ツァイスのカメラ銘であつた。これだけならまだましも、東西に分裂してゐた時期、ツァイス・ブランドも、西のカール・ツァイス・オーバーコッヘンと東のカール・ツァイス・イェナに分断され、イェナは商標争ひの結果、使へなくなつた。何の話か解らないでせう。それでいいんです。何も見ずに時系列で変遷図を書けるひとは、余程の変態と云つていい。

 

 ドイツで立ちゆかなくなつたコンタックスが、日本に助けを求めたのか、日本が使はしてくれと云つたのか、その辺りは兎も角、さうなつたのが昭和五十年の話。旧コンタックスは機械式の距離計連動型だつたが、新コンタックスは電子制禦の一眼レフになつた。まあ当り前の判断でせうな。距離計連動型のカメラといへばライカが浮ぶが

 「今さら距離計連動型を造つたところで、ライカに勝てる筈は無い」

わたしだつてさう考へる。尤もこれはM5の末期に重なる時期でもある。遠慮無く云へばライツ社もがたがたで、会社自体の末期でもあつたのだが、そこには踏み込まない。同じ時期の日本を見ると、キヤノンはF-1を出した早々、ニコンはF2の改良を押し進めてゐた頃。オリンパスはOM-2でコンパクトな一眼レフといふスタイルを確立させ、翌年にはペンタックスがMXとMEで、最小の王座を奪還する。

 要するに我が國の一眼レフが黎明と混迷を脱し、一大發展を見せ出したのがこの頃であつて、ヤシカのえらいひとが

 「コンタックスを復活させるなら一眼レフだ」

と判断しなければ寧ろ不思議である。それでRTS…リアル・タイム・システムの頭文字…を出してきた。以降平成十年のAriaまでほぼ四半世紀、コンタックス・ブランドの一眼レフは十四機種(数へ方で異なるだらうが)續く。

 

 わたしがカメラに興味を抱いた頃のコンタックスRTSⅢと167MTが現行機種で、前者は非常識に思へる高額(平成二年当時で卅五万円!)、後者はEOSを使つてゐた目にはひどく野暮つたく…いや何より、レンズの高価さで慾しいとかどうとかの対象にならなかつた。負け惜しみを含めて云ふと

 「コンタックスは電子部品が脆弱で、修理にもえらい費用が掛かる」

といふ噂を耳にしたのも、事情にあつたかも知れない。それがうつかり、RX(平成六年發賣)を買つたのは、どんな気分の変化があつたのか。

 その前年に出たリコーのXR-8が惡い。ただの機械式一眼レフだが、EOSに馴れた目に、マニュアル・フォーカスで撮るのも面白いのだといふ事を教へて呉れたのはこのカメラであつた。併し視力が極端に惡い身にはその面白さが難関だつた。そこに"フォーカス・エイド"といふ機能を載せたRXが出てきたので

 「きつと使へるのではないか」

と思つたのである。"フォーカス・エイド"は大雑把に、自分であはせた距離が、カメラで測定した距離とどの程度ずれてゐるかを、ファインダ内に示す機能。意地惡く考へれば、オート・フォーカスの"一歩手前"に麗々しい冠を附けただけと呼べなくもないが、さう感じなかつたのはコンタックスのブランド力か。

 

 今になつて思ふと、EOSを賣つてまで手に入れるカメラだつたかは疑問である。賣つたのはさうしないと予算が足りなかつたからで、プラナーの50ミリを一緒に買つた。恰好いいなあとは思つたが、EOSの軽さ…その時はEOS5を使つてゐた…に馴れた手には、ひどく重くも感じられた。

 そのRXで眞夏の京都、祇園界隈を撮つた。フヰルムは何だつたか。ネオパンかトライXか、兎に角モノ・クロームだつたのは確かである。当時はモノ・クローム・フヰルムでもその日に現像とプリントが出來たから、直ぐに出して、仕上りを見て、びつくりした。サービス・サイズなのに、素人目にも判るくらゐ、描冩が凄かつた。何がどうといふのを具体的に云ふのは六づかしい。光が強烈に当つた白壁と簾が作る影がなだらかに續いてゐて

 (グラデイションとはかういふものか)

びつくりしたと書いたが、寧ろ呆れたといふ方が正しいかも知れない。あるレンズの描冩がどうであるかといふのは、冩眞好きが屡々議論の種にするところだが、大体の場合は的外れでなければ根拠の薄い思ひ込みなのは改めるまでもない。といふ事が解つてゐて、驚き或は呆れたのだから

 「まつたく、ツァイスてのは」

凄えと思はされた。同じ感じを受けたのはその後、ハッセルブラッドSWに附けられた38ミリ・ビオゴンの一ぺんきり(化け物感はこちらの方が強かつた)で、かういふ衝撃の強さはライツもかなはない。

 

 併しである。ここで問題がひとつ。驚きでも呆れでも衝撃でも、それらはプラナー(乃至ビオゴン…もつと大きくツァイス)自体が持つてゐたもので、わたしは引き出してゐない事である。前述のグラデイションだつて、レンズが勝手にやつたのだから、こちらの自慢にはならない。

 「自動焦点や自動露光(に頼つて)は駄目だ。冩眞をカメラ任せにして仕舞ふ」

といふ見方が当時あつたのだが、また一面それは誤りともいへないのだが、レンズが勝手に冩眞を作つて仕舞ふのも、それとは別の面で好もしくないのではないか。コンタックスをツァイスを使ふ以上、その難関を潜り抜けなくては、撮つたとは云ひにくい。RXとプラナーの組合せを長く使へなかつたのは、頭のどこかでさういふ事を感じて仕舞つたからではないかと今になれば思ふ。その頃は単に、他のツァイス・レンズを買はうとしても、安直に手が出せないといふ、現實的な理由の方が大きかつたのだけれど。

 

 とは云へ、重々しいといふ一点を除けば、RXは中々使ひ易いカメラであつたと思ふ。プラナーだつて(厳密には使へればなのだが)文句を附けるのが六づかしい。ならば、と話はそれほど単純ではなく、京セラがカメラの事業から撤退してゐる現状、故障のリスクを冒してまで、手に入れるのは流石に躊躇を覚えるし、そもそもRXの重さは勘弁してもらひたい。ただ他方で

 (Ariaくらゐなら比較的にしても新しい機種だし、重さ大きさだつて許容出來るのではなからうか)

さう勘違ひしさうな自分がゐるらしいのが怖い。既にレンズを揃へたいといふ慾は持たないから、60ミリのマクロ・プラナー(等倍撮影を削つた小さい方)一本があればいい。大抵は撮れる。…かう書いて思つた。どうもコンタックスは、潜伏期間の長い病気であるらしい。