閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

453 梅干しを一粒

 尊敬する檀一雄の『檀流クッキング』(中広文庫ビブリオ)にかういふくだりがある。

 

 梅干だの、ラッキョウだの、何だか、むずかしい、七めんどうくさい、神々しい、神がかりでなくっちゃとてもできっこない、というようなことを勿体ぶって申し述べる先生方のいうことを、一切聞くな。檀のいうことを聞け。

 梅干だって、ラッキョウだって、塩に漬ければ、それで出来上がる。嘘じゃない。

 

 余人は知らず、あの放浪家兼調理人兼小説家…順番がちがふか知ら…が云ふのだから、説得力がちがふ。かう云ひ切つた作家は實に熱心な態度で梅干しと辣韮の漬け方を讀者(詰り貴女やわたし)に伝授して呉れるのだが、それは勿体振つた教師の態度ではなく、こんな愉快はまたとないと云ひたげであつて、それは

 

 よくアクを抜き取ったシソの葉を、梅の塩漬けの液の中に加えると、忽ち美しいアカネ色の梅酢の発色を見るだろう。この梅酢をつくるだけでも、梅干をつけることの仕合わせは感じられる。

 

と呟く箇所でもはつきりしてゐる。梅干しを食べたくもなつてくる。漬けないのは無精ではなく、漬けても食べきれる自信が無いだけの事で、詰り説得されてゐる。それで買つてきた梅干しをつまんでゐる。

 果肉がやはらかくつて、酸つぱいのがいい。働き者のお婆さんの手のやうに皺が寄つたやつ。そのまま食べもするし、ごはんに乗せもすれば、庖丁で叩いたのをしらす干しと混ぜて削り節と青葱を散らし、醤油を垂らすのも宜しい。かういふ使ひ方は小さくて堅いやつや、蜂蜜か何かであまくしたやつでは少々六づかしい。

 尤も幕の内弁当のごはんに、小さく堅い梅干か埋つてゐるのは、嬉しい光景である。わたしは必ず最初につまんで、さて食べるぞといふ気分(勿論罐麦酒も呑む)になる。洋食でいふソップのやうなものだらうか。

 

 その梅は中國が原産の植物だといふ。分類はバラ科サクラ属。スモモやソメイヨシノと遠縁の親戚でもある。どちらも知らなかつたなあ。更に云ふと梅干しも日本の生れではないらしい。但し梅の實を食べるのが目的ではなく、梅酢を藥品として使ふ為の余祿で、それもまた焼いて藥用にした。旨いかどうかは別問題であつたらしい。生では食べられない果實を使はうと思ひたつた切つ掛けは判らない。

 日本への伝來は大雑把に弥生時代の後半らしい。当時は九州北部が先進地帯…要は大陸に近い…だつたから、梅も九州にもたらされたのだらう。それが植物としての梅なのか、藥品としての梅干しだつたのか、また交易や朝貢で得たか、渡來人が持つてきたかは、矢張り曖昧としてゐる。遅くても奈良朝の頃には梅見の風習があつた。『萬葉集』にも百十首余の梅を詠んだ歌が収められてゐるといふから、一ぱい呑みながら梅花を愛で、歌を詠んだのだらう。風流だねえ。

 尤も萬葉の頃、梅干しをつまみにしたかどうかは些か疑はしい。時代が下つて十世紀頃の御門が梅干し(と昆布茶)で病を治したといふから、ごはんのお供でもなく、藥用が主だつたと考へられる。食べものの扱ひになつてきたのは鎌倉期前後で、何しろ藥効がある上に長期の保存が出來るし、食慾の増進や唾液の分泌も図れ、詰り陣中食には好適だが、一方ではひどく殺風景でもある。大伴家持辺りが目にしたら溜息を吐くにちがひない。

 紫蘇を入れて"茜いろの發色"を見るようになつたのは、さていつの頃からか。陣中食の梅干しは単なる塩漬けだつたらう。ああいふ場での食べものに實用以上は求められない。だとすると、世の中がある程度落ち着いてから生れた工夫かと思へてくる。ひどく塩辛かつたらうな。一粒あればめしの一椀を平らげられるくらゐ。色づきや風味を重んじるに到つたのは十七世紀辺りと思はれて、『本朝食鑑』に現代とほぼ同じ漬け方が記されてゐるといふ。檀の云ふ"勿体ぶつた事を申し述べる先生方"のご先祖はきつと、この頃に登場したのだな。

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  ところで。わたしは饂飩やにうめんに梅干しを一粒、落とすのを一ばん好む。崩しながら啜ると、何ともこんがらがつた味はひになつて、實に旨い。酸つぱいのがどうも苦手なひとは、半熟卵を一緒に入れると、穏やかな口当りになる。