閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

466 変格不便

 ライツ社のレンズにデュアル・レンジ・ズミクロンといふMバヨネット・マウントのレンズがある。『ライカポケットブック』(デニス・レーニ/田中長徳/アルファベータ)を参照すると

 

 附属のゴーグルを附けることで十九インチまでの接冩が可能になり、パララックスも視野もこのゴーグルにより補正。

 

と書いてある。距離計に連動して焦点をあはす方式のカメラは、近接撮影が苦手なのだが、それを何とかする為の工夫であつた。何とかすると云つたつて、と我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は首を傾げるのではなからうか。

 「だつたら一眼レフを使へば済むでせうに」

その通りなのだが、このレンズを出した当時、ライツ社は一眼レフを造つてゐなかつた。距離計連動式ライカのいはば絶頂期で(かう云ふとライカ愛好家から叱られるだらうか)、それをあらゆる場面で使へるまでにするのが、ライツ社の思惑だつたらしい。もうひとつの苦手である望遠撮影に用ゐるビゾフレックスと呼ばれる"外附けの一眼レフ装置"も、この時期にほぼ完成してゐるから、強引な推測ではない。

 併し推測は兎も角、手法は相当に強引である。『レンズ汎神論』(飯田鉄/日本カメラ社)で、筆者は

 

 ファインダーの二つの距離計窓に、人間の眼にズレを感じさせないほどの精度で、新たな光學系を加えるというのは、当時の日本ではおよそむりであったろう。他の國でも、はなからこんな面倒なことは考えもしなかったであろうと思う。

 

と一応の讚辞は示しつつ、その精緻で細やかな構造を見て

 

 仕掛けとしては一つ一つ納得できるのだが、ビューファインダーの中だけで、接冩の仕組みを完結させようというその執念には、少々気が重くなってしまう。

 

溜め息を吐いてゐる。何もそこまで、しなくたつてさ。その気持ちは判る。デュアル・レンジ・ズミクロンを使ふ際は、近接撮影とさうでない撮影で、ゴーグルの附け外しをしなくてはならない。外したゴーグルは落とすかも知れず、失くすかも知れず、それは使ふ側が惡いのだと云つて仕舞ふと話が終る。第一、ビゾフレックスは造れたのだから、一眼レフまでは半歩ではないか。その半歩を踏み出すのに、五年以上の時間が必要だつたとは思ひにくい。尤もそれをライツ社の怠慢と断ずるのは気の毒でもある。きちんと調整されたMバヨネット・ライカのファインダは、一眼レフの大半を凌ぐ出來であつた。ライツ社自身、一眼レフを造りたくても

 「あれ以上は、無理だ」

と判断した可能性はあるし、その判断に基づいて、ライカの中で"仕組みを完結"させる方向を撰んでも不思議ではない。半世紀余り後の我われは、その判断が正しくなかつたことを知つてゐるが、それを当時の経営や開發に引寄せるのは公正な態度とは云へまい。

 

 さてここまで書いたのは、あくまでも實用…眞面目に撮ることを考へた場合。と云ふことは、さうでない場合も考へられる。その場合、デュアル・レンジ・ズミクロンの複雑さと面倒くささは、そのまま魅力に転じる。いやこのレンズに限つた話ではなく、一眼レフでも接冩用の中間リングや、焦点距離を延ばす為のアダプタがある。一台のカメラに一本の(単焦点)レンズが、必要最小限の構成なのは改めるまでもないとして、それが常に十分を満たすとは限らないのもまた同じである。その為の交換レンズでせうと云ふ指摘はまつたく正しい。但し眞面目に撮らうとする限り。

 距離計連動式、一眼レフのどちらでも、旧式のカメラとレンズの組合せは、どこかに不便がある。その不便をどうにかするのが、デュアル・レンジ・ズミクロンに象徴される工夫で、元が不便なのだから、どこかに無理が生じる。詰り力技での解決が求められる…事があると考へられる。かう書くと我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は同意を示しつつも、呆れるにちがひない。もしかすると、そのカメラと同じくらゐ以前に撮られたアメリカ映画のやうに肩をすくめるか、谷川俊太郎が訳したチャーリー・ブラウンよろしく"タメイキ"(あの少年の"sigh"をタメイキとしたのは、詩人の大きな訳業である)と呟くかも知れない。さういふひとは詰り眞面目に撮るひとで、眞面目に撮るひとはそれに向いたカメラとレンズを使へばいい。現代のカメラとレンズはその為にある。

 一方で眞面目に撮ることをはふり出せば、"不便を無理に解消させる"工夫…邪道、異端、或は不眞面目…こちらとしては変格と呼びたいのだが、それもまた樂みのひとつになる。なつてもらひたい。

 かういふ事を書く理由は、手元にキヤノンPといふライツねぢマウントの距離計連動式カメラがあるからで、ソヴェトの広角ジュピター・レンズ(番号から察して昭和五十二年製。黑鏡胴。刻印にMade in USSRとあるから輸出用と思はれる)を附けてある。後は純正のレンズ・キャップにマルミと思はれるフヰルタ、友人に譲つてもらつた外附けのファインダ、無銘のグリップ(確かMバヨネット・ライカ向けだつた筈だがちやんと附く。併し何故持つてゐるのか)、それからニコンのシャッター・ボタン。重いし巻上げが滑り易い持病まであるから、気らくには使ひにくい。更に云ふとジュピター・レンズはライツねぢマウントに忠實(中身は確かビオゴンのコピー。フヰルタ径もツァイスの系統ではある)なので、一メートルまでしか寄れない。

 「この手のカメラは(所謂)スナップに使ふのだから、一メートルでも支障は出まい」

と考へるのは、変格好みのひとではない。ただ色々調べて、その変格好みに使へるアクセサリ類の話…情報が見当らないのもまた事實である。今さらそんな冗談めく眞似をしたがるひとはゐないか、おそろしく少数派だらう。当時でも多種少量の製造にならざるを得ないアクセサリを用意出來たのは、余程体力にゆとりが無ければ困難だつたから(詰りある時期までのライツ社がどれだけ凄かつたかを想像する根拠のひとつだらう)、文句を附けるのは筋違ひだと判る。となれば、変格不便を樂む点に絞ると、まだ一眼レフの方が撰択肢に余裕がありさうで、考へてみれば手元にはKバヨネット・マウントのリコーがある。