閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

458 きつねいろの誘惑

 "コッペパンはきつねいろ"といふ題をご存知の方はをられるだらうか。いや題ではなく…きつと題だと思ふのだが…中身。何となく記憶に残つてゐて、それが絵本なのか童謡なのか、外の何かなのか、さつぱり解らない。などと書いたら、我が先進的な讀者諸嬢諸氏から、そんなのインターネットで調べたら、直ぐに解りますよと云はれさうである。成る程確かに一理ある。とは云へ一理が全部とは限らない。わたしはどうも、ネットでざつと調べればいい事と、さうでない事を区別してゐるらしく、らしいと感じる程度だから、はつきりと線を引いてゐるわけでもないのだが、"コッペパンはきつねいろ"は後者に属してゐるらしい。

 そのコッペパンは、田辺玄平といふ人物の工夫に源泉があるといふ。明治七年甲州塩山生れ。明治卅四年に渡米し、十年後に帰國。帰國の年に三鷹で飯島藤十郎…後の山崎製パン創業者…が生れてゐるのは、運命的だなあとこぢつけたくなるが、山崎製パンの原型が出來たのは昭和廿三年。時系列をいふと田辺が製パン工場を建てたのは大正二年、その死去は昭和八年。接点が皆無だつたとは云へないが、飯島が田辺の麺麭を食べて感動し、製パンを志したといふ話は耳にした事もない。ただの偶然で片附けても差支へはなからう。

 田辺が麺麭に興味を示した切つ掛けは、胃が弱かつたからだといふ。胃弱でもしつかり食べる事が出來て、栄養も摂れる。素晴らしいぢやあないか。と思つたらしい。感動的ではあるが、本当かなあと首を傾げたくもなる。甲州人には申し訳ないが、今は兎も角、明治始め頃の甲州めしは寒々としてゐたのではないかと思へて、玄平少年の些か繊細な胃袋に適はなかつただけではないかと邪推したくなる。その辺りの實際はどうあれ、かれの食事が消化のよい麺麭に助けられたのは間違ひないらしい。ただそれを切つ掛けに、麺麭作りを學ばうと考へ、渡米までしたのは、如何にも明治の男の一典型を見る気持ちになる。因みに云ふ。田辺玄平が渡米した明治卅四年は西暦の千九百一年…廿世紀最初の年で(かれが意識したかどうか)、何か象徴的に思はれる。

 帰國した田辺は余程、苦労をしたらしい。麺麭を作るのに欠かせないイーストの保存が、冷藏庫の無い当時の日本では至難であつた。そこから

 「イーストの水分を抜けば、保存し易くなる」

といふ發想にどうやつて辿り着いたのか。水分を抜くのは保存食作りの技法だから、そこまでは速やかで、苦心は具体的な手法の部分だつたのか。乾燥させたイーストが麺麭作りに使へなければ失敗だし、それは麺麭を焼いてみないと解らない。麺麭に適しても煩雑な技術が求められたり、長期の保存に向かなければ、矢張り成功とは呼べず、試行錯誤の連續だつたらう。實に執念深い態度だつた筈で、これもまた明治男の典型(田辺より廿年遅く生れた竹鶴政孝ニッカウヰスキーの創業者…が連想される)ではなからうか。何をもつて明治男の典型と見るかには、思ふところがあるが、余談で書くには長くなりすぎる。

 乾燥イーストを使つて、満足出來る麺麭が焼きあがつた時は、嬉しかつたらうな。それはきつと鼻孔を溶かすやうな芳香と、健康的なきつねいろだつたにちがひなく、田辺はこれで日本に麺麭食を広められると確信しただらう。實際、乾燥イーストの完成は、麺麭作りにとつて劃期的な一面があつたといふ。ごく簡単に云へば麺麭種を用意するのに、職人藝が必須でなくなつたので、麺麭作りを志すひとには朗報だつたと云へばいいのか、このお蔭で麺麭の道を志すひとが出てきたと見るのがいいのか、そこは口を噤んでおく。それより大切なのは、田辺式の麺麭作りでコッペパンが誕生した事で、小學生の頃には随分とお世話になつた。わたしは給食にごはんが出なかつたぎりぎりの世代なので、その六年間の晝食は大半が麺麭だつた事になる。

 コッペパンか食麺麭。

 レーズンが入る場合もあつた。

 附いてきたのはマーガリンか苺ジャム。時にはチョコレイト・クリームやママレードもあつた。現代の目で見ると、何となく貧弱な感じがしなくもないが、当時の小學生たち(詰りわたしとクラス・メイト)にはそれが当り前だつたし、またそのちがひが樂みでもあつた。その樂みはひとりの塩山人まで遡れるのをその頃は知らなかつた。今となれば残念だつたと思ふ。

 中學生になつて以降、コッペパンとは無沙汰になつて仕舞つた。わたしの食慾が旺盛だつたのはその辺りから高校を卒業する前までの精々数年間で、その間にコッペパンは腹が膨れない食べものといふ扱ひになつた。同じ値段ならお腹一杯になる方がえらい。といふ単純さで、廿台の若ものが二千円くらゐの"焼肉食べ放題"に飛びつくのと心理は変らない。尤も高々二千円で喰へる焼肉が大したものではないのとちがつて、コッペパンは廉なのにうまい。それに菓子麺麭系惣菜麺麭方面のどちらでも応用がきく。

 マーガリンやジャム、ピーナツ・クリーム。

 焼そばにコロッケ、ミンチカツにスパゲッティ、玉子やツナやポテト・サラド。

 手を拍つて喜びたくなるほどではなくても、値段(或は用意する面倒)を考へれば十分な味とも云へて、近いのは何だらう。おにぎりではないか知ら。梅干し、鮭、昆布の佃煮、おかか(わたしはこれをおにぎりの基本と信じて疑はない)に限らず、諸々の種…具があつて、絶讚に値するかどうかは兎も角、余程に奇怪なものでなければ、相応にうまい。但しあまいのとしよつぱいの、どちらでも対応出來る分、コッペパンの方が多少の優位に立つてゐるかも知れないが、そもそも比較するものではなかつた。

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 といふ話をしたのは近年めつきり食べる量が減つてゐるからで、さう云へば先日、お晝にかつ丼を食べたら、夜になつても腹が減らなくて困惑した。空腹は感じても、空腹を満たすに足る量が少くなつてゐると云つてもいい。それで饂飩や素麺や蕎麦でも勿論いいのだが、気らくの度合ひで云へばコッペパンが頭ひとつ抜けてゐるのではと思つたのである。ツナ罐、キヤベツの千切り。お惣菜で買ふポテト・サラドやマカロニ・サラド、鯵フライにハムカツ、ナポリタン・スパゲッティ。ハムやチーズや(魚肉)ソーセイジ。鯖や鰯の罐詰。うで玉子に玉葱。マヨネィーズとケチャップとウスター・ソースとマスタードを用意し、きつねいろのコッペパンに挟んで食べるのは愉快にちがひない。かういふ樂みは我らが田辺玄平も知らなかつただらうし、知つたら知つたで喜んでくれさうな気がする。仮にコッペパンを食べきるか、満腹になつても、残つた分はそのままつまみになるから、晩酌へときはめてなだらかに移れるのも有難い。