閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

448 特権マウント

 公式にはElectro Optical Systemの頭文字でEOSだと記憶してゐる。初代機のEOS650は昭和六十二年發賣。旧國鐵が分割され、アンディ・ウォーホルが亡くなり、利根川進博士がノーベル賞を受賞した年でもある。

 わたしが最初に買つたのは初代から三年後に發賣されたEOS1000で、その後同100、同RT、同5と買ひ替へた。手元にあるのは一度友人に譲つたEOS100と、中古を買つたEOS1000の二台。但し後者はシャッター幕が加水分解する持病が出てゐるから使へない。とここまで書いて、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は

 「デジタルの一眼レフにもEOSはある筈だが」

と首を傾げるかも知れない。その通り。ミラーレス方式の機種にEOSの冠がついてゐるのも知つてゐる。買つてゐないだけの事で、併し何故だらうか。我ながら少々不思議に思ふ。

 ごく単純な理由として、デジタルEOSが發賣された当初、こちらの財布に高額と感じられた事は挙げていい。大きくて重くて分厚い姿が非常に不恰好と思へた事も挙げていい。フヰルムEOSがほぼ完成し、デジタルEOSがのろくさと(さう思へたのだ)出てきた時期は重なつてゐて、前者の軽量と軽快が後者に感じられなかつたと云つてもいい。その印象が頭のどこかに残つてゐるのだらうか。有り得る。一体わたしは保守的を通り越して臆病な男だから。

 ぢやあデジタルEOSは慾しくないのかと訊かれたら、キヤノンには申し訳ないけれども、首肯せざるを得ない。ミラーレス式EOSは鈍重でないから例外と思へるが、わたしにとつてのEOSは(フヰルム)一眼レフを示す記号なので、EOS Mや同Rには違和感がある。これだから老人はたちが惡い。

 f:id:blackzampa:20200328163114j:plain

 EOSが偉大なブランドなのは間違ひない。フヰルム時代の好敵手だつたニコンのFはデジタル化でDになり、ミノルタのαはソニーに成り下がつた。ブランドと共に基本的なシルエットを残してゐる一眼レフはEOSくらゐである。更に云ふとEFマウントが開發当時から大きな変化をせず、現行機まで引き継がれてゐるのが凄い。その前のFDマウントを(ユーザーと共に)切り捨てたのは思ひ切つた決断であつた。先鞭をつけたミノルタが、αのAマウントからベクティスのVマウントを経て、Eマウントに(事實上)移行したのを思ふと、令和の今も現役のマウントなのは、最初の設計…その前の方向性が正しかつた事を、間接的に證明してゐる。さう考へると敬意を表する意味でEOS、使へるEOSを一台、持つておくのは決して惡くない。

 いやそれより、EOS100を使ふ為のレンズ(EF50ミリ/F1.8はあるけれど、ギアの具合だか何だかがをかしい)の入手が先決だらうか。その辺の中古を買へば直ぐ使へるし、仮にデジタルEOSが手に入つても(ざつとした使ひ方は変らないだらう)、そのまま流用出來もする。さういふ可能性ー先の樂みも持てるのは、EOSオウナーの特権ではあるまいか。