閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

456 快樂的な大蒜

 學名はAllium sativum(何と訓むのか知ら)で、同属にタマネギ、ネギ 、ワケギやラツキヨウ、ニラが含まれる。

 詰りニンニク。わたし好みの表記では大蒜。

 佛教が厭ふ"五辛"のひとつで、残りの四つもすべてネギ属に含まれる。これらには強壮作用があると信じられてゐて、それが煩悩を刺戟するから怪しからんと考へられたらしい。何だか病的な清潔主義が感じられますな。大蒜程度に揺さぶられるなら、道は随分と遠からう。もしかすると女犯ではなく男色を警戒したのかも知れないけれど。

 強精剤としての効果は兎も角、大蒜(だけでなく五辛すべてに云へるのだが)はうまい。わたしなんぞは手抜きしかしない…訂正、出來ないから、えらさうには云へないが、チューブ入りの大蒜は重宝してゐる。カレーに隠しもすれば、マヨネィーズに混ぜもする(これは焼くのがいい)焼き餃子のたれに入れるのは勿論、呑み屋で丸揚げだの串焼きだのがあれば註文せざるを得ず、すりおろした大蒜が無い鰹や鯵のたたきは考へられない。かういふのに玉葱をたつぷり入れたサラドやじつくり焼いた葱、辣韮の鼈甲漬け、韮のおひたし(一ぺん、たいへん濃い味に仕立て、卵の黄身を乗せたやつを食べたことがある。實に旨かつた)があれば、一ぱい呑るのに上等のおつまみになる。

 これあ断然、お酒だなあ。

 と思ふでせう。ところが葡萄酒にも中々あふ。大蒜や玉葱は古代の埃及や希臘で労働者だの兵隊だのに配給された(常温で長期保存出來るのが理由らしい)さうで、五千年くらゐの歴史がある事になる。一緒に食べたのは焼いた小麦…無醗酵の麺麭とチーズ。上層なら葡萄酒…かれらはきつと羊を焼きもしただらう…、下層の連中は麦酒で平らげたといふ。兵隊を見習ふ積りはないし、お仕着せめしは厭だけれども、現代の葡萄酒に現代の麺麭とチーズ、それから大蒜や玉葱があれば悦ばしいのではないかとも思へる。尤もお米を偏愛する我われが、それを食事と見なせるかどうかは別の問題。上塩梅の麺麭にベーコンを追加してもらへないものかな。

 なんて云ふと、真摯な求法者から音を立てて睨まれかねない。あなた、そんなぢやあ、山門に入れませんよ。…と書いてから思つたのだが、ユダヤ人やクリスチャンやムスリムは大蒜を厭ふのだらうか。魚介類だの獸肉だのの扱ひには神経質でも、野菜と乳製品にはひどく鷹揚な印象がある。"乳と蜜の川"や"知恵の實"で馴染み深い筈だし、更に遡つて恩義もある。まああれらはね、といふ気分になつて当然であらう。基督教…羅馬のカトリックはその"まあ、あれらはね"の扱ひがまことに巧妙であつた。思ひ切つて云へばカトリックは、無知蒙昧な善人を神の名の下に、無知蒙昧のままで導かうとする構造だから、異教徒だけでなく、内側からの論戰、サイエンス、社会や倫理の変化といつた事共と、血塗れで争はざるを得なかつたし、今も血塗れのままである。さういふ歴史が背景にあると思へば、大蒜程度ならかまはんよと云つても不思議とは云へまい。話が戻つてよかつた。

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 どこに戻つたのか知ら。

 さう。大蒜。

 俗人のわたしからすると、飲食に禁忌があるといふのがどうにも理解しにくい。うまいものを食べないなんて、生きる愉しみに喧嘩を賣つてゐるとしか思へず、我われのご先祖はその辺りの折合ひを上手につけてゐた筈で、山門ニ入ルノヲ許サナイと高調子で叫ぶのは似合はないよ。そんなら悟る境地には到れないと真底から忠告されるかも知れないけれど、大蒜を添へない鰹のたたきしか出てこない酒席で得られる(だらう)悟りの境地にどんな値うちがあるものやら。さう居直るのは快樂主義的な堕落なのだらうか。